第2話



 時事的な、最近のトピック、そういう関係だと、日中関係がなんか揉めている?報道が散見される。  世界情勢というのもオレの子どものころから変わり映えせんような、ギクシャクしている国は相変わらず紛争を繰り返していて、人類は共通の、「世界恒久平和」という大目標を掲げているはずだが、そういうのが実はお題目なんだろうか、ホンマは戦争が好きなエゴイストが実権を掌握しているのが現実?と、コンスピレイシー論者風に知ったかぶりしたくもなる。


 子供のころは、マスコミ、ジャーナリズムというのは弱者、庶民の味方で、正義の味方、そういう風に素朴に認識していて、で、新聞記者やらNHKの解説者とかには素朴に信頼感を持って、親近感も抱いていて…基本的に世の中の良識を単純に信じていて、信じられもした? オレが子供過ぎただけかもしれんが。


 勧善懲悪の、「水戸黄門」やら「遠山の金さん」、あるいは「ウルトラマン」についても素朴に「いいもん」が自分の味方、「わるもん」は理解が及びにくい敵で、異質なエイリアン、そういう牧歌的な時代もあった。


 が、何がどうなってきたのか? そういう素朴な色分けがあいまいになってきた…端的には、「アメリカ⇒日本は味方でいい国」、「共産主義は敵」、そこいらへんも成長するにつれてややこしくなってきた。


 Might is Right という格言があるが、それならのび太は悪で、ジャイアンが正義、とそうなる。 野球だとジャイアンツが正義なのは当然ですが? 

 そっちはそっちで広島カープが強くなったりもしてきた…


 自分だけに限れば、だいたいがオレは善人タイプで「いい人キャラ」。それが、なんとなくおれ自身がアウェーの象徴みたいに?ヘンな目立ち方になって、世の中の善悪がややこしくなってきた? 妄想体系みたいやが、そういう自分の中での、しかしこの発想自体が幼稚な自虐性の発露とも思える…いじめられ体験の後遺症ではないか? という解釈である。


 テレビで以前に天馬ルミ子というアイドルが、タモリさんに「長所と欠点を教えてください」と質問をしたら、全員がずっこけて、せんだみつおが「てめえ、アイドル時代からアタマが成長してねえなあ」と言って、タモリさんも「人間ねえ、大人になったら長所も欠点も渾然一体にがむしゃらに生きてるんだよ!」とか言い返して、大笑いになってたりしたが、オレの妄想?は場合によって?あるいは話者によってはあっけなくひっくり返されて、一種の冗談、と一笑に付されるし、そういう風に振り子がやっと最近は戻ってきた?のかとも思う。


「ローマの休日」では、グレゴリーペックが二枚目の典型で、で、敏腕の新聞記者であった。 そのほうがやっぱり自然なんかとも思います。w




 



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