庭園の星々

ono

庭園の星々


 今日もまた分厚い強化ガラスの外で恒星が瞬き、息を止めた。幼子の手のひらで握りつぶされた蛍のように星々が寿命を迎える。

 恒星番号GC-8842――その灯火は星系全体を巻き込みながら重力の渦に呑まれて消えていった。

「GC-8842の観測、データ保存完了。華々しい挨拶でしたね」

 淡々と注げるリーゼの青い瞳には、爆発の余波で広がるガス星雲の極彩色が映り込んでいる。

「挨拶ねえ。お上品ですな」

「嫌味ったらしい」

「そりゃすんません」

 俺は苦すぎるほどのコーヒーを喉に流し込み、モニターに光る「COMPLETED」の文字を見つめた。淡い緑の光が眠気を誘う。


 長距離観測艦エピタフ。俺たちに与えられた任務は単純だ。対星衝角艦のご出勤と対象の消灯を確認し、それを記録するホログラム端末を見守るだけ。

 そのあまりにも退屈でしかもほとんど永遠に続くルーティンワークを恙無くこなせるように、エピタフの観測ドームは至極快適に作られている。観測よりも鑑賞に最適だ。

 おかげさまで眠気覚ましのコーヒーが手放せなくなっていた。


 銀河連邦と外縁部帝国に端を発した戦争は、艦隊同士の撃ち合いといった口喧嘩の時代をとうに過ぎ、ちょうど百年目からは互いの居住星系を恒星ごと消し去る大規模作戦へと発展していた。

 膨張し続ける宇宙の中で増殖し続けた生命たちは、ついに共存しきれなくなったのだ。

 衝角艦が光の尾を伸ばすたびに一つの太陽系が地図から消える。食らい合いながらすべてを消し飛ばしていたらうっかり宇宙の歴史まで喪失した。

 そうして未来のためにお互い暇そうな者を差し出し合って、「中立」の名のもとに剪定の記録を始めたのがこの艦だ。

 エピタフなんて感傷的な名前をつけたのはまだ戦争が悲劇に思えていた頃の旧人類。実際のところ、宇宙は膨張を終えて収束の段階に入り、枝葉である我々は戦争という形で結末を表現しているに過ぎなかった。


 澄んだ瞳を俺に向けて、リーゼが続ける。

「次の予定時刻は4時間後。標的はベータアームの第7セクター、連星系アルファです」

「ああ」

 連星系アルファには原始的な水の惑星サピロスが含まれる。サピロスは全土が浅い海に覆われ、珪素生命体が独自の建築物を形成している。なんてことを資料で読んだだけで、その光景を瞳に映した経験はない。

 経験という概念からは程遠い、確かにこの艦は俺たち役所の記録係自身の墓だと言えよう。そんな田舎惑星の通称を知っていることがリーゼにバレたら感傷的だとからかわれそうで、俺はただリーゼを真似て素っ気なく頷いた。

「しかしアルファには帝国の補給基地があるだけだろう。大した戦果にならんな」

「作戦の意図を考える義務はありません」

「周辺惑星の民間人は避難してるのかねえ」

「さあ。民間人なんて区分け、もう意味がないんじゃないですか?」

 ああまったく、うんざりするほどご尤もだ。リーゼの言う通りだった。誰もが兵士、誰もが標的。華々しき大戦争に参加していない生命など存在しない。連邦の一部にはサピロスとは違う惑星をルーツとする珪素生命体の部隊も加わっている。


 コンソールを叩き、サピロスのリアルタイムビジョンを拡大した。青い。目が痛くなるようなアジュール・ブルーだ。大気が薄く、衛星からでも海底の都市構造が透けて見える。

 放っておけばあと数百億年も生き永らえたであろうこの青色は4時間後に消滅し、熱い塵の塊になる。戦局に影響せずとも剪定としては上々だ。

「ねえ、大尉」

 リーゼの瞳もまたサピロスに似た深い青色だった。彼女があの星を見つめても、目を逸らしても、瞳の色は変わらない。動揺一つも俺には見せない、つまらん女だ。

「何だよ」

「大尉の故郷が連邦のリストに載ったらどうします?」

 陳腐な問いかけに思わず俺の手が止まる。俺はルーツを辿れば帝国人と言えなくもないが、エピタフに乗ってから「帝国民」ではなくなった。

「俺に故郷はないよ。公式な開戦の年にはもう消滅していたからな」

 リストを作るのが誰でもリストに載るのがどこでも大して違いはない。


 相変わらずの素っ気なさでリーゼは頷く。つまらないが、意味を強制しない無関心が気楽ではある。

「そっか、忘れてた」

「俺も時々忘れる。お前ならどうする?」

 リーゼは少し考えてから、肩を竦めてモニターに視線を戻す。

「この特等席で写真を撮ります」

「ハ、そりゃ最高だ。素晴らしいアーカイブになる」

 たとえそれを読み返す者がもういないとしても、この瞬きを記録し続けるのが俺たちの仕事だ。美々しい意味なんぞ放っておいてもどっかの誰かが後から好きなように押しつけてくるだろう。


 優雅なコーヒーブレイクの後、エピタフにアラートが鳴り響く。それを合図に長距離通信の受信と録音を開始する。

《こちら特務艦隊司令部。作戦コード・イクリプス、実行シークエンスを開始する》

 モニターが映し出す宇宙空間に巨大な影が現れた。空間跳躍してきたのは全長20キロメートルにも及ぶ巨大な槍のような構造物、対星衝角艦だ。あれが超光速で恒星に突入して核融合プロセスを暴走させ、その命を終わらせる。連邦も帝国も使っているのは同じ艦だ。

 イクリプスの槍が不可視のエネルギーを纏いながら速度を上げていく。彗星のように光が尾を引いた。太古の昔にはああいうものを「ほうき星」と呼んだのだったか。荒れ果てた庭の掃除という目的を考えればイクリプスよりも洒落ている。

「銀河連邦より、対象はセクター7、連星系アルファ。観測艦エピタフは遮蔽シールドを最大展開する」

「間もなく衝突します」

「シールド展開完了」

「さよなら、サピロス」

 リーゼの口から星の名前が零れた瞬間、彼女の瞳はさざ波が寄せるようなアルファの灯の揺らめきをそのまま映し出していた。


 宇宙空間で音は伝わらず、強烈な閃光はモニターによって軽減され、衝撃はシールドに吸いとられる。無機質な白が広がった。

 イクリプスが核融合を暴走させ、アルファは疑似的な超新星爆発に追い込まれた。巨大なエネルギーの奔流と不安定な重力場がそこにある風景を奇妙に歪めている。

 面白いことに、伴星ベータは自らの軌道を逸らしてアルファの残骸へと突入、主星と重なり合うようにして共に消滅していった。いつもの焼け方とは違っているような気がした。

「アルファとベータは強く結びついていたようですね」

「追っかけて死んだってのか。生物じゃあるまいし」

「イクリプスは時空を歪めて因果律を書き換えますから。主星に応じて伴星の進化速度も変わったのでしょう」

「ふーん。おかしなやつらだ」

 あの青い惑星のほうは、ベータが膨張に飲み込まれるよりも前に強烈な輻射熱で呆気なく蒸発していた。

 海が沸騰する間もなく大気ごとプラズマと化し、海底に広がっていた珊瑚の都市も、海中で蠢いていた諸々の何かも、すべてが溶け出して統合される。この宇宙においては一瞬の出来事だった。


 やがてモニターの光が収束すると、かつて連星が回り、青い惑星が静かに浮かんでいた空間には暗闇が広がっている。後には僅かにガスの残骸と冷めた岩塊が漂うばかりだ。

「GC-429の観測、データ保存完了」

 俺の声はひどく眠そうに聞こえた。リーゼはすでにホログラム端末へ視線を移している。

「大尉、次の座標が送られてきましたよ」

「またかよ。寝る間もねえな」

「第9セクター、居住可能惑星が3つあります。予定時刻は3時間後」

「お盛んだねえ」

 カップの底に残っていたコーヒーを無理やり傾けて飲み干した。すっかり冷めきって泥のような味がする。この豆を収穫した惑星は何十年前に終わったのだったか。確かに、記録してやらねばすぐに忘れてしまう。


 星図の上でまた一つ光が瞬く。無造作に伸び放題となった庭からすべての星が摘み取られるその日まで、俺たちの仕事は終わらない。




***




 温かな風が吹き、昼の間に陽射しをたっぷり吸い込んだ草の匂いがアルの鼻先をかすめていった。

 村はずれにある名もなき小さな丘は、幼いアルたちにとってはちょっとした冒険の舞台となる「山」だった。息を切らして頂上まで駆け上がり、そこから世界を見下ろすと、自分たちが背の高い大人になったような気がするのだ。

 夜風は青々とした牧草を撫で、風の隙間にホタルが灯を揺らしている。大地に背中を預けて寝転がると、そこは世界の底だった。

 頭上に広がる零れ落ちそうな満天の星々。アルの頭に悪戯が閃いた。インク壺をひっくり返して、その上に光る砂をぶちまけるのだ。きっと自分だけの素晴らしい夜空が作られるだろう。


「ねえ、アル。あれ見て」

 隣に寝転がっていた少女、ミナが右手を空へ突き出した。ワンピースの袖が滑り落ちて、細い腕が月光に白く照らし出される。

「あれってどれ?」

「あそこ。あのみっつの星がならんでるとこ。ハーンおじいちゃんの靴みたい」

 ミナの頼りない人差し指が示す先には、確かに何かの像を結べそうな星の並びがあった。べこべこに歪んだおかしな四角形。

「靴っていうか、つぶれたジャガイモに見える」

「もう、こどもっぽいんだから。もっとロマンチックに考えられないの?」

「同い年じゃん」

 不貞腐れるアルの隣でミナが嬉しそうに笑う。夜空を見上げるその横顔がなんだか自分よりも大人びて見えて、アルはわざとぶっきらぼうに空の違う一画を指さした。


「じゃあ、あっちは? あの一番光ってるやつから上にひっぱって……隣のちっちゃいやつにつなぐんだ。そしたら父さんの釣り竿になる」

「ほんとだ! でも、糸の先におさかながいないね」

「いるよ。あっちできらきら光ってる青い星。あれが昨日逃げた魚」

「おさかな、逃げちゃったの。アルのお父さん、がっかりしただろうね」

 教科書に載っている立派な星座の講釈なんて心にも留めず、二人は無心に自分たちだけの星座を作って夜空を埋めた。

 南では『いつもパン屋の窓の外であくびしてる野良猫座』がまるくなり、もうじき明るくなりそうな東の空に『おかあさんが戸棚に隠してるとっておきの穴あきチーズ座』が浮かんだ。天の川の岸辺には『一週間前にミナがどこかで落とした手袋の片っぽ座』が流れ着く。


 しばらく星をつないで遊んでいると、ふいにミナが黙り込む。風の音まで止んでしまって、慣れない静寂の中でアルは彼女の心臓の音まで聞こえる気がした。

 どうかしたのと尋ねられなくて横目でそっと隣を窺う。ミナは真剣な眼差しで空を見つめていた。

「ねえ、アル」

「なんだよ」

「あそこのふたつ、見て」

 ミナが指さしたのは無数の星屑の中に並んで輝く双子星だった。特に大きくもないし、派手な色もしていない。ちょっと照れくさそうに寄り添って瞬いている。

「あれはね、『アルミナ』っていう星座なの」


 アルの心臓が大きく跳ねた。さっき聞こえたのは自分の心臓の音だったのかもしれない。そんな風に思いつつ、慌ててミナから目を逸らす。

 慌てているのがなぜか恥ずかしかった。恥ずかしがっていることも、照れくさかった。

「ただの点ふたつじゃん。そんなの星座にならないよ」

「なるの。つながってなくても、ずっと一緒なの。となり同士で、ずーっといっしょに光ってるの」

 ミナの声は夢見がちで甘ったるく、それでも奇妙な確信に満ちていて、アルは曖昧に頷いた。

「ふーん。変な星座」

「変じゃないよ。宇宙で一番すてきな星座だもん」

 草が擦れる音がして、ミナの小さな手が同じくらい小さなアルの手をそっと握る。動揺を苦労して引っ込め、アルは硬直したままミナの体温を感じていた。

 空高くを吹く風が分厚い雲を運んできて月を隠してくれた。アルは夜の暗闇に感謝したくなった。頬が赤くなっていたとしても、ミナには見えなかっただろう。


 意を決して、アルは双子星の周りを囲む星々を示していく。

「……あっちの星と、あれとあれとあれ。屋根があって、窓があって、『青い屋根の家』って星座にしよう」

 ちょうどその真ん中で『アルミナ』が瞬いていた。複雑に揺れるアルの気持ちを知ってか知らずか、ミナが無邪気に喜ぶ。

「すてき! 靴も、おさかなも、シロも、チーズも、みんな近くにあるね」

「靴じゃなくてジャガイモだけどね」

「んも~」

 二人の間で交わされるささやかな笑い声が空気に溶けていく。アルの瞳にはもう、宇宙に瞬く無数の星々の中で、あの双子星が金星よりも一等鮮やかに輝いて見えた。


 安堵のため息のようにやわらかな風が二人の頬を撫でる。大人びた真剣さは長続きせず、いつも通りの無邪気さでミナがぽつりと呟く。

「おなかすいてきちゃったね」

「うん。うちに帰ったら、母さんのケーキがあるよ」

「やったぁ! イチゴが入ってるやつ! ……でも夜に食べたらおこられない?」

「こっそり食べよう。バレたら、母さんのチーズを『ひとじち』にするんだ」

「あはは、それ、すっごくいい!」

 アルの家の庭でミナが育てている、二人の大好きなイチゴの甘さが脳裏を占めた。星のことなどもう頭にない。どちらからともなく起き上がる。その手はしっかりと繋いだまま。


 広大な宇宙の片隅、小さな丘の上を小さな二つの影が駆けて行く。空には生まれたばかりの星座が静かに瞬いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

庭園の星々 ono @ono_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ