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この店に来て一週間が経った。
周りの商品は、ちらほらと売れて入れ替わり、売れ残りの僕は少しずつ焦りを感じていた。
こういった小さな店で、売れ行きの悪い商品はどれくらいで破棄されるのだろうか。
半年か?
一年か?
だんだんとこの場所に飽きてきていなくもないが、昼間は明るくて非常に居心地が良い。閉店後や定休日は確かに辛いが、影として暮らすには悪くない場所に思える。もし売れないからといって倉庫に押し込められたりしたら大変だ。記憶はずっと早く消えるかもしれないが、辛いのも苦しいのもほどほどで充分だ。破棄といって割られるならまだ良い。万が一、山の中に不法投棄されたら……と想像しただけで恐ろしくなる。
今、店内にいる客は二人。どちらも若い女性だ。
どちらかが、僕を気に入ってくれれば良いのに。
もしも買ってくれたとして、家での僕の生活はどんなものになるだろう。
一人暮らしだったら、電気が消えている時間も長く、辛いかも知れない。
実家暮らしなら、置かれる場所によっては楽かも知れない。しかし、玄関に置かれたりすれば、なかなかに辛いだろう。電気を点けっぱなしにしている家庭なら良いが……。
子供やペットがいたら、これも良くない。倒されて割られたら、また何処か別のところへ飛ばされてしまう。逆に救いとなる可能性もなくはないが……。
そんなことを考えていたら、一人の女性が僕を手に取った。
じっと品定めをしている。
買うのか?
買──わない、のか。
僕は棚に戻された。
こんな場面が一日に何度もある。
そんなに魅力がないのだろうか。
隣に陳列されていた同じような模様の花瓶は一昨日売れた。
僕と何が違う?
僕は自分のデザインの方が好みだった。
まったく、センスのない客ばかりだ。
客は二人とも他の商品を購入し、出て行ってしまった。
残念。
また一人、入れ替わりに客が入ってきた。
期待はするまい。
若い女性だ。二十代半ばくらいか。出来れば実家暮らしが好ましい。服装は薄手のワンピースにカーディガン。他の客の服装からしても、今の季節は夏らしい。ふわっとした巻き毛にナチュラルメイクの顔。かなり好みのタイプだ。どうせ買われるなら、こういう子に買われたい。
彼女がこちらに近付く。
いいぞ、僕を見てる。
想いが届いたのか、彼女は僕を手に取ると、そのままレジへと歩き出す。
きた!
よしきた!
移動は体が歪んで辛いが、これで少なくとも売れ残り商品として破棄されることはなくなった。店長と娘と別れるのは寂しいが、代わりにこんな可愛い子の家に行けるのだ。思いつく限り最高の展開ではないか。
レジに置かれ、会計が始まる。
……千円か。何とも言えない値段だ。
レジ担当の店長が花瓶を包装紙で包み始めた。
しまった。これは予想していなかった。
花瓶が紙に巻かれれば、影である自分は否応なく闇の中に閉じ込められてしまう。
家に着くまでどれくらいかかる?
帰ったらすぐに包装を外してくれるのか?
もしプレゼントとして買ったなら?
そうだ、ラッピングするのだから、プレゼントの可能性も高いじゃないか。
誰へのプレゼントだ?
男か?
女か?
ああ、だとしたら残念だ。この子の家が良かったのに……。
僕の体が壁から包装紙の内側へと移る。
苦しい。
ラッピングの動きに合わせて体が歪む。
そうしてだんだんと中に閉じ込められていき──。
気が付くと、僕はレジ台の上から包装紙に巻かれた花瓶を見上げていた。
あれ?
どうしてだ?
自分に何が起きたのかはわからないが、取りあえず助かった。
あれだけ綺麗に巻かれると、紙も花瓶の一部と見なされるのだろうか。僕はラッピングされた花瓶の影になっていた。
店長のラッピングが上手くて良かった、ということか。もしくしゃくしゃに包装されていたら、今頃耐えがたい苦痛を受けていただろう。
安心も束の間。
包装が済んだ花瓶は紙袋へと入れられる。
僕の体も、壁から袋の中へと移る。
薄暗いし、がさがさ歪む。
決して良い環境ではないが、耐えられない程ではない。
「──マシタ」
店長の声だ。
お別れのひとつでも言いたかったが、それは決して叶わない。
(お世話になりました)
と、胸の中で呟く。
扉が開かれ、紙袋の中に夏の日差しが射し込む。
心地よい。
この先の生活が、こんな風に快適なものなら良いのにと思った。
*
彼女が家に帰ったのは、夕方になってのことだ。
正直、陽の光が衰えた紙袋の中は辛かったので、帰宅は素直に嬉しかった。
どうやら彼女は実家暮らしのようだ。
袋から出された僕は、彼女の母親らしき女性に包装を解かれた。
そうか母親へのプレゼントだったのか。
僕を見てずいぶん喜んでくれたので、非常に良い気分だ。
今はまだ花の活けられていない状態で、リビングのテーブルの上に置かれている。
真上に照明があるため、僕の体は花瓶の下に溜った状態だ。そのため、あまり部屋の中を観察することは出来ないが。ひとまず落ち着いたといえる。
見える範囲で様子をうかがう。
天井に付けられたフラットタイプの照明と、壁に掛けられたアナログ時計くらいしか見えない。このままずっとここにいるのは退屈過ぎる。せめて影が壁に映る位置に置いてもらえると良いのだが。
……おや?
時計の影──正確には時計の秒針の影に、何ともいえない違和感を覚えた。
いや、違和感というより確信に近い。
あれは、あの影は、僕と同じ人間だ!
「聞こえますか?」
思わず声を掛けた。
危険だろうか?
危害をあたえる術はないのだから大丈夫だとは思うが……。
「聞こえますか?」
もう一度、時計に向かって声を掛ける。
すると、
「あ……あ……」
と、呻くような返事が返ってきた。
やっぱり仲間だ!
「あの……初めまして」
まずは挨拶だ。
仲良くなれれば話し相手が出来る。
そうすれば退屈することもなくなるだろう。
しかし、返事はない。
うめき声が聞こえるだけだ。
「……すみません、聞こえますか?」
「あ……おお……」
ダメだ。
おそらく、もうほとんど記憶が残っていないのだろう。
記憶が空っぽになると、自我も人間らしさもここまで失ってしまうものなのか。
自分の身に置き換えて、ぞっとする。
常に動き続ける秒針の影は、どれ程辛く苦しいのだろう。
まるで、地獄だ。
死んだ後にこんな風に記憶を消されてしまうのなら、思い出を大切にして生きることなど、なんて滑稽なのだろう。
虚しいじゃないか。
馬鹿らしいじゃないか。
生きることに理由や意味を求めるつもりはないが、これでは思い出なんて……無意味じゃないか。
思い出が、記憶が少ない方が苦しまずに転生出来るのならば、最初から何もない方がずっと楽だ。生きている時に知っていたら、生きること自体が嫌になっただろう。
どうせ消されてしまうなら……。
ふいに、視界の中に彼女の顔が現われる。
花瓶が持ち上がり、僕の体は壁に移る。
夕食の支度を始めたようだ。
頭の上から、秒針の呻き声が聞こえる。
食卓には次々と食事が運ばれ、椅子には父親らしき男が座った。
娘と母親は楽しそうに準備をしている。
彼らのこの幸せな記憶も、死んでしまえば消されてしまうのか……。
場合によっては苦しんで、苦しんで──。
考えて、吐きそうな気分になる。
しかし肉体はないのだから、吐けるはずもない。
ただただ嫌な気持ちだけが、もやもやと留まるばかりだ。
「ああ……あ……」
「静かにしてくれ!」
時計から聞こえる声に苛々して、つい怒鳴ってしまった。
彼は何も悪くないのに。
呻き声が聞こえる度に、自分の行く末を突きつけられるようで、耐えがたい。
僕の声が聞こえたのか、声はぴたりと止んだ。
「ごめんなさい……」
心から謝る。
せめて今の記憶が、彼の中からすぐに消えてくれればと思う。
目の前では幸せな食卓。
頭上には絶望的な未来。
そして僕は──、孤独だった。
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