ダウナー系たぬき娘と雪道を帰るだけ

マナティパンチ

ダウナー系たぬき娘と雪道を帰るだけ

 街灯のぼんやりとした光が、新しく積もったばかりの雪面を鈍く照らしていた。

 この街において、雪景色はそう珍しいものではない。だが、今夜の静寂は格別だった。全ての音が雪に吸い込まれて、世界から遠く引き離されたような錯覚を覚える。


「あ゛あ゛寒ィ! ちくしょォ!」


──そんな俺の声もまた、雪に吸い込まれて消えていった音のひとつである。

 マフラーと手袋をしていても尚寒い。耳の感覚は既になく、吹き抜ける風が肌を指すようだった。

 肩を怒らせ、ポケットに手を入れて歩く。動きだけ見れば往時のツッパリである。今でも名古屋では、こういった歩き方が主流なんだとか。


 雪を踏分け、蹴飛ばしながら、なるべく大股で歩き続ける。

 俺の横を歩く好乃このは、スマホ片手に澱みなく足を進めている。長く重たげな茶髪がふわりとなびき、丸い尻尾が静かに跳ねているのが視界に入った。


「冬毛持ちは暖かそうでいいな……」


 俺がぼそりと呟けば、好乃はスマホから顔を上げて俺を見る。


「暖かいのは顔周りだけだけどね。ハダカザルのオスは大変だね。毛が少なくてさ」


 好乃が目を細める。切れ長な目元の外側に落ちた泣き黒子が、街灯の鈍い光を吸い込んでいるようだった。


「へ、ヘイトスピーチ……」


 俺が震えながらそう返せば、彼女は口の端をわずかに上げ、アンニュイに笑う。

 好乃は、たぬき系統の獣人だ。だが、たぬき自体が持つ愛らしいイメージとは、似ても似つかない。彼女の持つ雰囲気は、常に静かで、どこか退屈そうで、何に対しても無関心であろうとするような、そんな凪いだ雰囲気のもの。整った目鼻立ちと相まって、どこか近寄りがたい空気を纏っている。


「まだかな〜〜家。遠いな〜〜」


 雪は止んでいる。

 しかし、暗い空に星はひとつも見えなかった。


「いつもと変わんないでしょ。雪降ってるだけ」


 好乃の声は低く、抑揚がない。


「そうだけどさぁ、早くこの寒さから解放されたいの俺は。お前はいいよな、その尻尾でバランス取って歩けるし、尻尾にも毛が生えててさぁ」

「あーそっか。君たち尻尾ないもんね。下等……」

「へ、ヘイトスピーチ」


 好乃はスマホをポケットにしまうと、歩調を緩めた。


「ねえ、知ってる?」


 その黒い瞳の上で、長く密な睫毛が、街灯の灯りを反射してきらりと光る。


「カピバラって、時速三十五キロで走るんだよ。見た目によらず」

「なんか聞いたことあるかも。それがどうした?」

「いや、べつに。ただ、あののほほんとした顔で時速三十五キロで走ってるのを想像したら、すごくシュールだなって」

「たしかに。原付と並走できるって考えると割とやるなァ」


 ぼす、ぼすと、新しい雪を踏み締める鈍い音が響く。


「ねぇ、じゃあこれは知ってる?」


 好乃が次の話を切り出す。


「カポエイラって格闘技あるじゃん」

「ああ、格ゲーとかでも有名なやつな」


 好乃は頷くと、薄く微笑む。

 唇の端から、息が白く線となって出ていったのが見えた。


「あれってさ。カポって人が闘いに向かう戦士たちを鼓舞する、つまりエールを送るために踊った動きから広まったんだってさ」

「へぇ〜確かに言われてみれば踊りっぽい動きかも。おもしろ〜」


 俺は素直に関心する。

 好乃は物知りで、時々こういう面白い雑学を教えてくれる。


「まぁ嘘なんだけど」

「なんでそんな嘘をついたの???」


 好乃は性根が捻くれているので、時々こういうカスみたいな嘘をついてくる。

 俺が噛み付くような表情をすれば、好乃は心底愉快そうに、くく、と喉を鳴らして笑った。

 その笑いが雪の静寂に溶けきった直後、好乃の細い体がぐらりと傾いた。長い茶髪と、豊かに膨らんだ尻尾が、雪の白の中を揺れる。


「っ……」


 好乃から、声にならない、一瞬息を詰めただけの音が漏れる。

 一拍後、ぼす、と間抜けな音を立てて、好乃は完全に尻餅をついてしまった。


「おいおい、大丈夫かよ〜!」


 俺は笑いながら立ち止まる。

 どうやら、新雪の下のグレーチングに足を取られたようだ。彼女は座り込んだまま、雪に汚れた制服のスカートと、雪の上に広がる自分の姿を、無表情に見つめている。

 だが、俺にはわかった。彼女の頬が、わずかに赤らんでいることが。静かな彼女の内に、「恥ずかしい」という感情が渦巻いているだろうことが。


「嘘ついたバチが当たったんだろ。ほら」


 俺はそう言って、好乃に手を差し伸べた。


「立てるか?」

「……うん」


 彼女は決まり悪げにそう言うと、俺の手を両手で取る。

──そして突然、俺の腕を思い切り引っ張りながら、全体重を預けてきた。


「うわ馬鹿野郎! おっも!!!」

「女の子に重いとか、デリカシー無いんじゃない?」


 好乃の攻撃を予想していなかった俺は、雪上の不安定な足場では耐えきれず、そのまま雪に倒れ込んだ。

 顔を上げれば、すぐ近くに好乃の顔がある。好乃の睫毛が、呼吸によって細かく震えているのが見えた。雪の上に押し倒したような形になってしまっている。


「お前さぁ!」


 黒い制服から、雪を払いつつ立ち上がる。

 好乃は雪に寝転んだまま、声を出して笑っていた。こけた時、俺は余程面白い顔をしていたらしい。

 顔が赤くなるのを感じる。悴んだだけではない熱だと、自分でも分かった。


「置いてくからな!」


 背中を向けて歩き出せば、背後から笑い混じりの「待って」が聞こえてくる。次いで急ぎ足の足音が迫り、俺の横で落ち着いた。


「晩御飯、なんだと思う? 俺はコロッケと予想するね」


 俺が聞けば、好乃は少しだけ唸って空を見る。


「……カレー?」


 数秒後、難問に挑むクイズプレイヤーのような声が返ってくる。


「お、てことはズバリ、昨日は肉じゃがでしたね?」

「残念、おでんでした」


 俺に名探偵は向いていなさそうだ。


「昨日おでんで、何で今日カレーなんだよ」

「残ったおでんの再利用に、母さんがよくやるの。結構美味しいよ」


 好乃は時折、俺の歩調を確かめるように、そっと、視線を送ってくる。

 俺たちは、そのまま何も言わずに、それぞれの家の玄関先まで辿り着いた。


「じゃあな。また明日」


 俺が先に、いつものように短く切り出す。好乃は、鍵を取り出しながら、振り返りもせずに、静かな声で応じた。


「……うん。また明日、予備校で」


 彼女が玄関のドアに鍵を差し込む。その背中には、豊かな尻尾が、雪の夜の冷たい空気の中で、小さく揺れていた。

 俺は、自分の家のドアノブに手をかける。


「ただいまー」


 雪が、また降り出していた。

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