滅びの魔女の謀(はかりごと)

空野進

プロローグ

 異世界転生なんて物語の中だけだと思っていた。

 だから――星が辺りを照らす夜中に、十歳ほどの少女の身体で、森の中を逃げている今の状況が理解できなかった。


 ズキズキと頭が痛む。

 身体中に擦り傷や切り傷がある。

 状況を理解できないでいると、背後から怒声が聞こえてくる。



「逃がしてはならん! 殺せ!」

「ひぃっ」



 武器を持った兵士たちに追われる。

 飛んでくる矢は明らかに私の命を狙っているものだった。


 痛む身体を無理に動かす。

 既に息は荒くなり、胸が酸素を欲していた。


 大人しく捕まった方が楽になれるかもしれない。

 そう思った私の横を矢が通り抜ける。


 頬を伝う一筋の血。


 止まったら絶対に殺される……。


 身体に鞭を打ち、必死に走る。


 私の体を矢が掠め、傷が増えていく。


 こんなところでまた死にたくない……。


 些細な願いと裏腹に、私はついに追い詰められる。


 背中には森を流れる川。

 濁流でとても渡れそうにない。


 眼前には剣を構えて迫る兵士たち。

 ギュッと目を閉じたその瞬間に前世の記憶が走馬灯のように浮かんでくる。


 お世辞にも良い思い出とは言えない。転生できたことが嬉しく思うほどに生きていくには辛くて、苦しくて……。

 ようやく終わりを迎えたかと少女の姿になって、突然命を狙われて……。



 ――世界は理不尽ばっか。



 涙が頬を伝う。



「あっ……」



 正面から目に見えない衝撃を受け、私はそのまま濁流の川に飲み込まれた。



         ◇ ◇ ◇



 薄れる意識の中、私の中に前世とは別の記憶が浮かび上がる。

 今世で生きてきた記憶なのだろう。


 魔女と言われ両親に捨てられた私は、森の奥深くで同じく魔女と言われていたお姉さんと生活を共にしていた。


 ちょっとした魔法を教わりながらの生活は貧しいながらも幸せに満ちていた。

 しかし、それも長くは続かなかった。


 それは森に木の実を採りに行った帰り道。



「ふふっ、喜んでくれるかな?」



 綺麗な花が咲いていたので、一輪ほど採って大事に持っていた。



「でも、ちょっと遅くなっちゃったもんね。急いで帰らないと」



 既に日は沈み始めており、少女は必死に走る。

 しかし、夕暮れ時にしては周りが明るい。



「あれっ? また魔法を失敗したのかな?」



 森の中には似合わない、焦げた臭いが漂ってくる。

 不思議に思い、首を傾げるもののそれ以上は気にしなかった。


 異変に気づいたのは、住んでいた小屋が見えてきてから……。



「なっ!?」



 私たちの家が燃え上がっていた。

 それだけではない。

 一緒に暮らしていたお姉さんにいくつもの槍が刺され、血を流していた。

 刺していたのは鎧に身を包んだ見たこともない兵士たちだった。



「魔女は殺せ!!」

「他に仲間がいないか探せ!!」



 血走った目で周囲を見渡している兵士たち。



「ひっ」



 小さく呻き声を上げた私は慌てて木陰に隠れていた。

 すると、私に気づいたお姉さんは笑みを浮かべる。



「イリス……、に、逃げなさ……」



 口を開いたその瞬間にお姉さんを複数の武器が貫いていた。

 お姉さんの瞳から光が消え、そのままゆっくりとした動きで地に伏していた。



「森の魔女を倒したぞ!!」



 兵士が声を上げると周囲から歓声が沸き起こる。



 どうして……。

 私たちが一体何をしたの!?



 心の奥からどす黒い感情が流れてきて止められない。

 溢れ出る感情は黒いモヤという目に見える形で私の体を覆っていた。


 そんな私はすぐに兵士に見つかってしまう。



「いたぞ! 別の魔女だ!」

「まだ子供じゃないか。こいつも殺るのか?」

「魔女は滅ぼさねばならん!」



 すぐに私へ剣が向けられる。

 しかし、それに目を向けることなく私はゆっくりとした動きで立ち上がる。



「私たち、何も悪いことをしてないのに……。どうして……」



 口に出すことを止められない。

 恐怖を感じた兵士たちから一斉に武器を突きつけられる。


 激しい痛みと共に感情が爆発する。



「……こんな世界なんて滅んじゃえ」



 次の瞬間に周囲を巻き込む形で黒いモヤが広がっていく。



「なんだ、これ。離れな……ぐはっ」

「に、逃げろ。魔女の魔法だ!」

「ほ、滅びの魔法だ!こんなのどこに逃げれば……」



 辺り一帯を包み込んだ黒いモヤは周囲のものを消し去ると全て少女に吸収されていった。



「ふふっ……これでよかったんだよね?」



 少女の意識もそのまま消えていく。

 すると、次の瞬間に少女から白い光の柱が立ち上がる。



「お姉さんのところに……行けるかな」



 薄れていく意識のまま、少女は手を空へと掲げる。

 虚ろな瞳から一筋の涙が流れる。



「私はただ……普通の暮らしができたらよかったのに……」



 少女の意識が途絶え、視界が暗転する。



        ◇ ◇ ◇



「私、助かったんだ……」



 濁流に飲み込まれた私は、いつの間にか川岸に打ち上げられていた。


 運が良かった。……いや、あのまま命を落とした方が幸せだったかもしれない。


 私は仰向けになると、空に手を伸ばしていた。


 ――やっぱり世界って残酷だよね。


 世界は悪意に満ちている。

 ただ森の中でひっそりと暮らしていた魔女わたしたちも襲われていた。



「何もしてないのに……」



 悔しさから涙が流れる。



「――っ」



 頬を伝う涙が傷口に当たり、思わず声にならない声を上げる。



「そうだ。私ばかりこんな理不尽な目に遭うなんておかしいよ……」



 涙を拭うと立ち上がる。

 身体の至る所には傷がある。

 先ほど兵士に襲われた時にできた傷ばかりだった。


 魔女わたしが襲われた時の傷がない?


 身体を貫通するほどの致命傷を負ったはずなのに、身体にはそれらしい傷は一つもなかった。


 じっくり見ようと川に顔を映す。

 濁った川に映る自分の姿は生前のものとまるで違った。


 長い銀色の髪は艶がなくぼさぼさ。顔は傷だらけで、土まみれ。

 血のように真っ赤に染まった妖艶な瞳。



「やっぱりない……」



 改めてみても致命傷らしき傷はなかった。

 まるで魔女わたしの記憶が夢だったかのように……。



「……違う。あのときに治ったんだ」



 白い光に包まれて、魔女わたしから私に変わったタイミング。

 おそらくあのときに傷が治療されたのだろう。


 その証拠に服だけは武器が貫通したあとが残っていた。



「やっぱり私――」



 これから待ち受ける悲惨な運命を想像して、思わず口を閉ざす。


 おそらくこの世界で『魔女』は迫害の対象なのだろう。

 つまり、私に味方はほとんどおらず、敵ばかりということだ。


 絶望しかない状況ということを理解する。



「そっか……。私がまともに暮らすには敵を排除する必要があるんだね。そのためには――」



 川の上流を眺めてる。

 私を襲っていた兵士たちがまだいるはずの場所を。


 ……何もしてないのに襲ってきたんだし、自分たちが襲われることも覚悟してるはずだよね。


 私の口から思わず笑みがこぼれていた。

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