魔法少女エターナルリンク

月影レイン

第1話 出会い 前編

――初めての戦い


 夕暮れの街は、静けさに包まれていた。

 放課後の帰り道、サクラはカバンを肩に掛けながら、ひとり歩いていた。

 ふと見上げれば、桜並木の枝が夜風に揺れ、花びらが宙に舞う。

 季節外れの桜――けれど、それは彼女の運命を告げる前触れだった。


 その時だった。

 地面が揺れ、空気が裂けるような不気味な音が響いた。

 「……な、に……?」

 振り返ると、暗い路地の奥から“影の塊”のようなものが這い出してくる。

 まるで人の形を模した怪物。黒く濁った霧のような身体、虚ろな眼。

 恐怖で声も出せない。足が凍りつき、逃げることすらできなかった。


 その瞬間――耳元に、澄んだ声が届いた。


 『選ばれし者よ――祈りを捧げるなら、力を与えよう』


 胸元が眩しく光り、手のひらに小さなペンダントが現れる。

 桜色の石がはめ込まれた勾玉。それは暖かい鼓動を持ち、彼女に問いかけてくる。


 「わ、私が……? そんなの、無理……」

 心臓は恐怖で早鐘を打ち、頭は真っ白になる。

 だが怪物の影は、すでにサクラへと腕を伸ばしていた。

 逃げられない――ならば。


 サクラは震える声で叫んだ。

 「……力を貸して!」


 その言葉と同時に、勾玉が強く輝き出す。

 桜の花びらが宙を舞い、サクラの身体を包み込む。

 制服がほどけ、光に溶け、代わりに桜色と白を基調とした衣装が現れる。

 リボンは風に揺れ、スカートは花びらのようにひらめき、胸元には淡い光を帯びた宝石が輝く。

 背中に光の羽が一瞬だけ広がり、散りゆく桜の幻影が舞い落ちる。


 ――魔法少女、サクラ=ミラージュ。


 「これが……私……?」

 震える指先に、一本の杖が握られていた。

 桜の花を象った装飾の杖――ミラージュワンド。

 その先端から淡い光が広がり、周囲を照らしていく。


怪物は咆哮を上げて突進してきた。

 サクラは思わず杖を前に突き出す。

 すると、杖の先から光が弾け、花びらのような魔法陣が展開された。

 「きゃっ……!」

 爆ぜる衝撃に押されながらも、怪物の動きは一瞬止まった。


 「……戦えるの……? 本当に、私が……」

 自問自答しながらも、身体は自然と動いていた。

 杖を振ると、光の花びらが無数に舞い、怪物の身体を切り裂いていく。

 しかし影はすぐに再生し、形を保とうとする。


 「ダメ……消えない……!」

 恐怖が胸を締めつける。足がすくみそうになる。

 その時、またあの声が響いた。


 『心を信じよ。絆は力となる』


 声と共に、背後から札が一枚、ひらりと舞い降りた。

 サクラが振り向くと、遠くの屋根の上に、一人の影が佇んでいた。

 銀髪の少女。狐の面をつけ、ただ黙ってこちらを見下ろしている。


 「あなたは……?」

 返事はない。だが、札は光を帯び、サクラの杖と共鳴した。


 「……そうか、助けてくれるのね」

 サクラは深呼吸をして、杖を両手で構える。

 「――咲き誇れ! 幻花の光!」


 杖から溢れ出した光が、桜吹雪となって怪物を包み込む。

 花びらは怪物の影を削り、幻影のように実体を奪っていく。

 苦悶の咆哮が響き、怪物の姿は霧のように散り消えた。


 静寂が戻る。

 サクラは荒い息を吐きながら、杖を見つめた。

 「本当に……私が、魔法少女に……」


 屋根の上の影――狐面の少女は、ひとつ頷くと闇に消えていった。

 残されたサクラは、自分の震える手を握りしめる。


 こうして、ただの少女だったサクラ=ミラージュは、魔法少女としての一歩を踏み出した。

 その背後で、まだ名も知らぬ“影の同士”が、静かに彼女を見守っていた。


――転校生との出会い


 次の日の朝、サクラ=ミラージュはいつもより少し早く学校に向かっていた。

 昨夜の出来事がまだ信じられない。

 自分が魔法少女になったなんて、まるで夢を見ているようだった。


 (……あの影の怪物、本当に現実だったのかな。私……戦ったんだよね)


 カバンの中には、あの桜色の勾玉ペンダントが収まっている。

 クラスメイトには見せられない秘密。

 胸の奥がそわそわして落ち着かないまま教室に入ると、ざわめきが広がっていた。


 「ねえねえ、今日転校生が来るんだって!」

 「マジ? こんな時期に?」

 「しかも、すっごく綺麗な子らしいよ」


 そんな話を耳にしながら、自分の席に座る。

 (転校生かぁ……どんな子なんだろ)


 やがて担任が入ってきて、黒板の前に立った。

 「はい、静かに。今日はみんなに新しいクラスメイトを紹介する」


 ドキリと胸が高鳴る。

 ドアが開き、ゆっくりと少女が姿を現した。


 ――銀色の髪が、朝の光を受けてきらめく。

 切りそろえられたウルフカットは凛とした印象を与え、何よりその瞳。

 右は青、左は紅。オッドアイが教室の空気を一瞬にして支配した。


 「……ユノカ=シオンです。よろしくお願いします」


 クールな声。無駄のない所作。

 ただ立っているだけで、周囲の空気が張り詰めるようだった。


(……きれい……! でも、どこかで……)

 サクラの心臓が強く打つ。

 しかしすぐに首を振った。

 昨夜の狐面の少女と、この転校生が同一人物だなんて考えもしなかった。


 ユノカは担任に促され、サクラの隣の席へと座った。

 「ここが君の席だ。隣のサクラに色々教えてもらえ」

 「……分かりました」


 スッと腰掛けると、サクラと目が合った。

 オッドアイの視線に射抜かれ、サクラは思わず小さく声を上げる。

 「あっ……えっと、わ、私、サクラ=ミラージュ。よろしくね!」

 「……よろしく」


 短い返事。表情はほとんど変わらない。

 けれど、その瞳はサクラをじっと見つめていた。

 サクラは顔を赤らめてそらす。


 (な、なんか……見透かされてるみたい……!)


 休み時間になると、クラス中がユノカを取り囲んだ。

 「ユノカさんってどこから来たの?」

 「髪の色、すごく綺麗だね!」

 「その目、本物なの!?」


 ユノカは冷静に答え、必要以上には話さない。

 だが、決して人を拒絶するわけでもない――ただ距離を取っているだけのようだった。


 そんな彼女の様子を見ながら、サクラは胸の奥がざわついた。

 (……あの人、どこか影がある。なのに、不思議と気になってしまう……)


 窓から差し込む光の中で、銀髪の少女は静かにノートを開く。

 サクラの知らないところで――ユノカの内心は、微かに揺れていた。


 (……彼女が昨夜の魔法少女。けれど、今はまだ気づかせるわけにはいかない)

 (私は“ミコト”。影の同士として彼女を見守る。正体を明かすその日までは――)


 こうして二人の物語は、互いに正体を知らぬまま、同じ教室から始まった。


――影の支援者


 その夜、サクラは眠れなかった。

 布団の中で何度も目を閉じては、昼間のことと昨日のことを思い出す。


 (昨日は……私、本当に戦ったんだ。そして今日、ユノカちゃんがクラスに来て……)

 あの銀髪の少女のクールな横顔が、脳裏に浮かぶ。

 特に理由もなく、気になって仕方がなかった。


 だが、考えるより早く異変は訪れた。

 窓の外、街の灯りが一斉に揺らめき、どこからともなく不気味な気配が漂ってくる。

 胸元の勾玉が熱を帯び、淡く光を放った。


 「……また、来たんだ」


 心臓が跳ねる。恐怖と同時に、覚悟が彼女の中に芽生えていた。

 サクラは窓を開け、夜の空気を吸い込むと、ペンダントを強く握った。


 「――変身!」


 桜の花びらが舞い散り、制服が光に包まれてほどけていく。

 瞬く間に、淡い桜色と白を基調とした魔法少女の衣装が身体を覆い、手には杖――ミラージュワンドが現れる。

 光の羽が背に浮かび、一瞬だけ夜空を照らした。


 「サクラ=ミラージュ、行きます!」


 街の大通りに着くと、そこには昨日よりも巨大な影が蠢いていた。

 まるで獣のような形をした怪物。四足で地面を抉り、その眼は赤黒く輝いている。

 周囲の街灯は次々に砕け、通りは闇に沈んでいった。


 「こ、こんなの……昨日より強い……!」


 怪物が咆哮し、サクラへ飛びかかる。

 彼女は杖を振り、花びらの光を放つ。

 しかし、影の獣は光を突き破り、彼女の間合いへ迫った。


 「きゃあっ!」

 間一髪で飛び退く。だが息が上がり、膝が震える。

 (どうしよう、力が足りない……! もう一度やられる……!)


 その瞬間――


 「――迷うな。集中しろ」


 背後から冷たい声が響いた。

 振り返ると、電柱の上に一枚の御札が突き刺さり、青白い光を放っている。

 怪物の動きが一瞬だけ鈍った。


 「え……?」


 闇の中、狐面をつけた銀髪の少女が立っていた。

 昨日も見た、謎の助っ人。サクラは思わず声を上げる。

 「あなた……!」


 だが答えは返ってこない。

 彼女――“ミコト”は、ただ次の札を投げ放ち、空気を切り裂いた。

 札が地面に張りつくと、結界のような紋様が広がり、怪物の足を絡め取る。


 「いまだ。お前の力を見せてみろ」


 その声に背中を押され、サクラは強く頷いた。

 「……うん、やってみる!」


 杖を両手で構え、桜の花びらを纏わせる。

 「幻花乱舞――!」

 無数の光の花びらが夜空に舞い上がり、嵐のように怪物へ降り注ぐ。

 結界に縛られた影の獣は逃げ場を失い、光に切り裂かれながら悲鳴を上げる。


 やがて、怪物は闇の霧と共に消え去った。


 サクラは杖を下ろし、息を切らしながら膝に手をつく。

 「はぁ……はぁ……なんとか……やっつけた……」


 ふと顔を上げると、電柱の上の狐面の少女はもう姿を消していた。

 代わりに、風に乗って一枚の札が舞い降りてくる。

 サクラが拾い上げると、そこには桜の花の紋が刻まれていた。


 「……助けてくれたんだ。ありがとう、“ミコト”」


 夜風に揺れる桜吹雪の幻影の中、彼女は小さく微笑んだ。

 だがその一方で――サクラはまだ知らない。

 昼間、自分の隣の席に座った銀髪の転校生、ユノカ=シオンと、

 この“ミコト”が同一人物であることを。


――秘密の修行


 翌日の放課後。

 サクラ=ミラージュは、校舎裏でひとりため息をついていた。


 (……昨日も結局、あの人に助けてもらった)

 胸のペンダントを握りしめる。

 自分の力で戦えたと思いたい。けれど、もし“ミコト”の札がなかったら、あの怪物には勝てなかっただろう。


 「私、このままじゃ……」

 声に出した瞬間。背後から冷たい風が吹き抜ける。


 「――弱音か」


 振り向くと、そこに“ミコト”が立っていた。狐面をかぶり、銀髪を夜風に揺らして。

 「み、ミコト……!」


 心臓が跳ねる。だが同時に、安堵もあった。

 サクラは思わず前に出る。

 「昨日はありがとう。でも……私、やっぱりまだ戦い方が分からないの。もっと強くならないと、また誰かが……!」


 その訴えに、ミコトはしばらく沈黙した。

 そして、ゆっくりと歩み寄り、サクラの額に指を当てる。


 「……戦う意思はあるようだな」

 「えっ?」

 「ならば鍛える。無駄に力を振るうだけでは、すぐに死ぬ」


 唐突な言葉に、サクラの目が丸くなる。

 「え、えっと……それって、私に修行をつけてくれるってこと?」

 「そう解釈していい」


 狐面の奥の視線が鋭く光ったように感じ、サクラは思わず背筋を伸ばした。

 「……! お願いします!」


 場所を移し、二人は街外れの廃神社に来ていた。

 苔むした鳥居、崩れかけた石段。人の気配はなく、ここなら誰にも見られない。


 ミコトは境内に立つと、札を数枚取り出して空へ放る。

 「まずは基礎だ。魔力の流れを制御できなければ、技など百も無駄」


 札が宙に浮かび、淡い光の結界を描き出す。

 「この中で魔力を解放しろ。暴走すれば札が暴き出す。制御できれば形を成す」


 サクラはごくりと息をのんだ。

 (魔力の制御……昨日も無我夢中で振り回してただけだった……)

 杖を握り、深呼吸する。


 「……やってみる!」


 胸の勾玉が輝き、桜の光が杖に宿る。

 しかし次の瞬間――「ドンッ!」と音を立てて暴発し、光の花びらが四散した。

 「きゃあっ!」

 結界が揺れ、サクラは尻もちをついた。


 ミコトはため息をひとつ。

 「下手だな。心を乱すから力も乱れる」

 「うぅ……そんなこと言われても、怖いものは怖いんだもん……」


 唇を尖らせるサクラに、ミコトは少し間を置いた。

 そして――手を伸ばし、サクラの手の上から杖を握った。


 「目を閉じろ。余計なことは考えるな」

 「えっ、あ、はい……」


 冷たい指先の感触に胸が高鳴る。

 サクラは言われた通り目を閉じ、呼吸を整えた。


 「……花が咲く姿を思え。根を張り、枝を伸ばし、やがて花弁が風に舞う。その循環が魔力の流れだ」


 囁く声は不思議と優しく、心にすっと染み込んでいく。

 サクラはそのイメージを頭に描く。

 すると、杖から溢れる光が柔らかくなり、やがて桜の幻影を象った魔法陣が足元に広がった。


 「……できた……!」

 目を開けると、薄紅色の光が結界を満たしている。

 ミコトは小さく頷いた。

 「今の感覚を忘れるな。それが制御だ」


 「うんっ……ありがとう!」


 その後も修行は続いた。

 走りながら魔法を放つ練習、御札を避けて反射的に魔力を集中する訓練、そして最後はミコト自身が影を操り模擬戦を挑んできた。


 「怯むな、目を逸らすな!」

 「わ、分かってる!」


 額に汗をにじませながら、サクラは必死に杖を振る。

 花びらの光が飛び散り、影を裂き、結界を揺らす。

 何度も転び、何度も立ち上がる。その度に、ミコトの鋭い声が飛んだ。


 夜空に月が昇る頃。

 境内に咲いた桜の幻影が、静かに散っていった。


 サクラは杖を握ったまま、膝をつきながらも笑みを浮かべる。

 「……はぁ、はぁ……やっと、少しは形になってきた……かな」

 ミコトは腕を組み、黙って見下ろしていた。


 やがて、ぽつりと呟く。

 「……悪くない」

 「え?」

 「お前には資質がある。あとは恐怖をどう扱うかだ」


 狐面の奥から何を思うのかは分からない。

 けれどサクラには、その言葉だけで十分だった。


 「ありがとう、ミコト……私、もっと強くなるよ」


 境内に吹く夜風が二人を包む。

 まだ互いの正体を知らぬまま、主従でもなく師弟でもなく――ただ奇妙な絆が芽生え始めていた。

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