タイトル35歳で魔王を倒した元勇者、 女神のクソ采配で“高校生”やり直します 

Re:ユナ

第1話

 王都の大広間は、やけに明るかった。

 天井から吊されたシャンデリアには光の精霊が詰め込まれ、壁という壁には「魔王討伐」の紋章旗がこれでもかと並んでいる。

  騎士、貴族、商人、元・魔王軍の幹部たちまでが同じ酒樽を囲んで、笑い声と乾杯の音を撒き散らしていた。


「かんぱーーい!!」


 最前列で叫んだのは、やっぱり戦士のカイルだ。

 十八年前と同じように金色の髪はギラギラ、筋肉はバキバキ。

 あいつ、絶対どこかで時間止めてるだろ。


「勇者様、こちらも焼けましたよ! ほらほら、アツアツです!」


 僧侶のミリアが、両手いっぱいに肉の乗った皿を抱えて飛んでくる。

 外見十八歳、実年齢たぶん百五十歳のエルフ。

 若さのインフレもここまで来ると、一周回って清々しい。


「勇者。顔が死んでいる。せっかくの祝宴だ。もう少し頑張れ」


 隣でワインをちびちびやっているのは、魔法使いのリュカ。

 ドワーフで、俺より年下らしいが、髭と渋さのせいで完全におっさん枠だ。

 ……こっちは中身までガチでおっさんなので、あまり人のことは言えない。


「楽しんでるって。ほら、めちゃくちゃ楽しい。最高だよ」


 そう言って、自分のグラスをあおる。

 喉を焼く炭酸の感覚は「今ここ」を実感させてくる。


(十八年、か)


 十七歳でこの世界に召喚されて、魔王を倒して、気づいたら三十五歳。

 進路希望調査も出さず、高校にも行かないまま、文化祭も体育祭もなくて、代わりにあったのは魔物とダンジョンと世界の危機。


 テーブルの向こうでは、他国の王族や使節団がわいわい騒いでいる。

 かつて敵対していた国の王子が、元・魔王軍四天王のひとりと肩を組んで笑っている光景は、正直ちょっと見ていて面白い。


「勇者さまー! 剣教えてー!」


 足元に、ちびっこがしがみついてきた。

 どこの王宮の子どもだか知らないが、木剣を抱えて目を輝かせている。


「勇者おじちゃんだー!」


 ぐさり、と心にクリティカルヒット。


「……今、“おじちゃん”って言ったよな?」


「気のせいだろう」


 リュカがすっと目をそらす。


「完全に言ってましたよね!? ねえ!」


 ミリアはなぜか笑いながら同意してくる。

 カイルなんか、こっち見ないようにビールを飲んでいる。お前ら味方じゃなかったのか。


 笑いながら、グラスの縁を指でなぞる。


(十八年かけて、魔王倒して、気付いたら三十五歳で“おじちゃん”呼び、ね)


 誰かがやらなきゃ世界は終わっていたし、俺はその「誰か」になってしまった。

 称号も勲章も山ほどもらった。


 でも――。


 ふ、と昔の景色がよみがえる。


 学校帰りの交差点。

 夏の夕方で、空はやけに高くて、アスファルトの熱がまだ足元に残っていた。

 イヤホンから流れていたのは、クラスの誰とも共有していない、マイナーなバンドの曲。


 横断歩道の信号が青に変わる。

 歩き出す。


 その瞬間――


 クラクション。

 ブレーキの悲鳴。

 視界の端から迫ってきた黒い影。


(あ、これ、死ぬやつだ)


 どうでもいいことを考えた。

 部屋のゲーム機、電源つけっぱなしだったな、とか。

 もっと学校行っとけば良かったな、とか。


 真っ白な空間。

 ひきつる女神。

 全部、鮮明に思い出せる。


「一回くらい、ちゃんと“日常”ってやつを味わってから三十代入りたかったなー、って」


 グラスの中で、泡がぱちぱち弾ける。


「……今からでも、高校生やり直せるなら、やりたいです、なんてな」


 冗談みたいに口の中だけでつぶやいて、酒をあおる。

 この時点ではまだ、本気で口に出すつもりなんて、なかった。


     ◇


「静粛に!」


 やがて、王の張りのある声が大広間に響き渡った。

 さっきまでの喧噪がすっと引いて、代わりに期待のざわめきが残る。


 王は立ち上がり、背後の巨大なステンドグラスを背にして俺の方を向いた。

 そこには、この世界を見守る女神の姿が色鮮やかに描かれている。


「我らが勇者よ。そなたのおかげで、世界は救われた!」


 拍手と歓声が巻き起こる。

 酒の勢いも手伝って、みんな本気で盛り上がっている。


「その功績に報い、我らの女神は、そなたに“ただひとつだけ”願いを叶えると告げられた!」


 どよめきが広がる。


「……は?」


 初耳なんだけど?


 王は満足げに頷き、一歩退く。

 その代わりに、ステンドグラスがふわりと輝き始めた。


 白い光が降り注ぎ、その中心からひとりの女性が姿を現す。

 金色の髪、淡い青の瞳。

 召喚されたあの日と同じ顔で――でも、どこか昔よりも人間くさく、若々しい。


「やっほ、お久しぶり。勇者くん」


 女神は、片手をひらひら振ってきた。

 神々しい光をまとってるくせに、ノリがやたら軽い。


(……そうだ、このテンションだった。忘れてた)


 この女神、見た目だけは清楚系。中身はけっこうイカれてる。

 十八年前、真っ白な空間で「世界救ってきてくださーい☆」と笑っていた張本人だ。


「女神様……」


 周囲の人々が一斉にひざまずく中、俺だけが立ったまま前に押し出される。

 視線の逃げ場は、どこにもない。


「あなたはこの世界を救いました。約束どおり――なにか願いがあれば、ひとつだけ叶えましょう」


 女神は、わざとらしいくらいに大きな声でそう宣言した。

 この場にいる全員に、はっきり聞こえるように。


(ちょ、ちょっと待って。裏でこっそりやろう? 裏口でよくない?)


 心の中で土下座しても、女神はにこーっと笑う。

 目だけが、ちょっとだけ意地悪そうに細められている。性格の悪さがにじみ出ている。


「勇者!」


 王が、嬉々とした様子で俺を見る。


「世界をひとつ変える願いでもよい! 莫大な富でも、永遠の名誉でも――なあ、勇者!」


(やめろ、ハードルを上げるな)


 富とか名誉とか言われると、ますます言いづらい。

 俺が本当に欲しいものなんて、ここにいる誰ひとり想像していないだろう。


「さあ、勇者くん?」


 女神が一歩、こちらへ近づく。

 足元に薄い光の魔法陣が浮かび上がり、その中心に俺と女神だけが取り残されたみたいになる。


「この場にいる、すべての人間・魔族・精霊たちに聞かせなさい。

 あなたの“たったひとつ”の願いを」


(公開処刑方式!? やっぱ性格悪いなこの女神)


 大広間の空気が、目に見えるみたいに揺れた。

 千人分の視線が、ぐさぐさと突き刺さる。


 逃げ場はない。

 「やっぱりやめます」と引き下がる方が、よほど空気を壊す。


「……ひとつ、だけ、ですよね?」


「そ。たったの、ひとつだけ。安売りはしてないからね?」


 女神は、いたずらっぽくウインクした。

 その軽さの裏で、どこか底の見えないものが揺れているのが分かる。


 喉がからからだ。

 さっきまで苦くて美味しかった酒の味が、どこかへ消えていく。


(言うのか? ここで? 本当に?)


 あの交差点の記憶がよぎる。


「……願い、言っていいですか?」


「うん。ちゃんと聞いてあげる」


 女神の声は、さっきより少しだけ静かだった。

 ほんの一瞬だけ、十八年前のあの真っ白な空間と重なる。


「お、俺の願いは――」


 大広間が、シンと静まり返る。

 遠くで、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた気がした。


「転生前の世界で……高校生から、やり直したいです」


 自分の声が、やけにクリアに響いた。


「……え?」


 最初に固まったのは、女神だった。

 次に王。

 そのあと、波紋みたいに「え?」が広がっていく。


「で、できれば、その。ついででいいんで――」


 ここまで来たら、もはやヤケだ。


「なんかこう、未来がちょっと見える系の、チートスキルとか。そういうやつ、つけてくれると、嬉しいです」


 ――沈黙。


 静寂って、物理的に耳が痛いんだな、って初めて知った。


「…………」

「…………」

「…………マジ?」


 一番最初に声を出したのは、カイルだった。

いつものにやけ顔が完全に固まっている。


「青春……?」


 ミリアが、ぽつりとつぶやく。


「いや、まあ、気持ちは分からなくもないが……」


 リュカが目をそらす。お前、分かるのか。


 女神は、しばらく俺をじっと見つめ――額に手を当てて、空を仰いだ。


「……はぁぁぁぁぁ……」


 神罰級のため息が、大広間に響き渡る。


「こちらに残れば、あなたは英雄ですよ?」


 女神は、指の隙間からこちらを睨みつけるように言った。

 この世界での地位、富、名誉。

 全部が、今ここで約束されている。


 それでも、俺は笑うしかなかった。


「剣振って、魔物斬って、仲間の墓増やして……それはそれで、意味があったのは分かってますけど」


 自分の声が、妙に落ち着いている。


「元の世界で、何も始まらないまま死にかけた十七歳だったんですよ、俺。

 一回くらい、ちゃんと“日常”ってやつを味わってから三十代入りたかったなー、って」


 自嘲気味に笑うと、誰かが小さく息を呑んだ。


「……今からでも、高校生やり直せるなら、やりたいです」


 それが本音だった。


 世界を救った英雄として、王都のど真ん中に家を構えて、死ぬまで讃えられる未来も、分かる。

 でも、それは多分、“やり直し”じゃない。


 一度も始まってない日常を、もう一回ちゃんと始めたいだけだ。


「……あなたという人はさぁ」


 女神が、こめかみを押さえながらぼやく。

 さっきまでの神々しさが、だいぶ台無しだ。


「せめて、この世界の中での願いにしようとか、思わなかったの?」


「思いませんでしたね」


 即答すると、周囲から小さな笑いが漏れた。

 半分あきれたような、でもどこか救われたような笑い。


「未来が見えるチートスキル、ねえ……」


 女神が、あきれ半分、興味半分でこちらを見てくる。

 その瞳の奥で、何かがくるくると計算されているのが分かる。ろくでもない方向に。


「そういうのってさ、だいたいロクなことにならないのよ?」


「今さらですよ。もう十八年、さんざんロクでもない目にはあってきたんで」


「開き直り方が雑ぅ……」


 女神は、肩をすくめて笑った。

 どこか楽しんでいるようにも見える。この女神、本気で性格が悪い。


「分かった。世界を救った報酬としては、正直コスパ悪いけど。

 あなたがそれでいいって言うなら――特別に、叶えてあげる」


「特別に、ってとこ強調します?」


「当たり前でしょ。神様、サービスしすぎると舐められるんだから」


 言いながら、女神はちらっと別のテーブルに目を向けた。

 そこには、元・魔王軍四天王たちが座っている。彼らもまた、女神の視線に気づいたように、ぴくりと肩を揺らした。


(……今の、なんだ?)


 胸の奥に、うっすらと嫌な予感が残る。

 この女神が素直に「はい終わり」ですませるわけがない、という確信でもある。


「じゃ、勇者くん。準備、いい?」


 女神が、俺の目の前まで歩み寄る。

 距離が近い。光が強すぎて、目が痛い。


「ちょ、ちょっと待って。後悔するなら今のうちよ?」


「後悔しませんよ。……たぶん」


「“たぶん”って言ったよね今!」


 女神のツッコミが飛んでくる。

 そのやりとりに、周囲からまた笑いが起きた。


 いい。

 この空気で終われるなら、悪くない。


「じゃあ、行ってきます」


 軽く手を振ると、カイルが酒樽を片手に叫ぶ。


「お前が帰ってくる場所は、いつでもここだかんなー!」


「勇者おじちゃん、ばいばーい!」


 おじちゃんは余計だ。

 でも、悪くない。


「……帰ってくるかどうかは、そっち次第、だけどね」


 女神が小さくつぶやいた声は、光にかき消されて聞き取れなかった。


 視界が、真っ白に塗りつぶされる。

 耳鳴り。

 身体が、輪郭ごと剥がされていくみたいな感覚。


(ああ、この感じ。最初に召喚されたときと、同じだ)


 意識が遠のいていく中、ふと、胸の奥が軽くなる。


 これでようやく、止まっていた時計の針が動き出す気がした。


     ◇


 ――音が戻ってくる。


 遠くで、車のエンジン音。

 信号機の電子音。

 人の話し声、犬の鳴き声。


 鼻をくすぐるのは、アスファルトの匂いと、夏の空気と、どこかのコンビニの揚げ物の匂い。


(……この匂い、知ってる)


 重たいまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。


 見上げた先にあるのは、高すぎもしない、低すぎもしない、どこまでも普通の――薄い雲のかかった、夏の日本の空だった。


「……マジか」


 息が白くなる。


 俺は、横断歩道の真ん中で、仰向けに倒れていた。

 周りには人だかり。誰かがスマホで救急車を呼んでいる声がする。


「君、大丈夫!? 聞こえる!?」


 制服姿の高校生が、俺の顔を覗き込んでいた。

 見慣れたブレザー。見慣れた校章。


 そこまで確認して、ようやく理解が追いつく。


(――戻ってきた)


 十七歳の夏。

 交差点。


 何も始まらないまま終わるはずだった、あの日の続きに。


 そう気づいたところで、意識はそこで、ふっと途切れた。

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