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平日の秩父鉄道は、冬休みでも意外と人が少ない。
熊谷で高崎線から乗り換えた電車内を見て、蓮は一番にそう思った。いくつか駅に停車したが、乗車する人は各駅でせいぜい二、三人ほどだ。
隣に座る雫は、数駅前から代り映えのない田舎風景を眺めている。
「そういえば、その先輩って呼び方やめてよ」
他愛もない会話の最中、彼女が思い立ったように言った。
「じゃあ霜海さん?」
「ん-、なんか違うな。敬語? 丁寧語もちょっと距離感じる」
彼女は今ひとつしっくりこない様子で、首を捻る。
「そういうのってさ、気を遣ったり、立場が上の人に使うでしょ? 私と君の間にそんな差ないと思うんだよね」
蓮は自身が二年生で、雫が一つ上の学年であることを理由に断ろうとした。彼女とは部活動が同じだったのみで、当時も言葉を交わした記憶は少なく、今は関係が曖昧だ。
彼女はやけに澄ました顔で付け足す。
「しいて言うなら、親のセックスが少し早かっただけ」
「セッ……、もっと可愛い言い方はできないんですか?」
「じゃあ交尾?」
より下品になったのを思ったが、彼は突く気にならなかった。
「まあとにかく、呼び方だけは変えてよ。先輩後輩じゃなくてさ、友達として」
彼女はまたいじわるく微笑む。
「だいたい君、学校辞めたじゃん」
その笑みの奥で、瞳だけがどこか冷然としているように思えたが、気のせいだと軽く流した。
電車が止まり、駅名標には『
改札を抜けると、正面に太く長い一本の道路がある。両側の道沿いには飯処やお土産屋などが並んでおり、先には大きな白の鳥居が待っていた。
「やっぱり、空気がいいね。窮屈な住宅街とは違って澄んでる」
雫が深呼吸をしたのに合わせて、蓮も呼吸を意識した。
「目指すは頂上、といきたいところだけど、十二月は山頂までのロープウェイが運行停止してるらしいから。
それを聞いて彼は現前の道を睨んだ。鳥居のさらに奥にある神社は見えそうもなく、目眩がする。
「徒歩ですか?」
「いや、普通にタクシーだよ」
彼女はスマホを取り出し、慣れたようにタクシーアプリを操作する。
数分経ち、到着したタクシーに乗り込み目的地を伝える。
「なんかすみません、合わせてもらってるみたいで」
蓮が小さく謝ると、雫は不思議そうに何度か瞬きする。
「なんで? いいじゃん楽しようよ」
「その、旅は歩いてこそって感じじゃないですか」
「世間的にはそうかもしれないけど、この旅の本質はそこにはないから大丈夫だよ。私もこっちのほうが楽だし。それとも歩きたい?」
蓮は聞くより早く、首を横に振った。
車体が鳥居を潜る。
「それで、どうして神社へ行くんですか?」
「私が行きたかったのもあるけど、そうだなあ」
雫は一度そこで区切ると、少しだけ思い見る。
「神様はいると思う?」
「なんですか、いきなり」
「いいから」
蓮は迷わず答える。
「いませんよ。もしいるなら僕はもっと人間に向いていて、世界は笑ってしまうくらい優しい、はずです」
「いいね、私好みの答え。ならなんで神社があって、参拝なんかするんだろうね」
彼女は続けて言う。
「本当は意味のあることなんて何もないのに。おかしいね、人間は」
蓮は彼女の横顔にニヒリスティックな陰が差したのを見逃さなかった。
「……何が言いたいんですか」
「さてね。これは自分探しの旅で修学旅行じゃない。意味は与えないと生まれないよ」
タクシーが停まり、雫が会計をして外に出る。
「それじゃあ、神様に文句を言いに行こっか」
石段は決して長くはなかったが、蓮にしてみれば苦行だった。小学生の頃、下校班の同級生に足が遅いと、置いて行かれたことを思い出す。
端に寄り呼吸を整えると、境内というだけでいくらか身体が清まった気がした。
賽銭箱の前に並び、財布を取り出す。今後の縁には期待していなかったが、さしたる思いもなく五円玉を投げ入れた。隣の雫は百円玉と五十円玉、一円玉をそれぞれ一枚ずつ静かに落とす。
蓮は結局、神様への文句など浮かばず、苦しまず死ねますようにと祈った。
「なんで五円玉にしたの?」
石段を先におりた雫が振り返って訊く。
「ただ、なんとなくです。雫さんはなぜあの額を?」
「秘密」
彼女は「調べないでね」と小さく言い足した。
蓮はそれを聞いて初めて、参拝という儀式を実体の伴わぬただの作業にしてしまっていたことに思い至った。彼は自身の浅慮を胸の裡で嗤った。
タクシーで長瀞駅まで戻り、
蓮が山菜そばと鮎の塩焼きを、雫が釜めしともつ煮を頼んだ。
「やりたいことがなかったって言ってたけど、逆にやりたくなかったことはないの?」
雫は届いたもつ煮に七味を振りながら、藪から棒に尋ねた。
「苦手だったのは健康観察ですかね。毎回、体調不良を申告してると周りの子に白い目で見られるので嫌でした」
そばを飲み込み、箸を置いてから言う。
「好きな人とかはいた?」
彼女は再び唐突に問うた。
「さっきからなんですか、急に」
「別に、聞きたくなっただけ」
「いませんでしたよ。そもそも恋愛って、『好き』には『好き』を、『愛してる』には『愛してる』を返さないと成立しないじゃないですか。他人への興味もありませんでしたし、将来が不安定な僕はいつかそれを返せなくなると思ってたので、人を拘束すべきじゃないと考えて」
彼は言い訳のように口にして、気恥ずかしさを覚えた。雫は「ふーん」と反応を濁し、それきり食事に集中した。
それから、蓮の体調を考慮して疲れを翌日に持ち越さぬよう、温泉へ行った後に宿へ向かうことにした。
当初、彼は自宅へ帰ろうとしたが、雫に「防犯カメラに不法侵入してるの映ってるから捕まるよ」と言われ却下した。旅はまだ始まったばかりだ。
「宿探してたんだけどさ」
タクシーの到着を待っている間に訊くと、雫がスマホを見ながら言う。
「やっぱこの時期はどこも空きがないらしくて」
彼女はいじわるく笑う。
「ラブホでもいい?」
蓮は苦笑いを隠せなかった。
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