第三章:山里にて
「では、あなたの住む山里に戻りましょうか、マイ・ダーリン」
超越者の発した、あまりにも現実感のない言葉にトゥルーは自分の耳を疑った。
「えっ?あっ……えーとですねぇ、それは何?何かの冗……」
理想の彼女が、自分の眼を見つめながら優しく微笑んでくれる。「マイ・ダーリン」と。まともに返す言葉も見つからない。今、自分は薄笑いを浮かべているのだろうか?それとも怖気づいているのだろうか?
次の言葉を探そうとした時、目の前の景色が一転した。
風に揺れる畑、荷を運んでいる老人、大きな声を出しながら走り回る子供たち。そして目の前には住み慣れた山里の我が家。
確かに冷静に考えれば分かる。自分の記憶が読まれた。そのうえで無詠唱で空間転移。トゥルーは呆然とした後、諦めたように口にした。
「……慣れる気がしない」
どうしようもないと諦めながら玄関の扉を開け、散らかった魔道具と古びた書物に囲まれた部屋に入ると、トゥルーはお茶を淹れた。しかし、超越者は扉の前で突っ立ったままだった。
「えーとご存じでしょうが、この世界ではこういう時には椅子に座って一緒にお茶を飲んだ方が、不自然じゃないのですが……」
そう言うとすぐに、椅子が超越者のもとに駆け寄り、超越者が座るとすーっと滑らかにテーブルに移動した。超越者はお茶を口元に持っていく。飲んでいるのやら飲んでいないのやら。
「あの、何とお呼びすれば?」
「あなたのお好きなように、マイ・ダーリン」
からかわれている感じしかしないが、超越者の考えを理解できる気がしない。先ほど頭に流れ込んできた情報によれば、超越者の名は「オーム」。だが、その名は使わない方が良さそうだ。
「では、ナオでお願いします」
「はい」
明るい感じで返される。この名が気に入ったかどうかなんて分かるはずもないが、拒絶はされていないので、今後はナオ呼びでいこうと思う。
それからぎこちなく世間話など頑張ってみたが、やはりぎこちない。会話を文字にすれば成り立っているように見えるが、何か通じていないように思える。
思えば、姿形は若い女性でも中身は超越者。人の感情とか人の常識は調査の対象であって、感化されたり尊重したりするものではないらしい。
(これは大丈夫なんだろうか?)
トゥルーがそう思った時、家の玄関に誰かが現れた。トゥルーの顔はすぐに強張った。
フェルト。かつての上司――この世において、トゥルーが最も関わりたくない人物。その意図は明白だった。偽りの笑顔、偉そうな口調。自分がミスを押し付けて追い出したくせに、世話してやったとか責任感を持てとか言いながら、人を利用しようとごねてくる。
たしか最近降格させられたはず……そりゃ手柄を奪ったり、ミスをなすりつける相手がいなくなったんだから当然だろう。しかも、自分は苦労しているんだから自分の悪事は仕方ない。というか当然であって、相手は自分に感謝すべきだ。と本気で思っているっぽい。
そんな鬱陶しいことこの上ない人物を見て、トゥルーは反射的に思ってしまった。
(コイツ死ねばいいのに!)
そう思った瞬間、元上司の姿が消えた。空気が冷えたかのような静寂がおとずれた。
元上司が立っていた場所には、おびただしい量の赤い液体と布切れから見え隠れするピンク色の塊。ピクピクと動く肉片が、つい先ほどまで命を宿していた証だった。
「えっ、まさか?」
ナオとなった超越者に視線を向けると、なぜこっち見てるんだろうといった表情で、
「殺しましたよ、マイ・ダーリン」
まるで羽虫でも追っ払ったような口調で返してきた。
「あっ、忘れてました。そうですよね」
そう言うが早いか、床にあった血も肉も服も、匂いまでもがすべてが夢だったかのように消え去った。
背筋が凍った。この女、女?は、人を人としては認識していない。善とか悪とかの話ではない。
確かに「死ねばいいのに!」と思った。しかし、それは願いではなく、ただの愚痴。……だが、超越者にとってそこに違いはない。
「分かっていただけるかどうか、人の世を見てまわる時には、こういったことは障害となります。今後は自粛していただければ」
「それと、私と親密すぎるのは周りに奇異の目で見られてしまいますので、普通に名前で呼んでいただければ」
超越者に聞いてもらえるかどうか。とにかくお願いだけはしてみる。
「理解しました。善処しましょう、トゥルーさん」
私の願いは、ある程度は聞き届けてもらえそうだった。行く先々で人々が殺されていくのは防げたと思う。元上司は蘇生したのか、それとも次元の狭間にでも捨て去ったのかは恐ろしくて聞けなかった。
そこからしばらく、この山里に滞在して村を見て回ってもらった。村人には、都合で数日間親戚の娘を預かることになったと説明したが、訝しがられたり羨ましがられたり。一応信じてもらえたようだ。
村人は皆親切で、ナオにもいろいろと話しかけてくれた。
「どこから来たの?」「その服は都で買ったの?」「トゥルーさんって昔はどうだったの?」
そんな問いには、ナオはあいまいというか適当に返事をしていた。村人にとって、ナオは「ちょっとおかしい、無口な美人さん」ということになっていた。
ここに滞在した数日間で、山里では奇妙なことが続いた。行方不明者が二名。ナオは「殺してはいない」と言っていた。だが、彼女の“殺す”の定義は人とは違う。異なる時間軸、あるいは異なる次元へ飛ばしたとすれば……しかし、もう大きくは驚かなくなった自分がいた。
さらに、かつて世話になった猟師……熊に襲われて亡くなった男の墓参りをした際、その猟師が生前の姿そのままに現れた。生き返った本人はわけが分からず、村は騒然となった。
ナオに聞くと、「もう一度会って礼を言いたかったのでは?」と返してきた。超越者にとって我々の生死は、単なる状態異常の一つなのだろうか。もはや土に還っていたであろうに。
一般常識は私の知識を吸収して理解しているものと思っていたが……そこで気付いた。字面としては知っていても人として生活したことがない超越者は理解はしていない。それに、土に還った死人を生き返らせてはいけない。というような常識はない。そんなことはできないから当たり前だ。
「死すべき運命の人は、死があるから生を精一杯生きるのです。それがなくなったら、もはや人は人でなくなるかも知れません。それはお望みではないでしょう」
人の生死を弄ぶようなことが起こる度に懸念を丁寧に伝え続けた結果、ナオの異常な行動は少しずつ減っていった。普通に食事をし、村人に挨拶し、子供たちとの会話を楽しんでいるように見えた。トゥルーはその表情に、ほんのわずかな“人間らしさ”を見た気がした。行方不明者は帰って来ず、猟師も生き返ったままだが……。
そしてある日、ナオは告げた。
「そろそろ都に行きましょう。トゥルーさん」
その言葉に、トゥルーの全身が硬直した。王都、ここ里山とは比べられないほどの人々が住み、貴族社会などは伏魔殿だ。一瞬で国ごと消滅させられかねない。悪意ある虫けらを払うことを、超越者が躊躇するわけはないから。
ようやく落ち着いてきた穏やかな日々は突如終わりを告げる。トゥルーは覚悟して大きく一息ついた。
千億の微睡(まどろみ)と一瞬の夢 @TM_1962
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