カネなし、親なし、子どもなしの【お気楽?】家事
田島絵里子
第1話
カネなし、親なし、子どもなしの 【お気楽?】 家事
はじめに
わたしは六〇代前半の主婦。障がい者年金をもらっている。
1980年代に精神的なショックから職場をリタイアして、以来四〇年近く主婦をしてきた。
しかも、姑と同居。
家を持つほど夫がリッチではなかったせいもあるが、わたしに生活力がなかったというのがいちばんの原因である。
このエッセイは、いかにしてわたしがヘボながらも生活力を獲得していくようになったか、そして月13万でどんな生活をしているのかといったことを、失敗談も含めてお話しする。
その1 姑との相性
まず、姑の光枝について紹介しよう。
初めて会ったのは、彼女がまだ四〇代後半か、五〇代前半だった。第一印象は、「目が大きくて哀しそうな人だな」である。シングルマザーとして一人っ子の正人を育て上げた。子離れしていないウザい女に違いない。
向こうの第一印象を聞いてみると、「長い紫のスカートで地面を掃いてる人」であった。背が一四九センチしかないのに化粧もせずに、オシャレに興味がないのか、と心配になったらしい。彼女は正人の理想の女を「檀ふみ」と聞いていた。わたしはハッキリ言って、「ちびまる子ちゃん」である。落差にめまいがしたそうだ。
このように、姑は思ったことはスパスパ口にする。竹を割ったような性格。それだけに、白黒は明白であり、ウジウジしているのは大嫌いであった。
最初にわたしが夫の実家である広島に来た時は、正人も姑も市営住宅に住んでいた。母子家庭のため、市が用意してくれたのである。自慢するようだが、広島市は福祉が発達している。わたしが障がい者になったときにも、郵送で図書館の本を貸してくれたり、交通費を補助してくれたり割り引いてくれたりしてくれた。「元気じゃ検診」という、定期検診のための補助もしてくれる。背景に原爆というトラウマがある。
その原爆で祖父を失った姑は、赤ん坊の次男を背中にしょって、カマドの火をつけるのがなにより辛い思い出だったと語ってくれたが、それ以上のことは全くなにも言わなかった。職場での同僚の話もしないし、お客さんとどんな話をしているかも言わない。公私が明確と言えば聞こえはいいが、姑がなにをどう感じているのか、判らないのは不安である。そもそも、わたしがぜんぜん家事が出来ないと知った時に彼女は、
「こんな嫁、要らない!」
と食器の水切カゴにこぶしを叩きつけたこともあるのだ。夫が、
「絵里子にはもう、母親はいないんだから、おかあさんが母親になってあげて」
と言うと、彼女の背中は震えていた。
両親から「広島人となんで?」と結婚を大反対され、一時は駆け落ちまで考えたふたりである。母はもう亡い。話の合わない父が待つ実家に、どの面さげて帰れるだろうか。それに、わたしは姑のこの姿に、「将来」を見ていた。陰にまわってチクチク嫌味を言ったりする人じゃ、なさそうだ。その意味では安心だった。要らない嫁だったら、要るようにすればいいのである。わたしの負けじ魂に火が点いた。
義母から、この家の味を教えてもらうことから始めた。考えてみると、それは姑に気に入られる一つのきっかけになったかもしれない。反発したり価値観のズレで衝突するという危険がなかったからだ。
その2 家風と料理(初心者編)
それぞれの家には、それぞれの味がある。大袈裟に言うなら、結婚とは異文化衝突。
わたしの場合は、それは「大根」に現れた。
正人がわたしにプロポーズした言葉は、「きみの味噌汁が食べたい」だった。ちなみに正人は料理上手である。「コック・オ・ヴァン」(フランス家庭料理)や「グリーンピースのポタージュ」などを作って、わたしの胃袋を直撃したこともあった。
これはもう、プロだ。今後は彼が家事をしてくれるのかと期待したら、彼は言うのだ。
「亭主関白になりたかったら、おれも料理の一つぐらい出来なきゃね」
ふーん、そっちが「関白」ならこっちは「かかあ天下だよ」と反発もしたが、味噌汁は家では作ったことがなかったので興味はあった。
味噌汁。
日本人なら、だれでも一度は飲んだことがあるだろう。
具はなんでもいい。わかめ、大根、あぶらげ、ほうれん草。卵を入れるパターンもある。学校の家庭科では必須のレシピで、基本中の基本。
しかしわたしは、実家では作ったことがない。なぜって? SFやファンタジー本を読むのに夢中だったからだ。
佐藤さとるの『だれもしらない小さな国』シリーズ、C.S.ルイスの『ナルニア国ものがたり』、ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生シリーズ』J.R.R.トールキンの『指輪物語』などはもちろん、
三流どころではバロウズの『火星シリーズ』や、栗本薫の『グイン・サーガ』(ノスフェラス編)も読んだ。
手塚治虫の『火の鳥シリーズ』も読んだし、アイザック・アシモフの『われはロボット』やアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』も読んだ。
いちばん読んだのは星新一(通算百冊)だが、ともかく家では勉強するより、読書するのがオススメだった。家事はしなくて良い。能ある鷹は爪を出せ、が実母のポリシーだった。
大阪から広島に来てしまい、住むところがないわたし。姑から要らないと言われた以上、引っ込みがつかなくなった。正直に言うなら、悔しくなったのだ。
見返してやりたい。やれば出来る。母の遺言だった。人生は根性だ。
よし、やってやる。わたしは張りきって大根に包丁を入れた。
皮を剥くぐらいのことは、学校で習ったから覚えている。肝心の具をどうするか、三〇年経つので忘れている。
まあ、いいや。なるようになれ。
テキトーに切ってテキトーに煮て味噌汁を作り、指が傷だらけになった。
仕事から帰宅した夫と義母に味噌汁を出した。
義母は叫んだ。
「味噌汁の大根が、乱切りになってる!」
なにが異文化衝突だ。基本がなってなかった。
しかもこの乱切りの味噌汁には、味が染みていなかった。
本来、千切りでなければならないのだ。そんなことすら身に付いていなかった。
ひどいものを出したものだ。姑が怒るのは当然だし、実家へ戻れと命じることだって出来たはずだった。その権利は彼女にある。借家権は彼女にあった。
ところが、義母はわたしの顔をあきれたように見ただけで、
「じゃあ、私が見本を見せるから、そのとおりに作りんさい」
と言うのである。
赤ん坊の弟をしょって五歳から家事をしてきた彼女と、主婦歴ゼロのわたしでは、差があって当たり前だと割り切ったのだ。このあたり、義母の柔軟さには驚かされてしまう。だれでも自分を基準に考えるものだ。弁舌さわやかな人は、コミュ障なんて理解できないし、プロの歌手にはなぜ音痴が存在するのか判るまい。
母子家庭ということで、色眼鏡で見られたこともあったようだが、偏見に負けてなかった。もう一つすごいと思うことは、家の家風がふつうとは違うこと。
この家の家風は、義母とその息子のやりとりを見るだけでも明白だ。親子と言えどもお金の貸し借りはしっかりしており、息子にお金を貸せば息子はバッチリ全額返す。
「今日は、私のわがままでカキ入り広島風お好み焼きを食べたから」
という理由で、高いお好み焼きの代金を、義母は自腹で払う。
その代わり、夫が自分のわがままでラーメンを食べたりすると、しっかり息子に払わせる。
目下でも侮らず、対等に扱うところは、なんだか西洋文化だった。
そんなこんなで、わたしは学校で習った料理の基本を再び義母から履修することになった。勉強も大事だが、基本中の基本はもっと大事だと学び、ひとつ賢くなったわけだった。
その3 家事はやる気になりにくい
片付けの場合(ズボラ主婦の主張)
そうは言っても、家事はだいたいやる気になりにくい。だいたい夫が家事に協力的で、ゴミ捨てや家計に関しては自分に任せろ、というタイプだったので、わたしのやれることと言えば「料理」と「掃除」ぐらいなものである。単調になりがちだ。
義母は洗濯して洗濯機から取り入れ、畳むのと朝ごはんを作るのが担当だった。
こういうふうになったのは理由がある。
第一に、全員で家事をすることで、ひとりが苦労して家庭を繕う必要がなくなる。
これは、わたしが嫁に来て最初の月に、家族会議で決まったことだった。夫が議長になり、姑は意見を挟み、わたしの意見を踏まえて、そういう形になった。
会議で夫は、わたしが家事音痴だと言うことを率直に述べ、わたしの意見を求めた。事実を否認しても意味がないので、それならどうすればいいのか助言を求めると、姑が、仕事があるけど基本は教えるから、応用は自分でやってみたら、という。
当面、それでやってみることになった。
これで家族全員、気分的にもラクになるし、「わたしはダメ主婦」という劣等感から解放されて自由になった。
家事なんてろくでもないものだという実母の意見は、結局は「出来ないなんて認めたくない」という凝り固まった思想だったのである。
なにもかもひとりで出来るわけがない。自分の人生を孤独に背負える人は限られており、だれもが周りに支えられて生きている。選べない環境や立場はあるのだ。
掃除担当になったので、ふとした機会である業者に掃除方法について聞いてみた。
「やりたい方法でやればいいですが、お宅の場合はフローリングの材質上、水拭きはしない方がいいでしょう」
人によって環境が違うから、そういうアドバイスにもなる。お掃除ロボットを、いまだに使っている人もいるかもしれない。わたしの場合、箒で掃くのが面倒なので、クイックルワイパー(あだ名は「ヘコヘコ」)を使っている。
しかも丸く掃いている。義母は文句一つ言わない。トイレ掃除もサボり気味だが、ひと言も注意しない。気がつくまで待ってくれている。
この信頼には、身に沁みるものがある。なのに掃除はサボりやすい。トイレ掃除専門ロボットが欲しい。
でもきっと、そのロボットって、メンテ費用がかかるだろうな。パソコンみたいに、定期的に買い替えとかあったら困る。ロボットという便利さと引き替えに、なにを犠牲にするかをよく考えてみよう。
あれこれ懸念は多い。ロボットをどこに収納するか。電気代は? 故障の場合どうする? 今でさえ、パソコン&スマホを持て余してるのに……。でも欲しいなー。
片付けや掃除は、主婦の永遠の課題だろう。
わたしが片付けを苦手とするのは、「手の届く範囲に欲しいものがある状態」のためもある。ふつうに考えれば、こまめに片付ければものは片付く。ちょっと出した物をあった場所に戻すだけ。その手間が惜しい。
断捨離も、掃除の内といえる。要らなくなった物は思いきって捨てる。掃除と同じように不用品を片付ければ気分はすがすがしい。
ところがそれが判っていても、断捨離が出来ない。わたしの衣装ダンスの中に眠っている衣装の半分は、もう着なくなった服だ。だが、あの時この服を選んだ高揚感は忘れがたい。家族も近所の人も、昔着ていた服を「似合う」とか「可愛い」と言ってくれた。
服を捨てたら、その評価も捨てるみたいな気がする。せっかく嫁に来て、それまで無関心だったオシャレに目覚め、承認欲求も充たされてるのに、それを
そういうわけで、着ている服は流行遅れ。新しい服も溜まる一方である。メルカリで買ってくれる人はいるだろうが、手数料などを取られてまで、知らない人に愛着のあるものは渡したくない。
なんという、わがままな主婦であろうか。「いずれダイエットしたらきっと着る」と決意して三〇年間、戸棚に入ってる服を見ながら、ため息をつく昨今である。
その4)広島風ノリツッコミ
夫はわたしの治療の一環として、家事をさせている。
特に料理は、創造性が試される分野である。わたしの好きなエッセイ書きと、通じるものがある、と正人は主張した。
夫はIT技術者である。わたしも罹病する前はIT技術者だったので、論理的に説明されると妙に納得してしまうところがある。よくITに関係する人は、冷たいとか、理詰めで考えすぎ、と言われるわけだが、夫はわたしを見るたびに、
「可愛い奥さん」
「猫みたい」
「笑顔がいい」
「見ていて飽きない」
結婚して四〇年近く、よくもまあ、飽きもせずに毎日のように褒めるものである。別にのろけているわけではない。彼にだって欠点はある。
人間の感情を白黒はっきりさせてしまう面である。敵と見做したら、たとえ相手が折れてきても、決して許さない。譲歩はするが、安堵はしない。特に、自分を傷つけた人には、容赦ない視線や態度をする。このあたりは、さすがサソリ座だなと思う。
正人がわたしに対して飽きていないのは、結婚を大反対し、正人を罵倒していた母が、死に際になったとき彼に、わたしを託したからだった。
要するに、亡き母の期待に背かないという、彼なりのポリシーがあるからだ。
だから、わたしに生活力がないと知ると、自分が先に死んだらどうなるかを考えてしまったらしい。シニア主婦に先に死なれた旦那が長生きできないのは、生活力がないからも一因、というのが正人の分析である。
しかも彼の主義は、「男は女のための消耗品なので、女と対等なのが当たり前」なのだそう。男と女が対等だったり、年下だろうと才能があれば認める、というのは、わたし自身がそうなので価値観は一致していた。
基本的なところで一致しているのなら、それ以上のことを求めるのは贅沢というものである。
ということで、わたしはまず、味噌汁という基本的な料理の手順を教わることになった。義母はまず、わたしがいかに無知であるか、そこのところを面白がった。
「にゃんちゃんったら、味噌汁に出汁も入れないんじゃけ」
「出汁ってなに」
「料理の下味に使うもの。そうじゃねえ、かつおやこんぶが有名だけど、広島だったらいりこも捨てがたいね。正人はいりこがきらいじゃけど」
「いりこってなに」
「小イワシ、つまりカタクチイワシの干したのよ。出汁をとったあとは、子どもの頃は鶏の餌にしてたかな」
彼女の母親が教師ということもあって、人に教えることが苦ではないらしい。わたしも、知らないことを教わるのは苦ではなかった。時に感心し、時に戸惑った。
「にゃんちゃんね、ドクターが言っちゃったけど、あなた椎間板ヘルニアになったんじゃって?」
「言っちゃった……」
「あ、つまり、おっしゃったの広島弁ね。『しまった』って意味じゃないんよ。
まあともかく、たちまちヘルニアの民間治療には温泉が……」
「たちまち」
「ああ、とりあえずって意味ね。『あっという間』ってのと違うのね」
ふたりでコントしませんか。ぜったい吉本でウケそう。
カルチャーショックは、その程度で済んでいるからいいようなものだが、広島で大阪のノリツッコミをすると相手を傷つけることもある。ボケをかますと相手に気を使わせてしまうし、異郷に住むのはまことに難しい。
ともあれ、関西人的背景のわたしには、関西の泥臭いド根性とポジティブ精神が元来あったらしい。どんなに義母からダメ出しを食らっても、わたしは決してあきらめなかった。
いや、むしろ義母はダメ出しはしなかった。あきれても、まずくとも、出された物はちゃんと食べてくれたのである。だからわたしは却って燃えた、というのが真相だった。持つべき者は理解ある姑である。
その5)わたしなりの家事論:スーパーストア編
家事でいちばんウエイトが高く、また、世の主婦・主夫たちに関心があるのはおそらく料理だろう。料理レシピを公開する動画やサイトは数知れず、本や雑誌、テレビ、ラジオ、供給するほうも多彩である。
これだけ供給があると、こちらも目移りして考えてしまう。
――私の料理って、ショボくない?
安心してほしい。わたしのようなダメ主婦でも、月13万円でなんとかやっている。母の遺産を個人年金に充て、2カ月に一度のペースで年金に充填しているのである。ちなみに小遣いは月三万円である。
どうやってそれを実現しているか。
そのキモとなるのが、スーパーストアなのである。
ご存じの通り、料理には材料が必要だ。スーパーにはバランスの良いものが主に並んでいる。野菜や肉、豆類など、多くの種類を家族に食べさせてやりたい。出来合いの冷凍食品を買ってくるにしても、弁当だったらどのくらい品数を使っているのか、今高い野菜は冷凍食品になったらどれくらい安いか、鵜の目鷹の目で見るのが主婦というものである。
セコい? 貧乏人には観察力が全てなのよ!
その上で、毎日バリエーション豊かな料理をつくる、となったら、これは企業に勤めている人と同じである。その場でいちばん安い食材でなにが料理できるかという「とっさの判断」は、すべて買い物する人間に任されている。
大事なのは立案・計画・実行ではなく、
「その場でなんとかすること」
だ。限られた資源と時間の中で、どれだけ出来るか。それを考えたら「がんばらない料理」という概念は、理想論である。わたしのような底辺Blog書きにはふさわしくない。
その上、わたしは糖尿病境界である。
わたしが糖尿病境界者であることが判明したのは、二〇二五年六月の人間ドックで検査を受けた後だった。
料理と言えばそれまでは、ハンバーグ(初期のころはパン粉を入れすぎて白くなった)、冬にはシチュー、手作り塩ちゃんこやグラタン、春夏秋には野菜炒めや麻婆茄子や餃子など、好きな物ばかり料理して食べさせていたのが原因だと思われた。
健康に良くて、安くて、すぐ出来て、しかも美味しいもの。
それが、家事歴四〇年のわたしの肩に、ずっしりとのしかかってきた。のんきに「がんばらない」などとは言ってはいられない。
だけど。
根は詰めたくない。わたしには家事センスがまったくないのだ。
自慢じゃないが、中学生の頃には家庭科は五段階評価で一だった。ブラウスを作る際に、前身頃を裏表おなじ型でつくり、せっかくの花柄ブラウス地が台無しになったこともある。
家庭科の先生がニンジンを「みだれぎり」と言っているのを、「らんぎりです」と指摘できなかった気の弱さもある。
ところがそんなわたしの仕事といえば、家庭に伸びてきた物価上昇というモンスターを撃退し、義母や夫という城主たちに、満足してもらう主婦。
「だれでも出来る仕事じゃないか。社会的には貢献していない」
という意見もある。しかし、もし道徳の教科書の言う通りなら、家庭は社会の基盤である。企業がどんなことを言おうと、会社の空気がどうあろうと、最終的にその人を最後まで面倒見てくれるのは家族。
それに生成AIが出てきたおかげで、企業はそれほど新人を必要としていない。となれば、生成AIの出来ない仕事を積極的にやっていくしかない。
その賢いロボット(生成AI)の出来ない仕事のひとつが、主婦の仕事だとわたしは確信しているのである。
家事には、生成AIの苦手な部分がやたらとある。さっき言ったトイレ掃除だって、ロボットに完璧に出来るかと言われると、どうかなと思う。細かい床や内部の汚れ部分までは対応できないのではないか。
もちろん料理もそうだ。近所のスーパーを渡り歩き、
「このスーパーではこのオリジナルブランドが安いが、この野菜は高い」
とか
「この商品はこのスーパーにしかないから、ついでにほかのも買っていこう」
といった判断は、ロボットには絶対出来ない芸当だと思っている。
なぜなら、そういう『思考』の部分は、人間の得意とする概念だから。元IT技術者として当然だが、生成AIはわたしの守備範囲だ。
しかしそれらは「どうやって」課題を実現するか、は得意だが、「なぜそうなのか」までは突き詰めて考えられない。
あるスーパーのウリを見つけること、それはたしかにAIにはいずれ出来るかも知れないが、「そのついでにほかの安いのも見つけよう、なぜなら今がお買い得かもしれないから」とかいう機転は、ちょっと期待できそうにない。
貧乏人なので、百貨店やコンビニより、スーパーばかり行くのがご愛敬だ。
そんなわけで、一般スーパーのはしごをしたり、業務スーパーで食材を買ったりして、家計を必死で守っている。
生成AIを使えば、もっと有効な資産運用が出来るのだろうが、個人情報漏洩が心配でやっていない。それに、生成AIはウソをつくことがある。要注意だ。
その6)わたしなりの家事論:料理編
わたしが主婦になって四〇年、スーパーにならぶ商品も様変わりしてきた。
以前は「ズイキ」や「トウイモ」という食材も売られていたのだが、今の若い奥さんには通じるまい。
わたしの今作っている料理だって、いずれはレシピが消え失せる可能性がある。一時期ブームだったシュクメルリだって、今家庭でどのくらいの人が作っているのだろうか。まだ作っている人が居るなら、わたしはうらやましい。糖尿病境界者には、もはや手に届かない食事だ。
わたしの家で冬になると、ブームになるのは「伊勢うどん」である。二〇二五年に実家の伊勢へ墓参りへ行ったときに、地元のスーパーでタレだけ買ってきた。
知っている人は知っているが、伊勢うどんのタレは黒い。タレの量は丼ばちに計量スプーン1パイ分。ちょっと甘いので、それに伊勢うどんの「たまり」も計量スプーン半分ほど入れる。
生卵を下に敷いて、ゆでたうどんをそこに入れ、かき混ぜるとできあがりだ。
簡単だし、昼食にはもってこい。伊勢うどんに卵を入れるのは、実家では邪道だと言われていたが、広島ではそれが好評である。地方によってアレンジが違うのは、仕方ない。
こんなふうに料理が上達するまでの道のりは、決して安穏たるものではなかった。料理じたいは好きなのだが、持病がたびたび発現して、義母がその介護に必死であたってくれた。
それが散発的に、何年にもわたったのだ。病院に閉じ込めることだって出来たのに、姑は自分で働きながら、わたしを介護してくれた。しかも、そのことを決して恩に着せなかった。並大抵の人ではない。
ズイキやトウイモの料理法を教えてくれたのも義母である。ついでに言うと、広島独自の小イワシの調理法も、彼女が教えてくれた。わたしを見るたびに、
「にゃんちゃんって面白い」
「にゃんちゃんは、どこが偉いんかわからんけど、偉いんじゃねえ」
と、ニコニコしている。
そんな彼女が教えてくれた中では、「おいしいめんつゆ」という汁と、「ラカント糖質ゼロ」という調味料が印象的だった。
夫もわりと調味料にはこだわる方で、小豆島へ家族旅行したときに気に入った高価な醤油を、一点豪華主義でわざわざ通販でとりよせていたが、糖尿病が発覚したためいまは減塩醤油を使っている。
和風料理には「おいしいめんつゆ」は必需品だ。肉じゃがに使うのはもちろん、大根とニンジンと鶏肉の煮物やおでんといった煮物にはこれがないと話にならない。
洋風の料理に使うことも時々ある。たとえば、スパゲッティトマトソースの隠し味だ。うちでは、みじん切りにした玉ねぎを炒めてトマト缶のトマトをぶっ込み、そこに小さじ1パイ分の「おいしいめんつゆ」を入れ、最後にチーズを加える。オススメ。
その7)デジタル器機も、必需品!
わたしは八〇年代からパソコンを使っている。その経験から言うなら、パソコンは生活の質を向上させるのにうってつけの道具である。
たとえば、通販会社Amazonや楽天、ヨドバシカメラでは、注文した商品を持参してくれる。年寄りにはもってこいのハズなのだが、「ネット通販は怖い」と尻込みする人が多いと聞く。最近、ビール関連の大企業で不祥事が発覚したことから、神経質になっているようだ。
IT技術者から見ると、それならパソコンやスマホなんかしなければいいのに、と思う。ネット環境にある以上、個人情報が漏れる危険は常にある。わたしなどは、一度ならずネット詐欺に遭いかけたことがある。だがそれでも言う、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」。
自分の時間は限られているのだ。必要な手間とそうでない手間をしっかり見極める意味でも、通販は年寄りには福音のはずなのだが。
とはいえAmazonの商品評価については、サクラもあるので要注意だ。サクラを見わけるツールも出ているし、それまでの商品の値段の推移を比較するツールもある。
よいものを安く買ってポイントを溜め、さらに健康によいもの、家事に役立つものを買っていく。もちろん自分でも、詐欺に遭わないだけの賢さも必要だ。
わたしは家事音痴かもしれないが、ITについてはそれなりに経験を積んでいる。料理の経験からも、無知でいることがいちばん良くない。デジタル器機はわたしには必需品だ。そして今後も、家事にデジタルを絡ませていくつもりでいる。(了)
カネなし、親なし、子どもなしの【お気楽?】家事 田島絵里子 @hatoule
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