第3話 友達

七瀬鈴奈

鈴奈は今年28歳。高校卒業後に大学に進学し、薬剤師になった。最初は小さな病院の薬局で働き、現在は大学病院に転籍している。


胸元まである髪は一つにまとめられている。昔はもっと長かったが、大学時代の一部の記憶が失われているため、はっきりとは覚えていない。


事故に遭い、大学一年次の後半の記憶が抜け落ちていた。

白い天井。

消毒液の匂い。

気づいた時にはベッドの上だった。


授業内容や人の顔は覚えているものの、何かを忘れている感覚はぬぐえない。

事故当時の記憶だけが欠落している。


親友の桃宮莉愛ももみやりあのことも、幼馴染の大鷹瑛太おおたかえいたのことも覚えている。

しかしそれだけで、本当にそれだけだったのだろうか。

誰も何も語ってくれない。


「なんか、忘れてないかな?」


以前、莉愛にそう尋ねたことがある。すると莉愛は「そお?なんかあった?」と答えた。瑛太も同じ反応だった。


桃宮莉愛ももみやりあは大学で知り合い、同じ学部ということもあり仲良くなった。気立てが良く、可愛らしい面立ちから男子学生には特に人気があったが、本人はあまり気にしていなかった。


大鷹瑛太おおたかえいたは幼馴染で、ご近所という関係だ。高校が別々になったため、頻繁に顔を合わせることは少なくなった。それも当然のことだ。


以前、瑛太がかわいい綿菓子のような女の子と一緒にいるところを目にしても、鈴奈は特別な感情は抱かなかった。恋心ではなく、仲の良い兄弟のような存在だと思っていた。


ある日、玄関先で瑛太に「この間の彼女?」と尋ねたところ、彼は「別に」とだけ言い、家に入っていった。

その後は少し気まずくなり、話さないまま時間が過ぎた。

大学で再会したときは驚いた。


その後、瑛太は医者になり、まさか澤村病院に勤務しているとは思わなかった。


入院患者について内科の先生と話すことが多く、鈴奈は思わぬ場面で彼と再会した。

久しぶりに会った瑛太は変わらず、当時のままだった。


莉愛は別の病院で働いており、時間が合えば定期的に会っていた。


ある日、廊下ですれ違った瑛太が声をかける。


「鈴奈、今日、日勤?夜勤?高梨先生が飯でもって」


「今日は日勤。さっき高梨先生に会って声かけられたけどお断りしたよ」


瑛太は「大変だな。お前も」とだけ言った。


鈴奈と瑛太は近くの自販機でお茶を2本買い、空いている椅子に座った。


「はい、瑛太の分。今日当直なんだね」


横に座った瑛太は、もらったお茶のキャップを開け、少し口をつけてから閉じた。

その動作から微かな緊張が伝わってくる。


「そう。当直。珍しく回ってきた」


鈴奈はその様子を見ながら、何か聞きたい気持ちが湧いた。

心臓が少し高鳴るのを感じる。


「ねえ、瑛太。ちょっと聞きたいんだけど…」

「なんだよ」


ぶっきらぼうな口調だが、彼なりに気を使ってくれているのだろう。鈴奈は眉をひそめ、少し微笑む。

ああ、顔はやっぱり整ってるけど…と心の中で思う。


「ねえ、あたし、なんか忘れてるよね。あの事故の時、何があったのか、瑛太は知ってるんじゃない?」


その言葉を投げかけた瞬間、瑛太の眉がわずかに下がり、目に影が差すのを鈴奈は見逃さなかった。


夕日が空を染める中で、彼の肩に力が入り、息遣いが少し荒くなっているのがわかった。彼は何かに耐えているように見えた。


人の名前も授業も覚えている。


なのに、なのに。


この空いている感覚は何だろう。

何か分からない。

分からないのにものすごく自分に足りない気がする。


莉愛は事故にあったのとはいうが本当は事件に巻き込まれたのを鈴奈は聞えてしまったのだ。


目が覚めた時に噂していた人の声が。


誰の声かはわからなかった。


刺されたのだ。------誰に?わからない。

犯人は捕まっていない。

その時の事も鈴奈は覚えていない。

気付いたらベッドの上だった。ということしかわからない。


“自分が、何でそこにいたのか”


“どこで何をしていたのか”


“なぜ刺されたのか”謎は深まるばかりだ。


傷もほとんどなくてよほど綺麗に縫ってもらっていると分かる。


鈴奈は退院してから新聞などを色々読んだ。自分が“なぜ”病院で目を覚ましたのか。


事故と聞いて車の事故かと思ったけどそうじゃない。


“そうじゃない”

と心が分かっている。


でも何故なのか。

それが分からない。


誰も何も言わないのだ。なぜなのだろう。どうして誰も何も言わないのだろう。


分からない。ただ一つだけ言えるのはこの何とも言えない感じを

どう表現していいのかわからない。

それだけだ。


・・・・・りん・・・・


また聞こえた気がした。


なんか泣きたくなる。


胸がざわめく。


気のせいだろうか。


自分は疲れているのではないか。


そんな葛藤の中、かすむように聞こえた“それ”は懐かしい感じがした。


ーーーそれは大学の最初の方。

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