東京ジパング
コマルヒロチ
第1話 星の少女と黒猫の夜
7月7日―
放課後の帰り道、蒸し暑い風が制服の襟を遊ぶ。大和はリュックを肩にかけ直しながら、ぼんやりと空を見上げた。
今日は七夕。だけど、雲が厚すぎて願い事なんて届きそうもない。
きっと織姫と彦星も会えないだろう。
――その時だった。
街中のスピーカーが一斉に震え、耳を刺す電子音が響いた。
《警報発令——警報発令。臨煌区第七ブロックにイレギュラー反応を検知。付近の住民は直ちにシェルターへ避難してください。繰り返します——》
胸の奥がひゅっと冷える。
この区に住んでいれば慣れているはずの緊急放送なのに、嫌でも心臓が速くなる。
「……またかよ。今日は勘弁してくれって感じなんだけど」
自分に言い訳するように呟き、大和は走り出す。
道路沿いの街灯がぱちぱちと避難灯モードへ切り替わり、矢印がシェルターの方向を示す。
逃げる人たちの流れに混じりながら、大和は心のどこかで思っていた。
——今日は、嫌な予感がする。
その流れは変わることなく、いつものようにシェルターに向かっていく。
ふと、その流れが遅くなる。
「だ、誰か! 娘が——娘がいないんです!」
泣き叫ぶ女性の声。
シェルターのドアは警報作動後、数十秒で自動ロックされる。
閉まりかけた分厚い防護扉の前で、母親が必死に係員を掴んでいた。
「お願いです! まだ中に入っていません! 娘が見当たらないんです!」
係員が苦しげに首を振る。
「ロックまであと十秒! もう閉めます、危険です!」
「まだ小さい女の子なんです!―8歳の女の子なんです!」
大和は足を止めた。喉がひりつく。
——どうする。
どうすればいい。
「入れ!」と誰かが叫び、「諦めろ!」と別の誰かが怒鳴った。
その時、大和の足が勝手に前へ進んでいた。
「——俺が探してきます!」
叫んでいた。自分でも驚くほど大きな声で。
係員は驚いた目を向けた。
「危険です! 君は学生だろう!」
「必ず……必ず娘さんを見つけて連れてきます!」
母親が涙で歪んだ目で大和を見た。
「おねがい……お願い……!」
防護扉が重く唸りながら閉じていく。
大和は最後の隙間をすり抜け、外側に飛び出した。
扉が完全に閉まる瞬間、冷たい金属音が響いた。
——取り残されたのは、自分ひとり。
シェルターの扉が完全に閉まり、世界が静かになった。
蒸し暑い空気と、遠くで響くサイレンの残響だけが耳に残る。
避難を終えた街は人影が消え、まるで別の世界に変わっていた。
——本当に、子供が外に取り残されているのか?
胸の奥がざわつく。
イレギュラーの反応が近いということは、この区画はすでに“戦場”だ。
「オレ…大丈夫か…?」
間違えてはいないが無謀だったのかもしれない。
一瞬だけ迷った。が、足はすでに歩んでいた。
―8歳の女の子、情報はこれだけ…
雑居ビルが立ち並ぶ区画を歩く。
いつも下校時に通る道。
だけど今はまったくの別世界に見える。
―ふと冷たい風が吹いた。
その方向に目をやる。
雑居ビルの間に吹く隙間風。
胸がざわっとする。
考える間もなく風のほうへと進んでいく。
散らかった細い通路。薄暗く湿気ている。
奥の箱に目を向ける。
「足…だ…」
子供の足が見える。何も履いていない裸足だ。
大和はそっと近づき覗き込んだ。
―子供だ
肌は危ういくらい白く、金色の長い髪が地面に広がっている。
大和は膝をつき、そっと肩に触れた。
冷たい。
生きてはいるが、ひどく弱っているのがわかる。
「大丈夫か……?」
返事はない。
けれど、まぶたがわずかに揺れた。
―その時
足元の地面に描かれた“模様”が視界の端に入った。
歪な円形。複雑な記号。幾重にも重なった線。
なんだこれ、落書きか……?
「とにかく……シェルターに連れて行かないと……」
大和は子供の身体をそっと抱き上げた。
驚くほど軽い。
骨ばっていて、壊れそうで。
抱き上げた瞬間、少女の唇がかすかに動いた。
「……ひ、か……り……」
「え? 光? 何の……」
問いかけたが、それ以上言葉は続かない。
少女は再び深い眠りに落ちた。
その刹那——
ぢ……ぢちち……ギギ……ッ!
乾いた破砕音が路地に響く。
建物の影から、黒い“何か”が姿を現した。
獣とも、人とも、影ともつかない異形。
臨煌区の住民が恐れ続ける存在。
イレギュラー。
「っ……来やがった……!」
少女を抱えたまま逃げ道を探す大和。
その時——
影より速く、黒い影が路地に降り立った。
真っ黒のパーカ。
表情の読めない猫のマスク。
猫耳の付いたフードを被る
“黒猫”の異名で知られる、謎の
空気が沈み込むように重くなり、路地の埃が地面へ吸い込まれる。
それが彼女——黒猫の力だと気付くのは、先の話だ。
大和と目が合う。
——いや、正確には大和は“彼女を見た”だけだが。
黒猫はイレギュラーを睨みつけ、短く息を吐いた。
「……遅い」
そう呟いた瞬間、彼女の周囲の空気が歪んだ。
重力が揺らぐ音がした。
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