第4話

 冬の気配が差し迫った頃、グリーデ侯爵の元に一通の手紙が届いた。緊急の密書である。


――――父上、僕を助けて下さい。


「アゼル、何があった」


 手紙を読んでグリーデ侯爵はすぐさま息子の元へと駆けつけた。冬の訪れを告げる季節、本来なら冬支度を済ませる頃だ。そんな時に辺境の地で暮らす息子から助けを求められれば、おのずと要件は一つだ。


「…………」


 中からは無言で鍵が開けられた。グリーデ侯爵はそっと扉を開けて中に入る。薄暗い室内からは、確かに息子の気配がした。


「アゼル?」


 ついたての向こうにふんわりとした寝台が見える。息子はその中にいる。室内は魔道具のおかげで随分と暖かいのに、なぜ息子は布団の中に隠れているのだろう?


「アゼル、どうしたのだ?風邪でもひいたのか?」


 二度目の冬に油断して風邪でもひいたのなら、薬のひとつでもすぐに持ってこさせるところだが、様子がおかしい。


「アゼル、顔を見せてくれないか」


 そう言いながら布団をめくれば、中にはクロヒョウの姿をした息子が横たわっていた。しかも


「アゼル、その腹はどうした?」


 細くしなやかなクロヒョウの体に似つかわしくない大きく膨れた腹、悲しげな瞳が父であるグリーデ侯爵を見つめていた。

 そっと触れてみれば、その腹の中に命が宿っていることはすぐにわかった。先祖返りが強く出た息子である。そのため繁殖能力も桁違いに高い。たった一人でこんなところにいた事が仇になったとしか言いようのない結果である。


「急いでジャゼル辺境伯を呼んでこい!」


 グリーデ侯爵は扉を開け外にいる護衛騎士を怒鳴りつけた。侯爵子息である息子にこんなことができるのは一人しかいない。より強い個体を求めるのは本能なのだから。


「アゼル、一人でよく頑張った。安心しなさい、父が付いているからな」


 寄りにもよってこんな時期である。魔道具を操作して部屋の温度を上げつつ、グリーデ侯爵は湯の支度を始めた。温かなタオルで息子の体を拭けば、うっとりと目を細める。腹の大きさから言ってもソロソロだろう。先祖返りが強いということは、全てにおいてそうなのだ。


「ジャゼル辺境伯が到着しました」


 外から一際大きな声が聞こえた。馬の嘶きも聞こえる。相当急がせたのだろう、馬を落ち着かせるために何やら騒がしい。


「ジャゼル辺境伯、こちらに」


 扉を開けてジャゼル辺境伯だけを中に入れる。施錠は魔道具だ。


「一体何が?」


 慌ててやってきたものの、要件が全く分からずジャゼル辺境伯は目線を彷徨わせる。


「分からぬか」


 いらだちを抑え、グリーデ侯爵は衝立の奥に案内した。だが、その途端恐ろしい肉食獣の威嚇が聞こえた。


「アゼル、落ち着きなさい。ジャゼル辺境伯を連れてきた」


 グリーデ侯爵の声を聞き、その威嚇は消えたけれど、今確かにアゼルとい言った。だが、聞こえたのは肉食獣の声でアゼルの声では無い。


「覚えはあるな?」


 グリーデ侯爵はそう言って布団をめくり、中に横たわるクロヒョウをジャゼル辺境伯に見せた。クロヒョウと目が合うが、その眼圧に負けて慌てて目を逸らす。だが、視界にはきちんとその姿が映っていた。細くしなやかな体に似つかわしくない腹が。


「……」


 言葉を失ったジャゼル辺境伯を見てグリーデ侯爵は確信した。そしてジャゼル辺境伯にアゼルのための餌を用意するよう指示を出し、飢えと戦っていたアゼルの口に細かく刻んだ肉を押し込んだ。生々しい咀嚼音を立てアゼルが肉を食べる様を見て、ジャゼル辺境伯の顔色が見るまに無くなっていった。


「何をしている。そろそろ来るぞ。湯桶の用意だ」


 グリーデ侯爵に指示を出され、言われた通りに動くジャゼル辺境伯は、もはや何も考えられなかった。程なくして満月の夜に産まれた子供は二匹。最初に生まれたのはクロヒョウ、次に生まれたのはバイソンだった。


「間違いないな?」


 ジャゼル辺境伯は頷くしか無かった。


「ケジメはつけてもらう」


 グリーデ侯爵は懐から婚姻届を取りだした。勘が働いたのか、用意がいい。


「さすがに私生児は醜聞が宜しくない。それは分かるな?卿はさすがに愚か者ではあるまい」


 ジャゼル辺境伯は黙って頷きサインを書いた。


「アゼル、名前が書けるか?」


 出産の疲れで眠っていたアゼルに優しく声をかけるグリーデ侯爵であったが、目を開いたアゼルはイヤイヤと首を振る。


「私の可愛いアゼル、このままではお前の子が私生児になってしまう。それは不幸だ。分かるね?」


 モゾモゾと動く布団から、アゼルの手だけが出てきた。


「ここに書くのだよ」


 グリーデ侯爵が、優しく教えるとその手は震えながらも正しくサインを書いた。


「春になったらそちらの邸で共に暮らしてもらう」


 テキパキとグリーデ侯爵が指示を出し、ジャゼル辺境伯はそれをひたすらメモするだけだ。肉食獣の獣人の暮らしは草食獣のジャゼル辺境伯にとって未知なことだった。何より、先祖返りが強いアゼルはこの小屋のような離れに住む必要があるからだ。

 そうして春になり、アゼルが住むための立派な離れも用意されアゼルの産んだ双子ははれてジャゼル辺境伯の子として迎えられた。式はあげていないものの、アゼルは正式な妻である。


「私は草食獣だが、ずっと君を食べたいと願っていたのだ」

「僕を、食べたいの?」

「そうだ。それと同時に君に食べられたいという思いもあった」

「僕に、食べられたいの?食べてもいいの?」

「今はまだダメだ。いずれ、君の産んだ子が成人したら、それまで待って欲しい」

「うん。僕待てるよ」


 それから18年が経ち、アゼルの住む離れの扉が固く閉ざされた。魔道具でしっかりと施錠され防音までされた離れ中にはジャゼル辺境伯夫婦が夢をみながら眠っているという。

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悪役令息は好い夢をみる ひよっと丸 / 久乃り @hiyottomaru

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