リバースプロキシ 桜の下で 2
春彦と伽羅は最寄りの駅から列車に乗ると東都電鉄とJRが合流する四辻橋で降り、駅舎から線路と交差するように流れる川沿いの道へと出た。
昔ながらの店が川沿いの道に連なって並び、春の桜見の季節になると多くの観光客が姿を見せて賑わいを見せる。
そして、その川を挟んで向こう側に東糖製菓の工場がある。
春彦は印刷した地図を開け
「ここがお前の言っていた場所に合致する」
と呟いた。
伽羅は頷き工場を見ながらゆっくりと足を進めた。
夢で見た場所かどうか。
歩くたびに動いている川沿いの風景に伽羅はハッと目を見開くと足を早めた。
見覚えがある。
デジャブである。
「多分、間違いない」
伽羅はそう言い、暫くすると駆け出して立ち並ぶ一本の木の前に立つとキョロキョロと周辺を見回して頷いた。
「春彦、ここ! ここに死体が埋められてた! 間違いない!!」
と木の根元に指をさして叫んだ。
瞬間、周囲を行き交っていた数人が足を止めてギョッと彼を見た。
……。
……。
……。
いやいやいや、確かに立ち止まるだろ。と春彦は慌てて伽羅に駆け寄ると
「物騒な事を普通にさらりというな!」
と嗜めるように小声で怒り、肩を軽く上下に動かして気持ちを落ち着かせて
「ここ、か」
と足で土を少し掘った。
だが、何も……でない。
「そうだよな」
分かってた。
分かっていた。
そうそう、分り切っておりました。
春彦はふぅ~と息を吐き出し
「死体がないと……警察は動かないよな」
とハハッと力なく笑い、ちらりと伽羅を見た。
伽羅もまたハハッと笑い
「だよなぁ」
と返した。
「桜だって咲いてすらいないもんな」
ハハハ
そう付け加えた。
春彦は腕を組むと
「まあ、最悪の場所は分かった。それにここにその女性が立っていたという事はここに土地勘があるか、ここに近い場所に住んでいるか、とにかく関連があるってことだ」
そこから調べるしかないな、と冷静に告げた。
そして、伽羅を見ると
「顔立ちとか覚えているんだろ? 女性と死体の」
と言い
「二人を先ず探す」
と付け加えた。
「何か特徴を思い出せ」
言われ、伽羅は頷くと唸りながら
「女性の方は若かったと思う。20歳前後ぐらいかな」
と呟き
「埋められてた男も若かった。派手な服を着ていた!」
と告げた。
春彦は彼の言葉を聞きながら
「20前後とすると学生か新社会人くらいか」
と呟いた。
そして、周囲をスーっと見回して歩く人々を眺めると
「桜は咲いていないし、時間はまだあるから……周辺にその女性か男がいないか調べるのと近隣の大学も調べてみたほうがいいな。通学している学生って線もある」
と告げた。
空は昼間より少し陽が傾き、春先特有の冷たい風がゆっくりと吹き始めている。
大体、事件の推理なんてものは何処かの小説に出てくる探偵がすればいい。
「俺は堅実に生きたいんだ」
だが、分かっていた。
こうなることは分かっていた。
こんな事件になる前の探偵すら現れない事件を解き明かさなければならないことになるなんてこと……親友の夢見の力を知っていたから良く良くわかっていた。
春彦は心で呟きその空を見上げると
「まだ起きていない事件に警察は動かないからなぁ」
とぼやいた。
松野宮伽羅は春彦と出会う以前からこういう不可思議な夢を見ることがあった。
それは大抵良くない出来事だった。
伽羅が警告するように呼び掛けても誰も信じてくれなかった。
まだ予兆すらない事なのだから当たり前と言えば当たり前のことだ。
それを最初に信じてくれたのが春彦であった。
そして、未然に解決してくれたのも春彦であった。
以来、伽羅は春彦に相談に行くようになったのだ。
春彦は携帯でマップを出して見つめ
「近くに女子大学……」
と言い、言葉を切った。
伽羅はマップを覗き込んで
「東宮女子学院大学ってゆうちゃんの高校? じゃない?」
とチラリと春彦の顔を見た。
春彦は顔を赤らめながら
「ああ」
と小さく応えた。
伽羅はニヤニヤ笑い
「ゆうちゃん、可愛いよなぁ。丁度良かったじゃん。会いにいこうぜ!」
と小突いた。
春彦は舌打ちし
「彼女を巻き込むな」
行くなら高校じゃなくて大学だ、と告げた。
伽羅は肩を竦めると「了解」と応え
「でもさ、同じ敷地内なんだから会いに来たくらい言えばいいのにさ。恋人だろ?」
ゆうちゃん喜ぶと思ううけど、とぼやいた。
春彦は耳まで赤く染めると黙って足を進めた。
春彦と伽羅は川沿いに広がっている店の間の路地を抜けて、その奥に広がる高級住宅街に隣接してある幼稚園から大学までエスカレータ式になっている東宮女子学院の門前に立った。
夢の女性がいるかを調べたいが学生を守る観点から学校関連以外の人間は容易には入れない。それを押し退けて入ったとしてもその人物がいるかどうかも分からない状態だ。
それ以上に事件にすらなっていない事件である。
中に入って調べる言い分が全く思いつかない状況であった。
春彦は険しい表情の警備員の睨みを受けながら
「ここで出てくる学生の顔を確認して今日は帰る方がいいな」
と呟いた。
伽羅も「だな」と答え、不意に門の奥を見るとジッと奥の方の校舎を見た。
「ゆうちゃん、気づいた」
春彦は嫌な顔を知ると
「やーめーろ」
と手を払うように振った。
瞬間に携帯が震えた。
春彦は嫌な予感を過らせつつ携帯を手にすると表示されている名前に肩を落とした。
「ゆうちゃん」
顔を真っ赤にしつつ応答ボタンを押し
「ゆうちゃん、気付いた?」
と小さな声で告げた。
携帯の向こうから
「うんうん、チャラ男君の気配したよ」
と返り
「近くに居るの?」
と続いた。
チャラ男って。と春彦と伽羅は同時に思った。
だが、伽羅のことを彼女はいつもそう呼んでいるのだ。
春彦は凛とした美形。
伽羅は優男の容貌だ。
そして、知らない女性にも軽くフレンドリーに接するのだ。
春彦は苦く笑いながら
「ゆうちゃんは授業中だろ?」
勉強頑張って、と優しく囁くように告げた。
が、返ってきた言葉は二人を驚かすものであった。
「うんうん、大丈夫。今から行くね。春彦さんの探偵業見に行く」
春彦は思わず天を見上げた。
「伽羅、お前もゆうちゃんも……何でそんなに見透かしているんだ」
伽羅は困ったように笑いつつ
「いや、俺もゆうちゃんも見透かしているんじゃなくて見えるだけで透かすことは苦手なんだよな」
ハハッと声を思わず零した。
春彦は通話の切れた携帯を見て
「まあ、こうなったらゆうちゃんに聞いてみるのが良いかもしれないか」
と言い、お絵かきアプリを立ち上げると伽羅に渡した。
「描け。女性の方な」
女学院だ、対象の男性が門から出てくる確率は低い。
伽羅は携帯を受け取ると
「了解」
と答え、指を動かし始めた。
春彦は腕を組み学院の門を見つめ、彼女が現れるのを待った。
確かに渡りに船ではある。
ただ、例えここの学生でなくてもこの始まる前の事件を解くカギは当事者たちの割り出しが一番である。
ゆうちゃんこと神守勇が現れたのは10分後であった。
長く淡い金褐色の髪の美少女が姿を見せた。
彼女は警備員に声をかけると門の横の出入り口から姿を見せ
「春彦さんにチャラ君」
と少し離れた住宅街の角に立っていた二人に駆け寄った。
春彦は手を上げて応え、伽羅も手を上げて応えつつ
「チャラじゃなくて、俺の名前は伽羅だから」
と呟いた。
彼女は「うんうん」と頷き
「わかってるよ、チャラ男君」
と言い
「こんなところまで来るって何かあるの? ここで」
と問いかけた。
春彦は「まあ、そう言う事なんだけど」と言い、伽羅から携帯を受け取ると
「この女性見たことある? 大学生か社会人くらいだから学院で見たことないかもしれないけど、この辺りででも」
と聞いた。
勇は携帯を受け取り
「知ってるよ」
とあっさり答えた。
「平水万里江さんだと思う。学院大学の3回生で有名人だよ。チャラ男君、相変わらず絵上手だよね」
春彦は彼女の返答に目を見開いた。
「え? 知ってる? それに有名って……大学で?」
彼女は首を縦に振り
「うんうん、学院でも外でもだよ。YouTubeで弾き語りしてアクセス数凄いんだって」
と答えた。
春彦は「なるほど」と呟き
「その、トラブルがあったとか聞いたことある?」
と問いかけた。
勇はあっさりと
「ないよ。平水さん有名だから噂あるけどトラブルの話は聞いたことない」
まあ私は高等部だし凄く知ってるわけじゃないけど、と返した。
春彦は少し考え
「そっか。なら彼女の大学以外での動きを張るしかないか」
と呟いた。
「相手は男だからそうだよな」
勇はジッと春彦を見て
「平水さんのこと調べた方が良い?」
と聞いた。
「チャラ君の夢だったらよくない夢だもんね」
それに、と携帯を取り出すと指を動かして二人の前に翳した。
「これ、平水さんのチャンネルだよ。いい曲多いよ」
春彦はそれを見て
「ありがとう、ゆうちゃん。後はこっちで調べるから無理はしないようにして」
と微笑みかけた。
彼女は頷くと
「わかった」
と答え
「平水さんはいつも中道通って駅に向かうから向こうで待ってるといいよ」
と住宅街の奥を指差した。
「私も今日はそっちで帰るね」
春彦は「了解」と答え、彼女が学院に戻るのを見届けると不審者を見る目つきで見つめる警備員の視線を避けるように勇が教えた住宅街の奥へと足を向けた。
太陽はゆっくりと西へと傾き夕刻の朱が住宅街に町に都市に広がった。
幼稚園生。
小学生。
中学生。
そして、高校生。
と学生が時刻毎に現れては帰宅の途について去っていく。
春彦はそれを見ながら
「そういうことか」
と呟いた。
伽羅は春彦の顔を見ると
「何が?」
と問いかけた。
春彦は離れた場所に見える門を指差し
「ほら、殆どの学生はあのまま真っ直ぐ俺たちが最初に川沿いから来た道を行くだろ?」
こっちの道を通る学生は少ない、と呟いた。
確かに中道を通ってくる学生は少ない。
疎らである。
その指差した先に授業を終えた勇が姿を見せ二人の元へと駆け寄ってきた。
春彦は彼女が前に来ると
「ゆうちゃんは何時も川沿いの道から帰るんだろ?」
と聞いた。
確信的口調である。
彼女は頷き
「そうだよ。殆どの子は川沿いの道を通るよ。その方が景色も良いし駅にも近いから」
こっちの道は駅の手前のビル群の裏手になるから遠回りになるの、と答えた。
春彦は少し視線を動かして
「でも平水万里江は、この道を通るんだ」
と呟いた。
「それって学院内で有名なんだよね?」
高校の彼女が知っているくらいである。
有名な事なのだ。
勇は春彦の想定通り「そうだよ」と答え
「あの川沿いの桜並木有名でしょ? だから去年の文化祭で桜並木を背景に歌を作ってって話があったんだけど私は歩いてないから作れないって言われたらしいの。それで有名になったんだ。桜嫌いみたいって」
と告げた。
春彦は腕を組み
「なるほど」
と呟き
「桜が嫌い……なのか、あの桜並木に何かあるのか?」
と考えた。
ただ桜が嫌いなだけなら死体を埋めるのに桜の木を選ばないだろう。
それでも敢えて桜の木の下を選んだのだ。
伽羅も勇も彼を見つめて静寂を守った。
その間にも高校生の波が消え去り、それに混じるように大学生が姿を見せ始めた。
その中に……平水万里江の姿があった。
長い黒髪に品の良い美人顔である。
彼女は友人に手を振ると一人で春彦たちのいるビル群の裏手に広がる住宅街へと続く道へと姿を見せた。
そして、不意に足を止めると勇を見て
「神守さん? 高等部の神守勇さん?」
こんにちは、と呼びかけた。
勇は慌てて振り返り
「こんにちは! 平水さん」
と頭を下げた。
平水はフフッと笑うと近寄り春彦と伽羅を一瞥し
「もしかして……絡まれて困っているんじゃなくて?」
と勇の前に立った。
勇は首を振ると
「いえ、春……か、月さんと松野宮さんは私の知り合いでこの近くに用があってきたので私を待っていてくれたんです」
と答えた。
春彦は頭を下げると
「ゆうちゃんのことを心配していただきありがとうございます」
と答えた。
伽羅は腕を組んで
「ゆうちゃん、可愛いからねぇ。あなたも美人だし……誰かに絡まれたら、俺を呼んでください! 駆けつけましょう♪」
とビシッと指を差してウィンクした。
勇は「チャラ男君丸出しだよ」と笑って言い、春彦は困ったように息を吐きだした。
平水は顔を顰めると
「そうですわね、貴方のような人物が現れたら遠慮なく正当防衛をさせていただきますわ」
と言い、勇に手を差しだして
「お知り合いになる男性の方は選ばれた方がいいわ」
危ないのでお送りしてさしあげます、と告げた。
勇は「え、でも」と言いかけたが、背中を軽く春彦に押された。
春彦は彼女に
「送ってもらった方が良い。チャラ男には気を付けた方がいいからな」
と告げた。
「俺たちももう帰る」
勇は口を尖らせて
「春彦さん」
とプッと怒ったものの
「今日はそうする」
と答え、平水の方を見て頭を下げた。
「ご心配をおかけしてすみません。宜しくお願いいたします」
平水は笑むと
「参りましょう」
と歩き出した。
伽羅はガーンと口を開けて
「俺? 俺か? そんな危ない男に見えた?」
と泣きそうに春彦を見た。
春彦は「危なくはないがチャラかった」とあっさり答え
「川沿いから帰ろうか」
と歩き出した。
そして、数歩進んで肩越しに去りゆく平水と勇の後姿を見た。
川沿いには学生の姿があり、もうすぐやってくるだろう華やかな桜の季節を楽しむような明るいざわめきが広がっていた。
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