春
変わらぬ笑顔
入学式とか、学年が一つあがる度、いつも思っていたことがある。桜、ほぼ散ってね? である。散って葉を生やした桜を見る度に、漫画のような青春は私には訪れないのだな、と思っていた。
私の暮らす県は北の方にあり、毎年春の新学期の頃には桜が散っている。見上げる桜の木はうすら禿げであり、アスファルトだけは花びらでいっぱいだった。
入学した高校の桜も例にもれず散っていて、青々とした葉が二枚、三枚と生えていた。でもその桜をまじまじと見たのは、入学して二、三日経ってからのことだった。入学式のことはちゃんと憶えていない。緊張かそれとも老いかは綺麗に忘れた。
けれど唯一鮮明に憶えているのは、入学初日の帰り。担任になったY田先生の指示で放課後、私が乗る電車の定期を買いに、空き教室に行った時のことだ。
空き教室は日当たりが良くて、白く眩しかった。窓から見える空は、気持ちのいい青だったことを覚えている。私は二、三人並んだ列に両親と並んだ。
普段は親と行動することに恥ずかしさを覚えるけれど、その時は周りが皆親と並んでいたからあまり気にならなかった。
もたもたしながらも親に持たされていたお金を封筒から出し、学校に出稼ぎに来ていた鉄道会社の人がお札を数えてくれ、定期を貰った。
母と父を両脇にボディーガードのように携えて、教室を後にしようとしたその時。
目が合ってしまった。仕方ないのでお辞儀した私を、母は目聡く見つける。そして、その先にいる子を見て母は、「あ!」と言った。「あそこにいるのR助君じゃない?」
脇を肘で突く母の、まぁウザいこと。突きながら、「そうだよね⁉︎ え、こんにちは~!」光の速さで、彼の両脇にいた親御さんに挨拶をする。静かに過ぎ去りたかった私としては、帰りたかった。恥ずかしいし。死にたい……。
私と彼は、困ったような顔でお互いを見た。彼の顔が、照れたような笑いに変わった時、母ズの会話が終わる。母のニヤニヤとした嬉しそうな顔に見られながら、彼と離れた。
実に三年ぶりの再会、といえようか。私はなんだか、後ろ髪を引かれる気持ちで振り返る。彼の後頭部に、昔のような寝ぐせはなかった。
R助君との思い出は、実に小学校から。忘れもしない、小学二年の秋。当時仲がよかった男の子、T君の給食袋が頭に当たった日の事。
その日当たった給食袋は、到底布とは思えない音を出した。「スパコーン!」マジ、こんな音が出た。嘘じゃない。目が飛び出るかと思うくらいの衝撃が来て、「スパコーン!」ボウリングのピンとボールが当たった時のような、景気のいい音。
驚いたT君が中身を確認すると、給食袋の中にはコップが入っていた。慌てて謝るT君を涙目で見ながら、私には悪魔のような高笑いが聞こえていた。
悪魔。あるいは魔王。あるいは、戦隊モノのラスボス。少女漫画の意地悪なヒーロー……。兎に角! 「ひゃはははは! ひゃはは! ひぃー!」綺麗な高笑いが聞こえてくる。
頭を抑えながら、声のする方を探した。しゃがみ込む私を取り囲むように顔を覗き込む友達の隙間から、黒いランドセルが見える。その黒いランドセルから声がしていることに気づいた。
「あー、おもしろッ! すげぇいい音した!」
今でも思いだせる。あの時の高笑い。あ、ホントにこういう風に笑う人いるんだと思った。薄い唇の端をつり上げて、自慢するかのように真っ白な歯を見せる。長いまつ毛が伏せられて、目のあたりに影が落ちる。その笑顔の気持ちのいいこと。
目を惹かれた。けれど直ぐに怒りが湧いてくる。
だって痛いし。つーか名前知らねえし。誰コイツ。なんで私は知らないヤツに笑われてるの? 痛いんですけど。心配してくれてもよくない?
そんな気持ちでいっぱいだった。
この時、目尻の涙を拭って私の不幸を笑ったのが、R助君。その次の年、同じクラスになる男の子だ。
彼とは仲良くなっていろんな話をした。一緒に帰った。股間を蹴った。けれどクラスが離れるとめっきり話をしなくなり、中学に入ると他人のようになった。
そんな彼との再会。私はドキドキしていた。また昔のように話せるかもしれない。期待を胸に登校した時、事件は起こる。現場はI橋。
少し冷たい気持ちのいい風が吹く、燦々とした朝。
学校に行くまでの道のりには、A川にかかるI橋を渡らなければいけなかった。I橋の手前には横断歩道があって、その横断歩道に車が来た時だった。丁度横断歩道を渡ろうとしていたので、止まった。
車の運転手は渡るように促す。私は運転手を待たせてはいけない! という思いで走って渡った。
これがいけなかった。私は意識せずに助走をしてしまった。
横断歩道を渡り終える、橋と歩道の境界には段差があった。
皆さんお気づきだろう。私はここで、こけた。
世界は突如スローモーションになる。
私は普段スラックスで登校しているのだが、その日は偶々スカートで登校していた。あぁ、なんて運の悪い……。
咄嗟に、膝を擦り剥くと思った私は手を前に付いて、前に倒れる体重を横に受け流した。するとどうなるか。
回る。
鞄を背負ったまま、でんぐり返しのように一回転した。
そして開脚した姿勢で、ピタッ。止まる。馬鹿みたいに足を開き、手を前に付きだした状態で止まる。しかも歩道のど真ん中。通学ラッシュ、人通りもかなり多い。
皆、私を一瞥して「なにコイツ……」という目で見ていく。心配なんかしない。ただヤバいヤツ認定して去って行く。一部始終を見ていた運転手さんだけ、「大丈夫⁉︎」と聞いてきた。
——このエピソードが恥ずかしすぎて、内に秘められなかった私は、R助君にこの話を話した。
自分の席に座る彼は、昔とは随分変わっていた。昔のような可愛らしい頬はほっそりと痩け、声は低い。机に置かれた手も、ゴツゴツとしていて男らしい。
けれど、あまりに興奮した私はそんなこと頭からすっぽり抜けていた。こうで、こうなのよ! 鼻息荒く語る。
彼は話の途中から口の端をにんまりと吊り上げ、話を聞き終わった後、パカァ! 大口を開けた。綺麗な形の歯が真っ白く輝く。そして——
「ひゃはははは! バカだあ!」
笑った。
目に口がくっつくんじゃないかというぐらい口角を上げて、真っ白な歯をひけらかした。口角が上がったせいで、彼の肉のない頬に皴が寄る。それは八年前にはなかった。
けれど思い出の中の少年を見つけたような気がした。寝ぐせのない彼。愛想笑いをする彼。どれも他人になってしまった私には見慣れないものだったが、彼のこの笑顔は小学二年生の頃と変わらなかった。私の友達のR助君だった。
嬉しくて、目を細める。差し込んだ光がすごく眩しかった、そんな春。
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