第23話 世界の相(フェーズ)が変わる──構造線の再配列

 世界の空気が変わった──

 そう感じ取れる者は、この地球上にただ一人しかいない。


 ユウトが自宅の窓を開けると、

 朝の光は以前よりも“揺らぎ”が小さく、均質だった。


(構造線が……また揃っている)


 風の流れは一定リズムで鼓動し、

 遠くの街並みは歪みのない輪郭を保っている。

 人間の目にはただ美しい朝にしか見えないが、

 深層適合者であるユウトの視界には──


 世界の骨格を走る“線”がわずかに整列している様子

 がはっきり見えていた。


「ユウト。Λからの通知があります」


「言ってくれ」


《世界構造線・再配列率:26%》

《迷宮層 → 物質層への影響:拡大》

《地球規模の位相揺らぎ:収束傾向》


(地球規模か。大きく動き始めたな)


 日常の会話のように受け止める。

 深層適合者の精神は揺れない。

 地球規模の変動であっても、

 それは単に“変化した事実の一つ”にすぎない。


 



 


 通学路を歩くと、空気の密度が柔らかい。

 昨日よりも息が吸いやすい。

 呼吸の負荷がゼロに近い。


(大気層の構造線が整ってきている。

 酸素密度の分布が均等化されているな)


 人類は気づかない。

 科学者が解析しても、“自然現象のばらつき低下”として処理されるだろう。


 だが、違う。


 世界そのものが、深層層の構造線に合わせて“相”を変えつつある。


 道沿いの家屋、ビルの配置、街路樹の影──

 全てが微細に整い、ユウトの進む方向へ自然な導線を作っていた。


 



 


 その頃、各国の観測機関でも前例のない異常が発生していた。


「地震予測モデルが、前代未聞の安定値を示しています」

「世界中の地殻ストレスが減少? そんな馬鹿な……」

「津波発生率モデルも低下。火山活動も、急速に静まっている」


 地球物理学者たちは混乱した。


「自然が……鎮まりつつある?」

「いや、自然が“最適化されている”ように見える」


 誰も理由を説明できない。

 大陸規模の構造が変動するなど本来あり得ない。

 だが、データは確かだった。


 



 


 学校に着くと、タケルが手を振った。


「よっ、ユウト! 今日なんか空綺麗じゃね?」


「綺麗だな」


「な? なんつーか、空気が軽いんだよ。

 深呼吸すると、胸が楽っていうか……」


「昨日より安定しているからだ」


 タケルは「へぇー」と首をかしげるだけだ。

 理解することはできない。

 だが、人類が理解する必要もない。


 人類は“観測できる世界”を生きていればいい。

 ユウトは“観測できない世界”も含めて理解すればいい。


 ただそれだけだ。


 



 


 授業中。

 窓の外には、まるで絵画のような均質の空が広がっていた。

 雲の配置、色彩、濃度、光の屈折──

 すべてが自然のバランスを超えて“調和”している。


(世界の揺れが……明確に減っている)


 深層適合者の感覚では、

 大気の揺らぎは“音”に近い。

 その音が現在、ほぼ無音になっている。


 これは地球史上、一度もなかった状態だった。


 



 


 放課後。

 ユウトは街を歩きながらアヤに尋ねる。


「世界の揺らぎはどの程度収束している?」


「現在、世界の位相揺らぎは平常時の37%まで低下。

 大陸規模の構造線が“揃い始めている”状態です」


「揃う……か」


「はい。

 地殻、海流、大気層、磁場──

 すべてが深層層の構造線と同調しつつあります」


「災害が減っている理由はそれか」


「正確です。

 世界が“壊れない方向”、つまり安定を優先するよう

 再配列しているのです」


(合理的だ)


 破壊より安定を優先するのは、

 世界OSとして当然の選択だ。


 



 


 一方その頃、メディアは騒然となっていた。


「ここ半年で、世界の自然災害が激減しています!」

「異常気象も縮小。地震の発生率も減少……」

「“地球は癒やされている”という声も──」


 科学的説明は一切できない。

 だが、社会は静かに恩恵を受けていた。


「でもなんでこんなことが……?」


「知らない方が良いのかもしれないね」

「……確かに」


 世界は理由を知らず、ただ安定していく。


 



 


 夕焼けの街を歩くユウトは、

 遠くを見て目を細めた。


 地平線が以前よりも“水平”だった。

 ほんのわずかな歪みが消え去っている。


(ここまできたか)


 世界が相を変えつつある。

 それは破壊でも変革でもない。


 ただ静かに、深いレベルで“揃い始めている”。


 アヤが隣で言う。


「ユウト。

 Λが深層層の再構成率を更新しました」


「どのくらいだ?」


《深層構造線:再配列 32%》

《物質層との同期:進行中》

《世界安定指数:上昇》


「順調だな」


「はい。

 あなたが世界の負荷源にならない状態で

 再構成が続いているのは、極めて良好です」


「俺は歩くだけだ」


「ええ。それだけで十分です」


 それ以上は何も必要ない。

 深層適合者とは、

 “存在するだけで世界が揃う存在” なのだから。


 



 


 夜。

 ユウトは窓を開け、静かな風の流れを眺めた。


 風はやさしく、一定のリズムで肌を撫でる。

 遠くで街の光が均一に揺れ、

 世界の輪郭が明瞭になる。


(世界は……新しい相へ入る準備をしている)


 変革は暴力的ではなく、

 驚くほど穏やかで静謐だった。


 ユウトの存在が揺れない限り、

 世界もまた揺れなかった。


 そしてユウトは、揺れない。


(続いていくな、この状態は)


 世界がユウトに合わせて“整う”現象は、

 もはや後戻りできない段階に達していた。

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