人形の瞳の奥
石田空
その傀儡の心は殺さなければならない
馬車が走っている。簾の向こう側を見ながら、星蘭はぼんやりと街並みを見る。
いち大臣の娘が皇帝に輿入れということで、仰々しいことになっているのを、彼女はしらけきった顔で眺めていた。
使用人をたくさん入れての輿入れは、金を持っている豪族や貴族、将軍や大臣の家系でなければまずありえなく、彼女は後宮の中でも煌びやかな邸宅をあてがわれたのは、それだけ
家の地位が高かったからである。
「いいか星蘭。お前は皇帝を誘惑しろ」
父の悪名高さは、星蘭もなんとなく知っていた。
「傀儡政権の長」「人形師」「宮廷の黒幕」
輿入れ前から、そんな噂が密やかに囁かれ続けていた。
星蘭の輿入れだって、なんてことはない。皇帝が代替わりしたのだから、その代替わりに合わせて家の人間を妃にすることで、家の地位を盤石に守るためだった。
本来、皇帝というものはこの国でもっとも偉いものらしいが、この国は代々大臣や宦官により蝕まれ、玉座を温める人間は変われども、大臣や宦官の地位が変わることないという現象が続いていた。
星蘭は家の地位を守るために、後宮に送り込まれたのである。
本来、後宮には皇后がいる。皇后は皇帝の正妻であり、身分や地位関係なく、後宮に入った全ての女を掌握する存在なのだが。彼女の地位を使えば、下手したら皇帝が力を取り戻してしまう。皇帝が力を取り戻したら、この国を蝕む病魔たちはたちどころに追い出されてしまうため、彼らは様々な策を講じて、皇后を召喚できなくしてしまったのである。
結果として、この国には三代にわたって皇后の座は空っぽであり、混沌とした後宮内は、それぞれの家の妃たちが皇帝の寵愛……いや、皇帝の権力を巡って争う伏魔殿と化していた。
(馬鹿みたい)
星蘭はそう思う。でもそんなことを口にすることはない。
元々星蘭は政略結婚のために生を望まれているために、彼女は結婚相手を選ぶ権限は一切ない。だから皇帝から権力を横流ししたいという実家の考えは「そんなもんか」くらいであまり聞いていなかったが。
その夜、渡りが来ることが決まった。
使用人たちに風呂に入れられて清められ、髪やら服やらを渡りのために整えられた。
妃になるということは、彼が入れ込むようにしなければいけない。星蘭は背筋を伸ばして、彼が渡りに来るのを今か今かと待ちわびた。
やがて。星蘭の与えられた屋敷内が妙な緊張に満ちはじめた。皇帝の石竹が来たのである。眉目秀麗……だったのだろうと思わせる顔だった。顔立ちはたしかに整っているのだが、皺一本、髪の毛の白髪。年不相応にくたびれているところが見え隠れしたのだ。
星蘭は思わず見とれてしまったが、なによりも彼を見て驚いたのは。
彼の黒真珠のような瞳であった。貝を割って転がり落ちた綺麗なものではない。秘宝として持て囃され、人の手に触れられ続けてすっかりと艶の消えてしまった大粒の黒真珠のようだったのだ。まるで、穴が空いたかのような虚無。それが彼の目を見て心を奪われてしまった星蘭の感想であった。
「……お初にお目にかかります、陛下。どうぞお励みくださいませ」
「そうか」
低頭するのを、石竹は淡々とした様子で見ていた。
その夜、あまりにも義務的に奪われたが、そのときから星蘭は決めていた。
彼の黒真珠のような瞳に、光を灯そうと。
星蘭は実家から皇帝の玉座を奪うための子を成すように送られてきた妃である。彼に取り入るのは当然といえば当然だったが。彼女は彼の瞳に光が宿るようにと、彼のことをそれはそれは労りはじめたのである。
****
「陛下、今は芙蓉が見頃ですよ」
「そうか」
「お疲れ様です、どうぞゆっくりしてらして」
星蘭は渡りのたびに、それはそれは石竹をもてなした。使用人たちには渡りの日には庭木を毎度毎度入れ替えるように伝え、庭には仙人郷を思わせるような池がつくられ、天気がいい日はその上で船遊びができるようにした。
金を使い過ぎではと実家には文句を言われたものの「子ができればよろしいのでしょう?」で一蹴した。
実際に星蘭は数回の渡りにより無事に子を成し、それで実家は根を上げたのだ。
彼女は使用人たちに加えて医者にも診てもらい、臨月を待っていたが。
そんなある日使用人が「妃様!」と血相を変えてやってきたのである。
「妃様、大変です!」
「なにごとですか。障りますよ」
「……っ、申し訳ございません。陛下の子が……成されたそうです」
「……なんですって? どこの妃ですか」
「それが……」
使用人が言い募る。それに星蘭は腹を立て、その場にあった茶器を彼女にぶつけた。妊婦にもいいとされている花茶の匂いだけが、部屋を漂った。
「言いたいことがあるなら、はっきりと言いなさい」
「……それが、妃ではございません」
「はい?」
「宮女です。宮女が陛下の子を成したのです」
「…………っ!!」
星蘭は怒って机に乗せてあった全ての食器をたたき割ってしまった。使用人たちは悲鳴を上げ、「妃様、お体に障ります! もう休みましょう!」と必死で抑えつけられる。
「どうして、どうして……!」
後宮にいる全ての女は、皇帝の捧げ物である。逆に言ってしまえば、宮女の子であったとしても、玉座につく可能性だってある。
それは妃として輿入れしてきた星蘭にとって、屈辱以外の何者でもなかった。
星蘭は使用人たちに告げる。
「その女、半産させなさい」
「妃様、さすがにそれは……」
「他の妃も既に子を成し、庇護下に置いて育てているはずです。陛下の子に、どこの馬の骨ともわからぬ女の子は必要ありません」
こうして、星蘭は使用人たちを走らせ、妊娠した宮女を追い詰めさせた。
星蘭はイライラしながらも、無事に子を産み、あれは死んだだろうかと安心していた。子はどことなく石竹に似ており、それが大変に可愛らしく思えて星蘭は愛情を注いでいた。
彼女の石竹に向ける愛情も子に向ける愛情も本物ならば、宮女を執拗に追い詰め、半産させた挙げ句に宮女を殺そうとする執念深さも本物であった。
だからこそ、宮女は死んだものの、かろうじて息をしていた子は、宦官たちの手で保護されてしまったのを苦々しく思っていたのである。
星蘭が実子を溺愛している最中、次から次へと妃たちが子を成していった。それ以降、あちこちからひっきりなしに子を殺そうとする暗殺合戦がはじまり、その都度粛正、粛正、また粛正の嵐が吹き荒れていた。
それでも星蘭は夢を見ていたのである。
「お労しい陛下。おかしな女に騙されて子をつくったものの、その子がこの後宮で生きていけましょうか。いずれは我らが一族がきちんとお仕えします。陛下、それまでにきちんと掃除は済ませておきますから」
その夢は毒々しい。
星蘭の中では純愛となっていたそれは、禍々しい愛とは程遠いなにかに変質してしまっていたが、当の本人は自覚がなかった。
破滅が訪れたのは、本当に突然だったのだ。
****
後宮に激震が走った。
よりによって妃に挨拶に来た皇太子が暗殺されかける事件が発生したのだ。
星蘭の子は順番的に皇太子になれなかった上に、現在後宮で生まれた皇子たちは全て皇子宮に移動していてここにはいない。つまりは暗殺する方法がない。
「すぐに何者が皇太子暗殺の糸を引いたのか調べなさい! 勝手に私たちが首謀者にされても困ります!」
「はっ!」
星蘭は爪を噛んで震えた。
「陛下……私はあなたのものです。あなたの子を産み、あなたの子を支える所存です。私は本当に暗殺などしておりません……」
後宮内に暗殺騒ぎが起こるのは今にはじまったことではないが、既に世継ぎが決まっている中で起こされては一大事だった。
その中、本当に久しぶりに皇帝の渡りがあるという知らせがあった。星蘭は慌てて調査に出ている使用人たちを総動員させて、皇帝にふさわしいお茶菓子とお茶を用意して、やってくるのを今か今かと待ちわびたのだ。
久々に会う石竹は、前以上に目が虚ろになっていた。元々表情が乏しい人ではあったが、彼の虚ろな穴のような目は、星蘭がたまらなく好きなものであった。
「陛下、おひさしゅうございます。お体お加減はいかがですか?」
「問題ない」
「そうですか。なにやら騒がしい中、本当にようこそお越しくださいました」
「お前は」
「はい?」
その言葉を星蘭は珍しく思った。石竹が他の話をすることが珍しいのだ。
「お前は、あの子を殺そうとしたか?」
「……暗殺騒ぎが出回っておりますね。私はなにもしておりません。早く犯人が捕まればよろしいのですが」
「実行役は捕らえたものの、首謀者を吐かせる前に自害したと聞いている」
「まあ……」
よくある話である。
大概の実行役は金を掴まされた宦官か、家の命令で束縛されている使用人だ。それを動かしたのはどこの誰なのかを尋ねられたら、一族を人質に取られていたり、忠誠心だったりで、皆服に仕込んだ毒を呷って死んでしまう。
「お可哀想に」
「空虚な人形がなにを言う?」
「陛下? なにをおっしゃって……」
「人形遊びの気が済んだか?」
「陛下? 陛下?」
「人が死ぬのは仕方がない。余の妻も死んだ。ここでは命は軽い。余も含めて皆軽い。でもあの子は駄目だ。あの子は……余の一番大切な子だ」
「……陛下、あなたまさか」
今の皇太子は、妃の中で一番身分の高い者が産んだ皇子だったはずだが。妃たちのことを妻と呼んだことは一度もない。
だが。宦官が隠した宮女の産み落とした子がいる。どれだけ殺そうと思って探し回ったとしても、とうとう見つからなかったその子。
そういえば、以前流行病が後宮内に入り、皆が皆息を詰めて屋敷内から出なかったことがある。あれで医官以外の後宮で働く者たちがころりころりと倒れて大惨事だったことがある。あのときに、小さな亡骸が医官たちに運ばれていっていた。
あの中に、妃の子がいたのではないか? そのときに、陛下と宦官たちの共謀によって入れ替えられたのではないか?
全ては、陛下のわがままで。
「なにをなさったのかわかっておられるのですか!?」
「お前になにがわかる。余で人形遊びして、人形のように愛玩していただけのお前に」
「違う……違います! 私はたしかに陛下を愛しておりました!」
「そんな余迷いごとを言う女を、余は何人抱いたと思っているんだ」
「…………!」
そのとき、星蘭は石竹の目を見た。
彼の目は虚無だ。
彼はただ、奪われ尽くされる人生を送っている。彼の身分は、後宮の者たちによって定められたもの。彼の言葉は、宮廷を救う官吏たちのもの。そして後宮は次期皇帝を産み出すためのものであり、そこで執務の一環として子を成さないといけない石竹に、自由などない。ここは彼にとっては箱庭などではない。監獄と変わりがない。
その中で、死んだ宮女と宮女の忘れ形見以外に、彼の大切なものなどなかったのである。
その中、いきなりバタンと音を立てて武装した兵が入ってきた。
「何事ですか!? 今は陛下がいらっしゃっているのです!」
「陛下、少々失礼します。星蘭妃。あなたに皇太子殺害の容疑がかかっております」
「……!? 知りません! いったいなんの話をしてらっしゃるのですか!?」
「あなたの櫛が殺害未遂の場に落ちていたのです」
「……違います、知りません知りません。陛下、陛下……!」
虚無の瞳をたたえた石竹は、ただ星蘭を一瞥しただけだった。
「この者の一族を全員取り締まれ」
「陛下……!!」
星蘭はただ、兵士たちに取り囲まれて、涙を流していた。
彼女の愛情は、いや、愛情に似たなにかは、彼にはちっとも伝わっていなかったのである。
****
「星蘭妃、逮捕されました。時期に処刑されるでしょう」
「ありがとうございます。彼女が一番滑稽でしたものね」
妃たちの中で、唯一陛下に対して盲目だった娘。
それには憐憫こそ向けれども、容赦する理由もなかった。
この国の皇帝陛下は、代々官吏たちによって食い潰される運命にある。その体は官吏のために存在し、その血は後宮の者たちに搾取されるために存在している。
あれは傀儡政権を生かすための生け贄であり、傀儡としてしか生かされない、自我を出した途端に殺されることをわきまえている存在なのだ。あれに情けをかけてもいいことなんてひとつもない。
かつて彼を人形から人間に戻しかけた宮女は始末した。しかし、彼女の子は宦官たちにより生かされ、よりによって妃の庇護下に入ってしまった。あれを手にかけるのは骨が折れるだろう。
だからこそ、彼を人形に戻すために、彼をもっとも人間として見ている者を手にかけさせる必要があった。これで人間でいることに嫌気を差させ、人形に戻すのだ。
効果は充分にあった。
「彼にはまだ、存分に働いてもらわなければなりません。生かさず殺さず。人形は人形としてならば愛でてさしあげましょう。しかし人間になってはなりません。人間は国を滅ぼしてしまいますから。人形であってこそ、この国は長らえるのですから」
妃たちによる、華麗で血なまぐさい後継者争い。その最中で妃がひとり死に、皇帝の心は死んだ。
世継ぎが決まるその日まで、後宮は同じことを繰り返す。
皇帝にとっては監獄でも、妃たちにとって後宮は箱庭であり、全ては遊びのためにある。
世継ぎを決める戦いもまた、彼女たちにとっては享楽に等しい。
<了>
人形の瞳の奥 石田空 @soraisida
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