第1章 幻影の街で (2)

 2 ミステリー



 田村さんは、仕事が終わると飯島さんと遊ぶようになっていた。

 まったく、いい歳して、ゲームに夢中か。


「喫茶アンディ」で、私はしばらくお茶している。

 マスターが教えてくれた、ロシアンティー。いちごジャムを舐めながら、紅茶を楽しむ。

 そうしているうちに、ひとしきり駆けずり回ってきたふたりが遊び終わって入ってくる。


「秋元ちゃん」

 飯島さんが息を切らせながら私のいたテーブルの反対側に座る。

「お待たせ!」

「待ってたわけじゃないけど」

 そう。待っていたわけじゃない。ただ、いちごジャムを舐めに来ただけだ。

 ──彼らが遊び終わるとここに来ることを、知りながら。


 だいぶ遅れて、呼吸困難状態で倒れ込むように、田村さんが店に入ってくる。

「はぁ、運動不足の身には堪える」

 そして、私の隣に座る。

 あんまりゼーゼーと言ってるもんだから、つい背中をさすってあげちゃう。


「なんか、運動になっていいんじゃない?このゲーム」

 私は、笑う。

 私だって、運動なんか普段しないから、スポーツジムに行って体力を保ってる。

 9歳も年上なんだから、少し意識して運動した方がいいよ。


「そうなんだ」

 飯島さんが胸を張る。

「このゲーム、運動不足の中年層に結構刺さってるんだよ」

「……うるさい」

 息の整わない田村さんが、恨めしそうにこちらを見る。

「運動不足の中年だよ、僕は」

 それから、お水をぐいっと一気飲みする。


「でも」

 飯島さんがARゴーグルを外す。それを見て、田村さんも外す。ゴーグルには《N-VIS(ネーヴィス)》と書いてある。

「ネーヴィス姿もなかなか板についてきましたよ、係長」

 このゴーグルは、ネーヴィスというのか。

 田村さんが外したものを借りて、かけてみる。薄暗い視界の中に、あのゲーム開始画面が浮かび上がっている。


「だいぶレベル上がったでしょ、装備を少し変えてみましょう」

 飯島さんは楽しそうだ。

「ほら、level5にもなると、このシールドが使えるようになってる。これは、初期装備よりも余程固い」

 田村さんのスマホを覗き込みながら、飯島さんがキラキラしてる。

 それを見ている田村さんもキラキラしてる。なんだ、子供か。


「そんなに楽しいの……?」

 彼らのところに運ばれてきた生搾りレモンスカッシュの香りが清々しい。

「うん」

 田村さんが、飲み物のストローに口をつける。

「なんかね、没入感がすごいんだ。この頃のゲームはこんなことになってるんだね」


「このゲームは、特別そういうところに力を入れてるんです」

 飯島さんは、レモンスカッシュの飾りのレモンを齧る。

「現実かゲームか、その境目あたりの現実味を目指してて」

 そして、酸っぱすぎてギュッと目を閉じる。

「開発のお手伝いしたときも、楽しかったですよ」


「なんで、そっちに行かなかったんだ?」

 田村さんが、ふとそんなことを言う。

「飯島くんも、研究とか開発とか、向いてそうなのに」

 飯島さんは首を横に振る。

「いや、自分は、ちょっと思想的に合わなくてそっちに行くのやめたんです。役所の方が、そういうの考えなくてよくて楽ですよ」

 あれ?

 田村さんと、状況、似てる?

「僕も、ダイデンを辞めたの、そんな感じだった」

 ああ、このふたり、そりゃ仲良くなるよね。

 なんか、分かる。



 ある日の午後。

 小田桐部長の元に、私服の刑事さんがやってきた。私服だけど、私にはなんとなく分かる。あれは、刑事さんだ。

 部長は高槻室長を部長室に呼ぶ。

 部長室の扉が閉ざされ、しばらく3人で話し込んでいるようだった。


 お茶を出しに、田村さんが部長室に入っていく。

 そのまま出てこない。

「なんだろう?」

 私は、ナナとふたりで、書類の整理をしていた。

 年度末に、古い文書を文書庫にしまうお仕事が待っている。そのために、ファイルを整理して、目録を作っておかないとならない。


「秋元さん」

 出てこなかった田村さんが、部長室の扉を開け、中から私を手招きする。

「来て」

 これは、依頼かな。

 私も部長室に入る。


 刑事さんは、高槻室長の知り合いらしい。仲良さそうに話している。

「高槻さんのところに持ち込めば、謎が解けるかなって思って」

 室長もここに来る前は、警察の刑事課に勤めていた。こんな、法規外の仕事を引き受けるまでは。


「聞いてくれ」

 室長は、私と田村さんに語りかけた。


「この頃、街の中で突然死している人が見つかる事件が3件連続であった」

 突然死。──事件、なのか。

「2人は急性心不全、1人は脳出血様ショックだった。外傷はない」

 行き倒れではなく?


「その3人に共通していたのは、これ」

 室長はノートPCの画面を私たちに見せた。

 そこに映し出されているのは、見たことがあるものだった。


「ネーヴィス……?」

 田村さんが呟く。

「これ、ゲーム用のゴーグルなんだってな」

 室長が田村さんを見る。

「はい。『MIRAGE』の」

 彼の喉が、動く。


「最近、これをやってる人が街の中で目立ちます」

 刑事さんが説明を加えた。

「ゲーム由来の疾患の可能性もある。調べてみたのですが」

 資料を見ながら、話す。

「このゴーグルは、微弱な電流で視覚や聴覚、触覚を刺激する様にできています。それで、脳に異常を来した可能性を考えました」

 そして、資料を応接セットのテーブルに置く。

「電流は微弱で、疾患を与える様なものではありません。しっかり研究が出ていて、それに対する反証データは無い」


「たまたま脳や心臓に脆弱性を持っていた人が亡くなった、という見方がなされているんだけどね」

 部長も資料を見る。

「だから、警察としては事件性を否定している」

「でも」

 刑事さんが反論する。

「何かあると思うんです。もし脆弱な方が亡くなったとしても、理由がハッキリしないとまた人が死ぬ」


「警察としては、捜査を打ち切ります。上の意向です」

 刑事さんが続ける。

「だから、こちらに捜査をお願いしに来ました。刑事課の連中、みんな納得してません」


「と、いうわけだ」

 室長が話を引き取る。

「うちで調べてみることにした。いいね?」

 私と田村さんの目を、交互に見ながら、室長は確認する。

 私達は、首を縦に振った。


「あの」

 田村さんが、声を上げた。

「情報システム部の飯島くんが学生時代、ゲーム開発元のオルトライン社でゲームの開発インターンをやっていたそうです」

 そうだ。そんなことを言ってたな。

 田村さんは、強い口調で続ける。

「彼に、臨時に捜査に携わってもらうことはできないでしょうか?」


「そうか」

 室長は部長の顔を見た。

 部長は、頷く。

「俺から、情報システム部長に話をしておくよ。しばらくこっちに来てもらおう。田村くん預かりってことで」


「彼は頼りになると思います」

 田村さんが頷く。

「……秋元さんに馴れ馴れしいこと以外は」

 ん?

 なんか言った?

 小声だったので、聞き取れなかった。



 刑事さんが帰って行き、室長と田村さんと私は、自席に戻った。

 私は、デスクの引き出しからチョコレートを出し、彼らのデスクの上に置く。

「ありがとう」

 ふたりは、ちょっと表情を緩めた。

 依頼を受ける時の緊迫した空気は、疲れる。

 私は、チョコレートを口に放り込む。

 田村さんも同じ様にする。


「気軽に始めたゲームなのに」

 彼は小さく呟いた。

「まさか、仕事と関係してくるとは思わなかった」


「なに、田村くんもやってんのか」

 室長が目を光らせる。

「じゃあ、やることはひとつだな」

「なんですか?」

 気持ち悪そうに、田村さんが応える。


「潜入捜査よ」

 室長がニヤリと笑う。

「外側からの調査では、何の問題点もなかった。そうしたら、中に入り込んで、どんな使われ方してるのか観察してきてくれ」

 それから、

「趣味に干渉して、悪いな」

 と、田村さんに言った。


 それから、

「秋元くんも行ってこい」

 あー、やっぱりそう言う?

「私には、ファイルの整理の仕事が」

「そんなのは、ナナがやってくれる」

 はいはい、そう言われると思った。


「危険なことがあったら困る。まして今回は、飯島くんを連れていくことになるだろう」

 室長の言葉は、重い。

「今回は、田村くん」

 名前を呼ばれて、田村さんが室長を凝視する。

「お前さんが現場指揮官だ。秋元くんと飯島くんを使って、何か異変がないか探ってきてくれ」


 ──田村さんは。

「はい」

 まっすぐな目で、承諾した。

 私も、彼の部下として働くのは、実は初めてだ。いつも室長から命令が下るから。


「俺はお前さんを全面支援する。だから、やってこい」

 そうか。係長として、室長は田村さんを『育てる』気なんだ。


 これは、部下たる私も責任重大だ。

 私は、デスクの下で、拳をギュッと握った。

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