隻腕の忌み子と二色衣の君

田中おーま

第1話

 戦争が終わった。


 私が打ち取った敵国の王の首を高く掲げると、勝者の歓声と、敗者の嗚咽が入り混じった声が平原に響き渡った。


 エスタニア帝国とネレディア王国との戦争は、どちらかの王を討ち取った方が勝つという協定のもと、このサラスティア平原で決着をつけることになっていた。


 魔法と兵器が振るわれた結果、美しかった金色の平原は、いまや血と死の匂いに満ちた土地へと変わり果てている。王を失ったネレディア兵は我先にと逃げ惑い、それを追うエスタニア兵の剣が、さらなる血を生んでいた。


 私は、敵国の王の首を持ったまま、エスタニア国王のもとへ向かう。人々は道を開け、私の進む先に、王まで続く花道を作っていた。戦場に立つにはあまりにも軽装なこの恰好は、不釣り合いに見えるだろう。だが、忌み子として不遇な扱いを受けてきた私にとっては、それが当たり前だった。


 忌み子とは、強大な魔力と筋力を持って生まれながら、その力を使うほど人の姿から遠ざかっていく存在のことを言う。その力ゆえに戦争兵器として育てられるが、扱いはあくまで“物”だ。命を守るための鎧も、癒やしも、最初から与えられていなかった。私以外の忌み子も皆同じで、人の目を引くほど豪奢な面だけを与えられ、あとは戦場に立つにはあまりにも心許ない装いしか身につけていない。


 国王の前まで来ると首を目の前に置いて跪く。こちらから話しかけることはご法度のため、地面を見つめながら王の言葉を待つ。


「……ほう。女の鬼面の忌み子が打ち取ったのか」


 顔を上げることは許されない。私はただ跪いたまま、次の言葉を待った。


「狐面の忌み子が取ると思っておったが……残念だ」


 ――残念?

 誰が討とうと、戦争が終わればそれでいいはずなのに。


「宰相は鬼面に賭けておったな。また、あやつの勝ちか」


 王は腰を上げ、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。視線が、頭の上から足元までを値踏みするように這い回った。


「まあ良い。他の国で、またやるとするか……次はどこがある?」


「はっ。砂漠地帯のザバラ王国がございます」


「ふむ……では、次はそこに仕掛けてみるか」


 腹の奥が、ぐらりと煮え立った。何人もの人が死んだ。私も、殺した。それなのに、こいつらは。まるで遊びの続きを決めるみたいに、次の戦争を選んでいる。


 ――その首を、ここで切ってやるか……?


一瞬だけ視線を横に滑らせる。重装の鎧に身を包み、背に漆黒の翼を広げた鳥面の忌み子がいた。私はすぐに目を逸らした。


 ――無理だ。あれには、勝てない。


 見ただけでわかった。鳥面の身体からあふれる魔力と殺気に、指先から身体が硬直していく。おそらく、私が一歩でも踏み込めば、命はない。


 諦めて、地面を見つめる。背後から、王の笑い声が聞こえた。次の戦争の話を、心底楽しそうに続けている。止めることなど、できるはずもなかった。悔しさで噛みしめた唇から、鉄の味がした。


「さて、鬼面よ。褒美をやらねばいかんな」


 王は、私の隣にしゃがみこんだ。


「わしの機嫌を損ねた褒美を、な」


 次の瞬間、刃物が空を切る音が鳴った。反射的に地面を蹴る。振り返ると、私がいた場所に、兵士の剣が深々と突き立てられていた。


 状況を理解する余裕はなかった。だが、本能が叫んでいる――逃げろ、と。


「わしは、動く許可を与えた覚えはないが?」


 国王が、片手を上げる。それを合図に、鳥面が腰の剣へと手を伸ばした。


 私は後方へ大きく跳ぶ。

 ――この距離なら、まだ届かない。


 そう、思った瞬間、目の前に鳥面がいた。


「え?」


 逃げようとした。いや、逃げたつもりだった。次の瞬間、腕に走ったのは衝撃でも熱でもなく、遅れてやって来た“痛み”だった。視界の端で、何かが地面を転がる。


 それは、人間のものではない、黒く頑丈そうな爪を携えた腕――まごうことなき、私の腕だった。


 あまりの痛みに、その場でうずくまる。歯を食いしばりながら、地面に転がった自分の腕を拾い上げた。切断された二の腕から、信じられないほどの血が溢れ出す。止血のため、切り口を凍結させる。


 切断された腕は、通常の魔法ではどうにもならない。神聖力であれば繋げられるかもしれないが、それは忌み子と相反する力だ。繋げられない可能性の方が、圧倒的に高い。それでも、わずかな望みに賭けて、腕ごと凍結させた。


「良いことを思いついた。今から鬼ごっこをする」


 あまりにも突拍子のない言葉に、思わず国王を見上げる。だが、身体はすでに逃げる準備に入っていた。切断した腕を抱え、いつでも走り出せるよう、両脚に魔力を溜める。地面を強く蹴れば、その瞬間に飛び出せる態勢だ。


 私は、無意識のうちに鳥面の方へ視線を向けていた。動く気配がないことに安堵する。


「鬼面よ、まだ動くな。動けば、次はその首を落とす」


 王の声に反応して、鳥面が静かに剣の柄を握った。それだけで、私の身体はびくりと強張る。本能の恐怖か、失った腕の痛みか、冷たい汗が背中を伝った。


「ふむ……では、三分にしよう」


 王は楽しげに言う。


「その間に、好きなだけ逃げるといい。その後は――通常の兵士どもがお前を追う」


 その言葉を聞いた兵士たちが、にやにやと笑いながらこちらを見る。中には、肩を回したり、屈伸をしたりと、走り出す準備を始める者までいた。


「五分経っても捕まらなかった場合は……そうだな……」


 王は少し考える素振りを見せてから、愉快そうに言った。


「――狐面がお前を追う」


 王があごを上げて合図すると、兵士たちが狐面を連れてきた。狐面は王の御前で跪く。黒髪には銀色の毛が混じり、その頭には狐のような大きな耳が生えていた。


「お前は、今回参戦した忌み子の中で最も強いはずだったのに、活躍できなかった。これから、お前に挽回の機会をやろう。合図の後、あの鬼面の首を取ってくるのだ」


「はっ!」


 低い声とともに、狐面は顔を上げて私を見る。仮面の奥に、殺意にあふれた水色の瞳が見えた。


「もし、狐面が果たせなければ――鳥面よ、お前がその首を持ってこい」


 鳥面は声を出さず、頭を垂れて応じる。


 狐面から逃げきれたとしても、鳥面からも逃げなければならないという絶望に胸が締め付けられるが、私の心は生への執着に燃えていた。


―――絶対に、生き延びたい。


 合図を待って、自分の身体に集中する。王がわざとらしく咳ばらいをした。


「では、始め」


 私はありったけの力で地面を蹴る。振り返ると、先ほどまでいた場所が、もう遠くに見えた。行く先は決めていた。少し離れたところに、森がある。三分で行けるかはわからないが、そこまで辿り着ければ、生き延びられる可能性がある。


 動くたびに、失った腕が痛む。それでも必死に足を動かし、森に向かって走り続けた。

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