時間泥棒 タイムシーフ

ダイノスケ

第1話

プロローグ


西暦2027年、人類は科学史における最大のブレイクスルーを達成した。それは、「クロノシステム、通称時間管理システム」の発明だ。


このシステムは、マイクロチップを通じて人間の細胞(特にテロメアとミトコンドリア)に電気信号を送り、細胞を活性化・再生させることで、老化を停止させるどころか、時間を巻き戻し若返りをも可能にする画期的な技術である。これにより、人類は条件付きで寿命を克服した。更に、子どもをすぐに大人にし、高齢者を若返らせることで生殖適齢期の人口を増やすことで、深刻化していた少子高齢化問題も、見かけ上は解決へと向かい始めたかに見えた。


しかし、その究極の若返り技術には恐ろしい「代償」が必要だった。細胞を活性化・若返らせるエネルギー源として、「他者の寿命(時間資産)」を必要とした。システムを導入した欧州、米国、共産主義国、日本などの先進国は、この技術を「楽園制度」として合法化。


この世界では、個人の寿命はすべて「BMI-ID(バイオ・メトリック ID)」チップによって管理されている。


楽園制度導入から20年が経過した、2047年。


「はぁ、はぁっ!」

雨の中、路地裏に叩きつけるような激しい雨音が、濡れたアスファルトにバシャバシャと言う音を響かせた。フードを深く被った男は、水たまりに足を取られながらも、泥と水しぶきを蹴立てて必死に走った。雨が顔を叩きつけ、視界が滲む。


フードの下から見えたのは、泥に塗れた20代半ばの青年の顔。しかし、その表情には、肉体年齢と一致しない幼さがあった。


「時間泥棒はこっちに逃げたぞ!追え!ドローンを上げろ!」


テクノロジーの発展は、楽園とそれ以外の境界線をより明確にした。

警察官の怒鳴り声と、警備ドローンの甲高い駆動音が、路地の奥から不気味に響いてくる。キョウヤはコンクリートの壁に背中を預け、わずかな呼吸を整える。


(何が楽園だ、クソッタレが。)


キョウヤは、右肩に埋め込まれたBMI-IDチップの位置を服越しにきつく握りしめた。チップが反応し、目の前に「実年齢:12歳」という数字がホログラムで表示され、キョウヤは舌打ちをした。


子供は義務教育も終わらないうちに寿命を吸われ、社会に放り出される。既得権益は若さと権力を永遠に握る。


「ここは地獄じゃねーか。」

キョウヤは吐き捨てるように呟いた。


彼は今、「時間貴族」から時間を奪い、貧しい人々に密かに分け与える時間泥棒(クロノ・シーフ)として追われている。現代の石川五右衛門、それが彼の裏の顔だった。


(さて、どうする。このままじゃいずれ見つかる。)


彼はふと、自分の背後に古びた鉄扉があることに気づき、力を込めて押し開けた。錆びた蝶番が耳障りな音を立てる。中には、薄暗く、埃っぽい階段が続いていた。


錆びついた扉を背中で閉めると、重い金属音が空間に反響し、世界が一枚の幕で断ち切れたような感覚に陥った。

 今まで耳をつんざいていた激しい雨音も、警備ドローンの不快な駆動音も、スイッチを切ったかのように消失した。キョウヤは荒い息を吐き、白色の照明の中、眼前に見えるは地下階段を見つめた。

「行くしかないか」

 階段を降りた先には、巨大な円形をした建造物があった。地下通路はまだ先に続いていた。

 キョウヤはその建造物の中へと足を踏み入れた。

タク、チクタク、チクタク。チク。

「……なんだ、ここは」

 琥珀色の照明が空間をぼんやりと照らす。壁という壁に、天井に至るまでに時計が飾られ、それぞれ微妙に異なる時を刻んでいた。

「おや、これは珍しいお客さんだね。時計屋へようこそ。青年?いや、少年と言うべきかな?君、ずいぶんと歪な時間の形をしているね」

 声の方に視線を移すと、そこには白銀の女性がソファに腰を掛け、待ち構えていたかのようにこちらへ笑みを向けていた。

「誰だ、お前は?」

「うーんそうだね。月のお姉さんとでも詠んでおくれよ」

(は?ふざけているのか?)

 キョウヤが眉をひそめたその時、奥のカウンターから青年が姿を現した。

 灰色の髪に薄群青の瞳の青年。スーツの上に白と黒の境界服を羽織っている。

「困りますよ、勝手に接客をしないで下さいよ。月のお姉さん」

 青年は静かに言い、キョウヤへと向き直った。

「ここは時計屋です。私は第十席の調停者、エクアトルです。ここは時間の売買を生業としています。どんな時間でも、人でも──依頼があればお受けいたします」

「時間の売買だって、あんた達みたいなのがいるから、俺たちみたいなのが生まれるんだろ」

 キョウヤが刺すような視線を向けた瞬間、入口側で小さな物音がして、空気が震えた。

(まずい、追いつかれたか)

 そんなキョウヤを見て、月のお姉さんは楽しげに目を細めた。

「君、追われているんだろう?裏の扉から出て地下通路へと逃げると良いさ」

「逃がしてくれるの?俺が誰だか知らないくせに」

 エクアトルがため息をつき、目線で女性を制しながら言う。

「仕方ありませんね。どうぞこちらへ。警察の方々には私の方で話を通しておきますから、お逃げ下さい」

「そうそう、はいはい、行った行った。あっそれから時間泥棒もいいけど、"犬"には気をつけるんだよ」

 月のお姉さんがキョウヤの背中を軽く押した。

 キョウヤは困惑しながら流されるままに、地下通路の奥へとかけだして行った。


「にしても、寿命を削ったら老けるって。歪なシステムを作ったものだね。君たちは」

「私は関係ありません。楽園を作ったのは第二席です。また彼女は醜い失敗作だと言っていましたけどね」


地下通路を通り、適当なマンホールを蹴り上げて、キョウヤは地上に出た。生ぬるい夜の空気が全身を包み込む。雨はすっかり上がっていたが、アスファルトはまだ濡れて、街灯の光を鈍く反射していた。キョウヤは右耳のインカムに触れた。

『あ、やっと繋がった!キョウヤ、聞こえてる?』

右耳のインカムから、カン高い若い女の声が飛び込んできた。少しばかりのノイズが混じっている。

「聞こえてらぁ。おせえよ、リン」

キョウヤはぶっきらぼうに答えた。

『ちょっと、勝手に通信切ってたのはそっちでしょ!?』

リンの声がさらにヒートアップする。彼女の怒りが、耳の奥でキンキンと響いた。

「警察のドローンがうろついてた。逆探知されないよう配慮してやったんだ、バカ」

『はぁ!?通信切った状態でどうやって連絡しろっていうの!?そっちの方がバカじゃん!』

「キーキーうるせぇ女だ」

キョウヤは舌打ちし、空を見上げた。月は雲に隠れて見えない。

『二人ともそのくらいにせんか。』

インカムから、しわがれた男性の声が聞こえてきた。

「だってよー、ロム爺」

キョウヤは不満げに口を尖らせた。

『喧嘩は後でせい。キョウヤ、犬が近づいて来とるぞ。撒いた後、指定のポイントに行くんじゃ。さっき盗んだ時間を配りに行かねばならん。』

「あいよ」

キョウヤが返事をすると同時に、彼の脳内に直接、立体的なマップが表示された。BMI-IDチップと脳が直結しているおかげで、視覚情報のように鮮明なルートが示される。通信はそこで途切れた。

キョウヤはマップが示す方向へ歩き出した。しかし、彼の背後から、冷たく低い声が響いた。

「動くな。動くと撃つぞ」

振り返ると、路地裏の暗がりから、一人の警察官が姿を現した。それは、街の治安を維持する正規の警察官とは異なる、「犬」と呼ばれる特殊部隊の隊員だった。全身を黒い強化スーツに包み、背中にはジェットパック。手には電撃銃を構え、ARグラス付きのバイザーがその顔を隠している。まさに、時間管理機構(TMA)が誇る、時間の秩序を守る番犬だ。

「おいおい、俺は善良な市民だぜ」

キョウヤは両手を掲げ、できる限り人好きのする笑顔を作った。しかし、その笑顔の裏には、12歳の少年特有のいたずらっぽい悪意が隠されている。

「善良な市民かどうかはこちらが判断する。近くをタイムシーフがうろついている。お前の肩のチップを調べる。そのまま動くなよ」

「犬」は警戒を怠らず、ゆっくりとキョウヤに近づいてくる。彼と「犬」との距離が、あと1メートルを切ったその時だった。

「それって、あいつのこと?」

キョウヤは視線を「犬」の背後、曲がり角の先へ向け、顎で軽くしゃくった。

「あ?誰のことを言ってい──」

「犬」が言い終わるより早く、キョウヤは地を蹴った。しなやかな身体が瞬時に反転し、最大限伸ばした輪ゴムが解き放たれたかのような高速の後ろ回し蹴りが「犬」の顎に叩きこまれた。

ズドンッ、と鈍い音が闇夜に響く。強化スーツに守られた「犬」の頭部が大きく揺れ、糸を切った操り人形のように、その巨体がガクンと崩れ落ちた。ARグラスのバイザー越しに、一瞬だけ警戒を表す赤いランプが点滅したように見えた。

『意識遮断、異常あり、異常あり!』

倒れた「犬」の制服から、電子的なAIのアラートがけたたましく鳴り響く。

「やべ、早くズラかろ」

キョウヤは悪戯っぽく舌を出した。地面をほとんど踏みしめることなく、軽やかに壁をつたい、次の瞬間にはビルの屋上へ。さらに隣のビルの屋上へと、まるで月面に暮らしているかのような軽業で飛び移っていった。

夜の闇に、キョウヤの軽やかな影が溶けていく。


ビルの上を軽やかに飛び回り逃げていたキョウヤの視界に、屋上の縁に立つ一人の青年が映り──確かに目が合った。


 それより数分前。

 時計屋。キョウヤが駆け出して行って数秒もしないうちに、表の扉が再び開いた。カランコロン、と場違いに明るいベルの音が鳴る。

 扉の前に立っていたのは、若く整えられた蒼い髪の青年だった。スーツの上からでも分かる鍛え上げられた肉体と、揺るぎない精神を宿した瞳。

 彼は店内の異様な光景にも眉一つ動かさず、警察手帳を掲げた。

「失礼します。時計屋の皆さん。私は刑事課・強行犯係、警部の皇 蒼聖(すめらぎ そうせい)と言います。こちらに見た目20代の青年が来ませんでしたか?もし隠し立てするようなら」

 カウンターの奥で、エクアトルが何食わぬ顔で答える。

「彼なら先ほど、そこの裏口から地下通路の奥へと逃げていきました」

 蒼聖が一瞬、呆気にとられたように瞬きをする中、笑いが店内にこだまする。

「あっははは。バラすの早いよ、君」

 淡い琥珀色の照明の下。

 ソファに腰掛けていた白銀の月のお姉さんが、楽しげに肩を揺らす。

「私は調停者です。隠し立てする義務も、嘘をつく理由もありません」

「……そうですか。ご協力に感謝します。」

 蒼聖はすぐに気を取り直し、裏口へと向かおうとするが、月のお姉さんが呼び止めた。

「そうだ。蒼聖くんと言ったね。少し話をしようじゃあないか。そうだね。聞きたいことは取り敢えず一つ。楽園システムについて知っていることを教えてくれるかい?寿命を取ると老化する……あれが理解できなくてね。時計屋のシステムとはまるで別物みたいだし」

 蒼聖が足を止める

「別物……?」

 エクアトルが補足するように口を挟む。

「はい。時計屋が扱うの未来の略奪であるため、現在の姿形には何の影響もありません。ただしノイズを発生しやく、蓄積すれば“犬”に見つかりますが」

 月のお姉さんが覗き込むように顔を寄せる。

「でも、この国のシステムは違う。現在を削る。老化を引き起こしている。……あれはおかしい。何か知らないかい?」

 蒼聖はしばらく沈黙した後──そのまま真っ直ぐと二人に視線を返した。

「残念ですが、私は一介の公務員であるため技術的なことは存じ上げません。それに私の指名は悪を捕まえるそれだけです」

「それが楽園の被害者だったとしてもかい?」

 月のお姉さんの問い。

 一瞬だけ、蒼聖の瞳に揺らぎが走る。だが彼はきっぱりと言い放った。

「事情がどうあれ、犯罪を肯定する理由にはなりません。秩序を守る者である限り悪をのさばらせる訳にはいきません。それが被害者だっとしてもです」

 その言葉に、月のお姉さんは満足げに笑みを浮かべた。

「うん、いいねぇ君は正しい。悪と言うのは秩序の名のもとに裁かれなければからね。さぁ君の追っている少年はこの先に行った。早くしなと逃げられちゃうぞ」

「貴女に言われる訳もなくそうします」

「あっそれとこれは君への選別だ。BMI-IDと言うのを出してごらんよ」

 そう言うと同時に月のお姉さんは、蒼聖のBMI-IDに触れた。

「ふむふむ、これがBMI-IDと言う物なんだね。さっきの少年に発信機と盗聴器を付けておいたんだ。そのデータを君のBMI-IDに送信したよ。さぁそれを頼りに追って行くといい」

「……はぁ、ありがとうございます。ところで、貴女のことは何とお呼びすれば?」

「私かい?私のことは月のお姉さんと詠んでおくれよ」

「では、ご協力に感謝します。失礼します」

 蒼聖は一礼すると、迷いのない足取りで裏口を開け、キョウヤが消えた地下通路を駆けて行った。

 その背中を見送りながら、エクアトルが軽口を叩く。

「……あれは厄介なタイプですね。“犬“より鼻が利くかもしれません。それと良かったのですか。発信機と盗聴器のデータを渡してしまって」

 月のお姉さんが微笑みながら応える。

「うん。知りたい情報は得られなかったけど、彼と言う真っ直ぐな秩序側の人間を知れたことは大きな価値だよ。──さぁ少年と彼の物語りを聴かせておくれよ」


 

 そして現在──

 キョウヤと目が合う。

 その瞬間。

 ビル風がロングコートを翻した。

 影がひとつ、月光の軌道へと滑り込む。

 夜の綻びから零れ落ちたような存在が、そこに立っていた。

 ──皇 蒼聖。

「貴方をこれ以上、見過ごすわけにいけません」


「あ? 誰だよお前。……犬じゃなさそうだが」

キョウヤは隣のビルの屋上、給水塔の上に立つ人影を睨みつけた。

月光を浴びて輝く金色の髪。仕立ての良いスーツを着こなすその青年は、泥臭い路地裏には似つかわしくない、冷徹な気品を纏っていた。

『キョウヤ、早くその場を去れ!そいつは危険じゃ!今日の任務はもういい』

インカム越しに、ロム爺の焦った警告が響く。だが、目の前の青年はそれを許さない空気を発していた。

「私は皇 蒼聖。君の蛮行に終止符を打つものです!」

言葉を言い終えると同時、いや、その音が空気に溶けるよりも早く、皇は飛んだ。

十メートルは離れていたビル間を一足飛びで越え、躊躇なくキョウヤの側頭部めがけて鋭い飛び蹴りを放ってくる。

「っと!」

キョウヤは反射的に身を捻り、紙一重でその一撃をかわした。革靴の踵が鼻先を掠め、コンクリートの床を砕く。キョウヤは軽やかにバックステップを取りながら、挑発的に口笛を吹いた。

「避けないでいただきたい。あなたを捕まえられないじゃないですか」

「お前も警察の一味か」

「噂通りの身のこなしですね」

「こっちの言うことはガン無視かよ。自己紹介もなく荒っぽい挨拶だなぁおい。善良な市民にやることかよ」

キョウヤは肩をすくめて見せるが、全身の筋肉はバネのように張り詰めていた。こいつは、さっきの「犬」とはレベルが違う。

「君の素性は判明しています。時間の窃盗は極刑です。発信機もあるので、逃げても無駄ですよ」

「……チッ。全然会話できねぇ。絶対こいつ自分に酔ってるだろ」

皇は左手首に取り付けられた、複雑な輝きを放つ腕時計型のデバイスに手をかけた。

「『クロノ・ブースト』、使用許可をいただきたい」

そう呟き、皇が時計のスイッチを押した瞬間、空気が変わった。

皇の全身から青白い燐光が立ち上り、周囲の空間が歪む。地面がビリビリと震え、圧倒的な圧力がキョウヤの肌を刺した。

「なっ……!?」

圧が増したと思った時には、皇の姿は消えていた。

認識できたのは、残像だけ。皇はこれまで以上の猛加速で懐に潜り込み、キョウヤの顔面に回し蹴りを放っていた。

「ぐぅっ!!」

ドゴン!

鈍く重い衝撃音が夜空に響く。キョウヤの身体はボールのように吹き飛ばされ、屋上の巨大な貯水タンクめがけて激突した。

金属がひしゃげる轟音と共に、大量の水が噴き出す。

「……これも防ぎますか、逆賊とはいえ称賛します」

皇は足に残る感触を確かめ、悔しそうに呟いた。

ひしゃげたタンクの窪みの中で、キョウヤは両手をクロスさせた防御姿勢をとっていた。腕の骨が軋んでいるのが分かる。

ペッ、と口から血を吐き出し、ずぶ濡れになりながらキョウヤはゆらりと立ち上がった。

「急に威力が上がりやがった……」

「冥土の土産に教えてあげましょう。これは、国に貢献している一部の人間に与えられた特権の一つ、『クロノ・ブースト』です」

皇はそう言い放ち、再び体を半身に構え、突撃の姿勢を作った。

「……へぇ、あっそう」

海底のような深く暗い目のまま、キョウヤは軽く笑った。キョウヤの中で、何かが切れる音がした。


「さっきからさ、お前ムカつくわ。自分が正義だと決めつけて、自分の頭で考えようともしねえ」

「なんだと?聞き捨てなりませんね」

「その力のエネルギー源はさ……人の生命エネルギー、いわば窃盗した時間と同じだろ! 権力者を守る時は正当化されて、俺らが奪ったら犯罪か!? 腐った世の中だなぁおい!」

キョウヤの叫び声が、夜風に乗って響き渡る。だが、皇の表情はピクリとも動かない。

「ふん、他人のものを奪うことは良くないことだと教わらなかったのでしょうか。犯罪者の理屈は署でみっちり聞いてあげますよ」

「だ・か・らぁ! 元々は権力者が弱者から大事なもんを奪ってんだろがぁ! お前の理屈で言うなら、犯罪者はお前らだろうが!」

キョウヤの瞳に、少年が持つ純粋な癇癪と、大人の絶望が入り混じった激しい怒りが灯った。

「もう我慢ならねぇ……ロム爺、あれ使うぞ!」

『待て、さっき使ったばかりじゃろ! 連続使用はオヌシの脳と体に負担が──』

「国士無双(こくしむそう)!!」

キョウヤの絶叫と共に、彼の右肩のチップが赤く発光した。

脳波が強制的に書き換えられ、周囲の電子機器へ干渉波が放たれる。

ガガガガガッ!

近くのビルに設置されていたパラボラアンテナが根元からへし折れ、上空を飛んでいた警備用ドローンが制御を失って墜落してくる。

それらは空中で分解されながらキョウヤの右腕へと吸い寄せられ、ガシャン、ガシャンと激しい音を立てて再構築されていく。

無数の廃材と電子部品が絡み合い、キョウヤの右腕は瞬く間に3メートルを超える鋼鉄の巨人の拳へと変貌した。

「なっ……なんですかその技術は!」

皇が目を見開き、驚愕の声を上げる。

だが、彼が反応する頃には、キョウヤはもう貯水タンクの前から姿を消していた。

「お前のこと嫌いだからよぉ!二度とその面見せんな!」

一瞬にして背後に肉薄したキョウヤは、巨大な機械の拳で、皇の全身を後ろから捉えた。

「ぐっ、う! この! ふざける……」

メキ、ミチィッ!!

強化スーツが軋む嫌な音が伝わり、皇の身体は砲弾のように弾き飛ばされた。屋上のフェンスを紙切れのように突き破り、そのまま200メートルほど先のビル群の隙間へと消えていった。

「ふぅ……」

敵の反応が消えたことを確認し、キョウヤは深くため息をついてその場に座り込んだ。

右腕に張り付いていた巨大な機械の塊は、重力を思い出したかのようにガラガラと音を立てて崩れ落ち、ただのスクラップへと戻った。

『キョウヤ! 人工筋肉と脳波による周辺機器の酷使は一日1時間までと何度言ったら分かる!』

『キョウヤ、まだあの警察が追ってくるかもしれないから早くその場から離れて!』

インカムの向こうから、ロム爺とリンが交互に怒鳴り声を上げている。心配と怒りが入り混じったその声に、キョウヤは少しだけ口元を緩めた。

「分かった分かった。……なぁ、さっきの皇ってやつが俺の場所は特定したって言ってたからさ、位置情報バレてないか調べてくれねぇか。場合によっては、データを書き換えといてくれ」

まったく、面倒事が増えたな。

キョウヤは擦り傷だらけになった顔で、星の見えない都会の夜空を見上げた。


ロム爺の怒鳴り声がインカムを震わせる。

『まずいぞキョウヤ、反応が……消えておらん! あれはまだ“生きて”おる!はよそこを離れるんじゃ』

 嫌な予感が喉を這い上がる。キョウヤは舌打ちし、瓦礫を蹴るようにその場を離れた。


 瓦礫の隙間から蒼聖はゆっくりと立ち上がった。

 夜風が砂埃を舞い上げ、割れたガラス片が街の光を受けて星の断片のように瞬いた。

 静寂を破るように、通信音が響いた。

「蒼聖警部。状況報告を」

 透き通る声だが、芯の強さと威圧感が同居した声だった。

「……申し訳ありません。黒条管理官。標的を見失いました」

「仕方ありません。白悠と橙真を向かわせています。合流し帰還なさい」

「了解しました」

 短い通信が途切れた瞬間、街のノイズが一段落ちたように感じた。

 静寂の中、近くのビルの液晶に映るアイドル・彩の歌声だけが、夜を淡く染めている。

 この都市の多くの人が彼女の歌に救われているように、蒼聖もまたその光に心を落としていた一人だった。

 しばらくして、湖音 白悠(ねおん はくゆう)と朝比奈 橙真(あさひな とうま)の姿が見えた。

「派手にやったものですね」

 白悠が黒髪オールバックに白いコートをなびかせながら言う。

「凄い破壊力だな。管理官ほどじゃあ……いや、あれはもう別種か」

 黒コートに橙の髪を揺らしつつ橙真が、崩壊した建物を見渡す。

「……えぇ、まったくしてやられましたよ」

 蒼聖が苦笑すると、白悠が促した。

「さぁ、早く帰還しましょう。管理官が待っています」


 警察機構の中枢──

 黒い長髪に白いスーツの女性を纏う黒条 神楽(こくじょう かぐら)管理官が淡々と指示を飛ばしていた。

「蒼聖が確保に失敗したわ。一応、発信機と盗聴器による追跡を。……まぁ無駄でしょうけど」

 その横顔には微笑はなく、ただ静かな威圧だけがあった。


 同じ頃、別のビルの屋上。

 キョウヤと蒼聖の戦闘を見下ろす赤い影があった。その影は夜風とともに姿を消した。


 時計屋。

 歯車の音と、琥珀色の灯りだけが時間を刻む空間で、その声は響いた。

「おやおや、蒼聖くんは負けてしまったようだね」

 柔らかな声。だが過去と未来の境目を撫でるような声。

 エクアトルが声の主、月のお姉さんに問いかける。

「これからは如何なさるのですか?」

「うーん。そうだね。何か案はないのかい?」

「そうですね。第六席、聖導者に会われてみては如何ですか。何かしらの情報が得られるかと」

「第六席にか──うん、そうすることにしよう。ありがとう。エクアトル。また来るよ」

「私としては、来られては困りますが」

「あっ“犬”には気をつけね」

「貴女の方こそ……お気をつけを」



 キョウヤは傷ついた身体を引きずりながらアジトへと向かっていた。

 その背後── 

 路地裏の闇に沈んだ鋭角の影が、何をするでもなくただ”ねっとり“と揺らいでいるだけだった。



「誰だ、お前」

キョウヤは振り返らず、気配がある方向に向けて短く問いかけた。


「先ほどの戦いを見ていました。あ、貴方様は。もしや、タイムシーフではありませんか?」


その声は驚くほどか細く、老齢特有の震えを含んでいた。

キョウヤが振り返ると、そこにはボロボロの黒いローブを身に纏った、腰の曲がった老人が杖をついて弱々しく立っていた。喋るのも、呼吸をするのもやっとの様子だ。社会的弱者の典型であり、この腐敗した世界で時間を吸い尽くされた哀れな被害者そのものに見えた。しかし、その老人が、音もなく現れたという一点が、キョウヤの警戒心を呼び起こす。


「そうだと言ったらなんだよ」


キョウヤは警戒の目を向けた。一般人がどうやって俺の存在感を見つけた?


「あの、少しだけで良いので、盗んだ時間を分けてもらえませんか?田舎からやっとの思いで探しに来たんです」


老人は、か細い声で懇願するように杖を突きながら頭を下げた。


(ちくしょう、こいつも時間を取られた若者か。警戒して損したな)


「ったく、仕方ねぇな。明日スラムに渡す分があるんだ。あんまりたくさんはやれねぇぞ」


キョウヤは自分の首筋に手を置きながら老人に近づいた。左手首には、盗んだ時間資産を一時的に保存・管理する特製の腕時計型デバイスが装着されている。キョウヤはそれを老人の右肩、BMI-IDチップが埋め込まれているであろう場所に近づけた。


その瞬間、二人の全身が青白い光に包まれた。それは時間資産がチップ間で高速移動している証拠だ。光が収まると、老人の肌にわずかなハリが戻り、背筋がほんの少し伸びた。その変化はわずかだが、老人にとっては大きな若返りだろう。


「おお、力が漲ります!これがタイムシーフの力……!」


老人は感動のあまり、震える声でつぶやいた。


「五年分しか渡してねぇぞ。あとあんまり周りに俺のこと言いふらすなよ」


キョウヤは少し照れくさそうに言うと、踵を返した。


「ありがとうございます!このご恩は一生忘れません!」


「そんなの良いって。達者でな」


キョウヤは背を向けて手を振った。

立ち去ろうとしたキョウヤの背中に、老人は必死に声をかける。その声には、先ほどまでの弱々しさは消え、興奮した色を帯びていた。


「い、一週間後!たくさんの赤子が東京ドームに集められ、大量の時間のオークションが行われます!!」


キョウヤの足が、ピタリと止まった。静寂の中、老人の叫びだけが響き渡る。


「なんだって?」


キョウヤはゆっくりと振り返った。


「不躾なお願いだとは承知しています!けど、私の弟が、そこに連れて行かれています!どうか、どうか助けていただけないでしょうか!」


キョウヤは唇を強く噛み締めた。

生まれて間もない、右も左も分からない赤子が、いきなり老人にされ、時間の奴隷として社会に放り出される。いや、最悪はそのまま時間を吸い尽くされて、白骨死体にされる。そんなことが当たり前に起こっている現代。老人の弟が赤子ということは、目の前の老人も実年齢はキョウヤ以下の可能性が高い。


「お前の家族だけじゃない。全員助けるぞ」


キョウヤは強く拳を握りしめた。彼の瞳は、強い決意と、時間泥棒を突き動かす根源的な怒りに燃えていた。彼は老人に背を向け、アジトとは逆方向へと駆けだした。

老人はキョウヤの姿が見えなくなるまで、深々と頭を下げていた。


やがて、その老人は顔を上げた。

地面を見ていた老人の表情は、先ほどの謙虚さや感謝とは裏腹に、はち切れんばかりに口角が釣り上がっていた。


「これで準備は整った」


老人は、杖を静かに地面から離した。杖の先は、乾いたコンクリートに触れることなく、宙に浮いていた。そして、その腰は緩やかに、そして不自然なほどすっと伸び、老人の顔に刻まれた深い皺が、まるで薄い仮面のように剥がれ落ちていった。


そこに立っていたのは、数瞬前とは別人の、若く鋭利な目つきをした男だった。彼は、夜の闇に浮かぶキョウヤの残像を見つめながら、満足げに微笑んだ。


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