第4話 記憶

彼女がいなくなってから、何度数えただろう。

星空を見るたびに、あの日の白が蘇る。

病室の、真っ白な天井。

崩れ落ちる足。

伸ばした手が届かなかった。

あの光は、もう二度と戻らないと思っていた。


でも。

それでも、俺は彼女のいる世界に立ち続けるしかなかった。

澤村大学付属病院——そこが、俺の“罪”の現場だからだ。



鈴奈はその日、偶然にも休みだった。瑛太が当直をした翌日で、買い物に出かける途中、駅前で彼と出会った。


「もう帰るところなんだ」と瑛太。


鈴奈は心の中で思った。

早く帰って休めばいいのに。

なぜ今、ここで瑛太とごはんを食べなければならないのか。


当直明けの瑛太はお腹を空かせていた。


しかし、昨日の出来事が影を落とし、鈴奈の胸には気まずさがあった。


瑛太はそんなことに気づかず、目の前のミートソースパスタに夢中だ。


「食べないの? 食べないならもらうけど」 「食べるよ! 食べるに決まってるでしょ!」


昼時のチェーン店は人でいっぱいだった。二人は黙々と食事を始める。

食べ終えた瑛太は口を拭き、鈴奈に目を向けた。


「昨日の話なんだけどさ」


鈴奈は少し身を乗り出す。


「よくわからないって?」

「内容がさ…」


瑛太はグラスの水を一気に飲み干す。少し間を置いてから言った。


「俺、あの時のこと、鈴奈がケガしたことしか知らないんだ」


「どういうこと?」


瑛太はそっとグラスを置き、うつむきながら話す。

「その日、莉愛に連絡があって病院に行ったんだ。そこでケガをしている鈴奈を見つけた。でも、鈴奈は何も覚えていなかった。」


彼はおかわりの水を頼み、少し口をつけながら話を続けた。


「その時、何があったのか。どこでけがをしたのか。誰にけがをさせられたのか。だから事故としか言えなかったんだ。幸い、ほとんどのことは覚えている。でも、9月ぐらいから12月の間の何かを忘れている。それだけなんだ。本当に。」


「そうなんだよね。目が覚めたら病院のベッドの上で、なぜケガしたのか思い出せなかった。救急車で運ばれたらしいけど、倒れていたことしか聞いてないの。」


鈴奈は食べかけのフォークをそっと置いた。


「なんで急にそんなこと聞くんだよ」


瑛太は少しムッとした表情を見せた。


なんでだろう、鈴奈自身も不思議だった。他のことは覚えているので、特に不便はないはずなのに。


「ごめん、なんかよくわかんないけど、なんとなく」


「いい加減忘れちゃえって。ほら、食べて帰ろうぜ。俺眠いわ」


勝手に誘っておいて、それはちょっと理不尽だと思ったが、鈴奈は言葉を飲み込み、残りのパスタを食べ終えた。


食事を終えた瑛太は「帰って寝る」と言い、立ち上がった。帰り際、小さな声で付け加える。


「俺も、莉愛も、心配していたことは忘れないでくれ」


“分かってるよ…”


鈴奈は下を向きながらつぶやいた。二人に心配をかけたことは理解している。


しかし、自分の中には、抜け落ちている何かがずっと気になっている。


忘れていることはないはずなのに、思い出せない何かが胸の奥でざわついていた。


このモヤモヤした気持ちはどうすればいいのだろうか。もう気にしない方がいいのか。


鈴奈はその答えを見つけられないまま、街を歩き続けた。

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