H
@Yoyodyne
第1話
これが最期の仕事になる。何度目の最後の仕事かはもうわからない。今日も他人の最期の瞬間を体験する。苦痛はリアルで何度繰り返しても薄れる気配はない。他者の慣れない肉体では感覚の慣れが発生しないのかもしれない。一つはっきりわかるのは、死んでもこの苦痛から逃れることはできないということだ。現に今死んでいる最中なんだから。私が死に瀕した時、五感がその役割を完全に放棄した暗闇の中でその声は直接脳内に語りかけてきた。前口上を早々切り上げ、一つの提案をその声は持ちかけてきた。「死神の代役を務めないか?」死神。私は今まで読み見聞きした数々の作品からその存在に密かに憧れを抱いていた。中二心くすぐる甘美な響き。実生活ではそのようなことを大ぴらに言うことは全くない。周囲に悟られないよう細心の注意を払っていたほどだ。しかし、死の孤独の前に取り繕う必要など微塵もない。これまでの生では願った実現可能な夢がことごとく破られてきたが、最後に運が回ってたのだ。二つ返事で私は承諾した。死神の実情は想像していたものと違った過酷なものだった。死を与えるのは死神の役目ではない。それをまずその身を持って理解した。病気であれば、細菌やウイルス(これらもまた死ぬ)、臓器不全や癌で死に、他殺であれば人間が死を与える。自殺なら自身で与えられる。そのプロセスに死神が介在する余地も必要もない。死神は殺すことに関しては重力よりも遥かに無力だ。では、なんのためにいるのか?簡単だ。死の苦痛を肩代わりするためにいる。臨死体験というのを聞いたことがあるだろう。インターネットが普及してから真偽不明な噂話との距離が縮まり、この手の話(だからこそ)も無数に存在している。それらに奇妙な共通点があるのに気付いただろうか。それは当人たちは苦痛を全く感じていないということだ。夢で感じるような最低限の恐怖や焦燥すら死に瀕しているのにも関わらず、思考の外に置かれている。これは苦痛を感じるあらゆる生物でも変わらない。植物には植物の、タコにはタコの苦痛があり、今際の際には感じなくなる。以前生きていた者全てが苦痛の受容体になるわけでなく、その役割は死神が担っている。それだけの話だ。死神は自ら何もすることがない。この瞬間にも目の前に今にも死にそうな人間がいる。海に捨てられたのか、投げ出されたのか。体力尽きて目を見開きながら水中にいる。全裸の男が頭上にいてこちらを見下ろしているのは、先方にとって初めての体験だろうが、こちらからすると見慣れた光景だ。息苦しさの末に呼吸が止まり、心臓は鼓動をやめ、酸素を供給されなくなった脳細胞が一つまた一つと死滅していくのを終わらない激痛と共に全身で感じつづける。叫びのたうち回ったところで痛みは軽減することはない。私は先方に手を振ってみた。手持ち無沙汰になるといつもそうする。敵意はないと示すのにも効果的だろう。やがて先方は死につかの間の静寂が訪れる。死神にも担当地区とシフトがあるようで私は自分が死んだ地点の数キロ圏内から外には行ったことがない。時折他の死神も見かける。皆一様に黒いバスローブを身に纏い、苦痛に顔を歪めながら先方を見上げるか、見下ろすかしている。会話は成立したことがない。向こうの声もこちらの声も一切聞こえないのだ。読唇術でもできれば、また違ったのだろう。私には、ただバカみたいに口をパクパク動かしているようにしか見えない。もしかすると本当に暇つぶしでパクパクさせているのを語りかけていると私が勘違いしているだけなのかもしれない。私が初めて出会った死神を真似て、死神をしてみないか?と死にかけの先方に念じてもみたが、通じたためしは一度もなかった。
ある時を境に私は激務に駆られるようになった。死ぬ瞬間に同時に立ち会い。その重複の度合いも10を越えることが珍しくなくなった。視界は景色のレイヤー数が一定を越えるとすぐホワイトアウトしたが、これは有り難かった。先方から先方へと頻繁にテレポートを繰り返すため、なまじ視界良好だとすぐ酔い気分が悪くなるのだ。そうなると既に死んでいるために吐いてスッキリすることもできない。私は仕事の増えた原因を致死率の高い感染症だと勝手に考えていたが、違和感もあった。感染症は媒介する者が急速に死ねば広まりようがない。致死率の高い感染症はそれだけ収束も迅速のはずだが、それが一向に収まる気配がない。土砂災害の現場に転送された時、原因が判明した。他の死神の近くで職務に当たっていた私の一部は、ワイシャツにスラックスを穿いた男が何やら書面を同僚に見せた後、側のスタンドライトに似た機器を操作し、同僚を瞬時に消したのを見た。死神も死ぬという事実に酷く興奮した私は痛みを忘れ笑みを浮かべた。かと言って、私の生活が変わったわけではないが。そして、私の予想よりも早くその瞬間が訪れた。そして落胆した。私は確かに消去された。ただし極一部だけ。身体が以前よりも透けて飛蚊症のように輪郭だけの存在になり、分裂能力も低下したものの結局は私は相変わらず意識を保ち、終わらない苦痛の中で最後の仕事を続けていた。死神の削除に奔走していた職員たちはいつの間にか居なくなり、公的機関が施策の成功を訴えるポスターに取って代わられた。そのポスターはあちこちに貼られていたが、位置の問題で見れなかったり、破かれていたり、上から落書きされ塗りつぶされていたりでなかなかまともに読むことができなかった。一度だけ読む機会があった。襲った女子高生に返り討ちにあって自分のサバイバルナイフで腹部を何度も刺されうずくまる中年男性を看取った時のことだ。刺される度、腹部に衝撃と痛みとは違った焼けるような感覚が増えていくのを感じながら文面を読むとそこにはこう記してあった。
『映像機器に度々記録される。不特定多数の人物について
それらが社会不安を引き起こしている現状を鑑み、政府は80%の削減を目標に早急に対処を試み、達成したことをここに報告する。(署名・日付)』
H @Yoyodyne
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