第2話 陰陽道(2)

 翌朝。

 太陽が屋根の端から顔を出してまもなく、僕は容赦なく布団を剥がされた。


 「夜斗、起きろ。今日はいい朝だ…」


 半分寝ぼけた目をこすっているうちに、いつの間にか庭に連れ出されていた。

 朝の空気はまだ冷たく、吐く息が白い。


 「おはようございます、父上」


 膝をそろえて頭を下げる。


 「本日より、陰陽道を誠心誠意、学ばせていただきたく存じます」


 言ってから、自分でも少し堅すぎたかと思う。

 父は、ふっと口の端をだけで笑った。


 「陰陽術を教える師ではあるがな、ここではそんなに畏まることはない」


 「…わかりました、父上」


 「もっとも、礼を失えという意味ではないぞ。

  ――言葉より先に、まずは立ち方だ」


 父はそう言って、足を肩幅に開いてみせる。


 「陰陽師は座して占い、符を書くだけでは務まらん。式を放つにも、結界を張るにも、身体の軸が定まっておらねば霊力がぶれる」


 僕も見よう見まねで足を開き、背筋を伸ばした。

 まだ七つの体には、父の姿勢は少し大げさに見える。


 「今日から、夜斗に教えるのは二つだ」


 父は指を二本立てる。


 「ひとつは、霊力の感知。もうひとつは、基礎的な五行術」


 「霊力の……感知」


 口の中で繰り返すと、父は小さく頷いた。


 「見えぬものを扱う以上、自分の霊力がどれほどあるか、どこに流れているかを知らねばならん。まずは己の内を知ることだ。外の怪異に触れるのは、そのあとでよい」


 「はい」


 「五行術については、書で目を通しておろう?」


 「火・水・木・金・土……程度には」


 「ふむ…」


 父はわざとらしくため息をつき、それから少しだけ口元を緩めた。


 「ならば、そこからだな。

  火は灯し、土は支え、水は流し、木は生かし、金は断つ。――教えながら、体で覚えさせる」


 あまり穏やかな言い方ではないが、父の言う「体で覚える」は、本気で殴られる類いではないことを、これまでの七年で知っている。

 代わりに、筋肉と感覚が翌日まで悲鳴を上げる程度だ。


 「……ああ、そうだ」


 父がふと何かを思い出したように、手を打った。


 「霊力を感知できるようになり、五行でせめてひとつでもまともに扱えるようになったら――」


 そこで一拍置き、僕の目をじっと覗き込んでくる。


 「式神との契約を考えてもよいだろう」


 「式神……」


 声に出した瞬間、胸の内がわずかに熱を帯びた。


 知識としては知っている。

 術者の命令に従い、遠くまで飛び、見て、聞き、戦う、半ば霊で半ば器物の従者たち。


 (人間を、全面的に信じる気にはなれないが)


 (命令どおりに動く存在、というのは……悪くない)


 人の善意や約束ほど、あてにならないものはない。

 それは前世で、嫌というほど思い知った。


 けれど、契約と術式で縛られた存在なら――裏切るかどうかは、僕の組み上げる呪と条件次第だ。


 「その顔は、少し楽しみにしておるな」


 父の声に、はっと我に返る。


 「……はい。式神というものが、どのようなものか。この目で見てみとうございます」


 できるだけ無邪気そうな言い方を心がけると、父は満足そうに頷いた。


 「よし。ならばまず、目を閉じろ」


 「目を、ですか」


 「そうだ。――己の中に、どれほどの気が巡っておるか。今はまだぼんやりとでよい。感じ取ってみせろ、夜斗」


 言われるままに、そっと目を閉じる。

 庭の砂利の冷たさ、朝の風、遠くで鳴く鳥の声――それらを一枚ずつ脇へ追いやっていく。


 暗闇の奥で、かすかな流れのようなものが、確かに脈打っていた。


 (……これが、霊力)


 ――ここから先は、ぜんぶ生きるために使う。


 そう決めた朝の始まりを、僕はあとになってもよく覚えている。


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