ヒロインになる日まで

桃本もも

第1話

 わたしの地元は、キャッチの多い街として全国的に知られている。本当に不名誉なことだ。

 取り締まりが強化され、罰則も設けられたため、いちばんひどかった時期に比べると鳴りを潜めてはいる。


 しかし、若い女の子が夜にひとりで街を歩くのは控えるべきだ。

 街角で可愛らしい衣装を着て歌って踊るなんて、さらにもってのほか……。


♪わたし泣かないって決めたの

 ヒロインになるその日まで♪


 駅前のアーケード。

 書き入れ時の飲み屋街の一角にアイドルがいた。

 

 ピンクを基調とし、フリルとリボンがたくさんあしらわれた衣装に、高く結ったツインテール。

 細い手足が大胆に動いて、くるっと巻かれた髪も肩についたレースもパニエでふんわり広がったスカートも、華やかに揺れている。


 足元に置かれたキャリーケースから音楽が流れていて、さながらそこだけがライブ会場になっていた。

 足を止めて観ている人も、路上ライブにしては多く見えた。


 わたしもつい立ち止まって顔を向けた後、いつの間にか身体を進行方向からアイドルの子へと向けて歌声に聴き入っていた。


「うわ、めっちゃ可愛いじゃん」

「こんな田舎じゃなけりゃ即スカウトされてるわ」


 背後を通り過ぎる酔っ払いたちの声も遠く聞こえる。

 もっとよく観たい。

 人だかりの丁度いい隙間を見つけた。キャリーケースの表面に「星みふね」という字が見えた。


 星みふね……。

 つぶやくと同時に曲が終わり、彼女は決めポーズの後に大きく一礼して再びマイクを口に寄せた。


「みんなーっ、あたしのために足を止めてくれてありがとう! 星みふねっていいます! 美しい舟でみふね! あたしの歌とダンス、どうだった?」


 常連ファンなのだろう、最前列にいる男性たちが「サイコー!」「みふねーん!」と声を上げている。

 星みふねは満足そうに笑って、機材を操作し曲を流し始めた。アップテンポで軽やかな前奏にのせて、ファンに向けて語りかける。


「あたし、絶対もっとキラキラなアイドルになる。みんなといっしょに素敵な景色を追いかけたい。だから……ついて来て! これが最後の曲だよ!」


 コールアンドレスポンスっていうんだっけ……歌詞の合間にファンが合いの手を入れている。ピンクのペンライトを両手に光らせている熱狂的なファンもいる。


 すごいなぁ……こんな田舎でも路上ライブをやる人はいて、観てる人もこんなにいるんだ。

 手拍子ひとつできないままライブは終わった。アイドルには詳しくないけれど、路上ライブとは思えないほど完成度は高く感じた。


 ライブも終わり、観客たちは散り散りになると思いきや、大半の人は列を作り出した。

 どうやらCDを買い求めているらしい。握手をしたり、チェキを撮ったりしてるのも見える。スタッフはいないから、ツーショットを撮っているのは次に並んでいる客だ。


 20人ほどの列がはけていくのをぼんやり遠巻きに見ていると、ファンを捌き切った星みふね本人と目があった。

 大きく手を振って声を投げかけてくる。


「ねぇ、そこのおねーさん。特典会終わっちゃうよ?」


「と、特典会? いや、わたしはたまたま通りかかっただけで……」


「通りかかったのはたまたまでも、最後まで観てくれたのはおねーさんの意志でしょ?」


 星みふねに歩み寄ると、汗ばんだ額に前髪が張りついていることに気づいた。それなのに髪や衣装からは爽やかな香りがしている。

 さっきまでマイクを握っていた手で両手を包まれ、焦りを隠せないまま言い訳めいたことを口走った。


「つい……ちょっといいなって思ったから」


「ほんと!? どの曲のこと?」


「えっと、あの……」


 ヒロインになる日まで、って歌詞の……と言いかけたところで、ざり、とアスファルトを踏みにじる音がした。

 振り返ると、明らかにガラの悪い男三人組がわたしたちを見下ろしていた。


「ちょっとオバサン、長くない? 俺らこの子と話したいから、早くどいてほしいんだけど」


 苛立ちを含んだ眼差しに気圧され、わたしは星みふねの手を振りほどいて脇にどいた。

 男たちは彼女を取り囲むように立ちはだかる。


「ねぇ、さっきの歌すごく良かったよ。ダンスも上手かった。どこかでもう芸能活動してるの?」


「んーん、まだ……でもね、もっとたくさんの人にあたしのこと知ってもらって、いつかデビューしたいなって思ってる!」


 わたしは最後列で観ていたから分かる。

 コイツらはライブを観ていない。終わり際に近寄ってきただけだ。

 星みふねは気づいていないのだろうか。ファンに対するときと変わらず、嬉しそうにしゃべっている。


 男は「じゃあさ」と腰を曲げて星みふねに顔を近づけた。彼女はひるまず笑顔のまま、相対している。


「ウチの店のステージに立ってみない?」


「おにーさんのお店って……ライブハウスとか?」


「まあ似たようなものかな。もちろんギャラは出すよ。どう? 路上ライブより身入りいいと思うよ」


「えー、どうしよっかなぁ。でも郡山こおりやまなんかじゃ、お客さんに業界の人とかいないでしょ?」


「大丈夫、可愛い女の子が好きなお客さんばっかりだから。コネがある人もいるかもしれな――」


 目の前で犯罪めいたことに巻き込まれかけている女の子を放っておくことなんてできない。

 わたしは震える手を握りしめて、しゃり、と弱々しくアスファルトを鳴らした。


「ちょ、ちょっと、お……オジサン? 長くない、ですか」


 男三人の顔が一斉にこっちに向いて、ひぃっと喉が震えた。三人は「まだいたのかよ」と言いたげに目配せし合った。


「わたし、この子とまだ話したいことがあるんです」


「いや、まだ俺らの話終わってねぇし――」


 星みふねの手を取って、こっちを向かせる。長いまつ毛と艶のあるくちびるに目を奪われる。

 握りしめた手は少しだけ震えていた。


「ねぇ、今持ってるCD、わたしが全部買う。チェキも10枚撮って」


「えっ、おねーさん……」


「わたしはこの子のファンだから。CDも買わないでいつまでもおしゃべりできると思わないで」


 なるべく強い口調で言ったけど、臆病が顔をのぞかせたせいで、男たちと目は合わせられなかった。


「はぁ? 何だよコイツ……意味分かんねぇわ」


 捨て台詞を吐いて三人は立ち去った。わたしはアイドルの手を自分から握ってしまったことに気づき、慌てて手を離した。


「助けてくれたの?」


「あ、ああいうのは……はっきり断らなきゃ。あいつらの店、絶対、ライブハウスじゃない」


 まだ震えているくちびるで、カタコトのまま忠告したって恥ずかしいだけかもしれない。

 星みふねは一瞬目を見開いて、またアイドルの笑顔を浮かべた。


「分かってるって。ここでどれだけ路上ライブしてると思ってるの? あんな勧誘、一度や二度じゃない。きっぱり断ることだけが正解じゃないの。どこでファンの方が見てるか分かんないし」


 最後のひと言は小声だった。

 余計なお世話だったのか。


「でも……ありがとね。おねーさん、本当はあんまりああいうこと得意じゃないでしょ? 無理してくれてありがと」


 星みふねはにっこりと笑った。

 目立つ衣装を隠すためか、初夏なのにコートを肩に羽織り、キャリーケースに手をかけた。


「ま、待ってよ。CD。チェキもまだなんだけど」


 自分でもびっくりした。

 そんな言葉が出ると思わなかった。


「その場しのぎの口から出まかせじゃなかったの?」


「まあちょっと……数は盛ったけど……でも、あなたの歌とダンスは本当に素敵だったから」


 星みふねはキャリーケースから手を離し、顔の近くでハートを作った。


「ありがと。改めましてあたし、星みふね。おねーさんは?」


「え、わたしの名前なんて……」


「ファンはあたしの名前を知ってるのに、あたしはファンの名前を知らない。おかしいと思わない?」


 確かにそうかも。だけど、今日知り合った他人に名前を教えるのか。

 わたしは恐る恐る自分の名前を口にした。


「五十嵐……みなと」


「こういうとき本名言う人初めてかも。普通ニックネームとか、SNSのハンドルネームだよ」


「えっ!?」


 アイドル文化なんて知らないから、馬鹿正直に答えてしまった。


「みなとさん、このあと暇?」


 アイドル文化に則るとどう答えるのが正解なの!?

 そんな疑問が浮かぶ間もなく、星みふねはアイドルの笑顔とは違う、少し大人びた笑みを見せた。


「ご飯食べに行こうよ。CDとチェキ10枚の特典でさ」


「特典なんてあるの?」


「今決めた。だって、そんなにいっぱい買ってくれた人、みなとさんがはじめてだもん」


 キャリーケースを引いて歩き出した星みふねに手を引かれた訳でもないのに、わたしは有無も言えず後を追った。

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