第13話 灯をつなぐ人たち

平日の昼間だというのに、商店街は夜のように静かだった。


アーケードの下、シャッターが並ぶ通りには、

人の声も、笑いも、生活の音さえもない。


アーチ型の窓を持つ赤レンガの建物——

かつては喫茶店だったのだろう。

丸い取っ手のついた扉は固く閉ざされ、

ガラスに映るのは、誰でもない自分の顔だけだった。


点字ブロックがまっすぐ伸びている。

そこには、かつて 人の足音 があった気配だけが残っていた。


天城蓮は、しばらく立ち尽くしたまま、

通りの先に続く静寂を見つめていた。


——この街は、本当に消えていくのか。


ゆっくり歩き出し、舶灯館へ戻った。



帳場では、千尋が予約表を広げていた。

細いペンの文字の間に、いくつもの空白が並んでいる。


「……まだ、足りない」


千尋は落ち着いた声で言った。

しかし、その指先はかすかに震えていた。


「全部は救えないかもしれない。でも、

 この街の灯りを全部消させるわけにはいかない。」


蓮はゆっくり頷いた。


「守りたい場所があるって、やっとわかった。

 ここはただの宿じゃない。

 ——誰かの居場所なんだ。」


千尋は顔を上げ、まっすぐ蓮を見つめた。


「誰かの“帰る場所”を作りたい。

 失った人も、迷ってる人も、

 もう一度やり直せる場所にしたい。」


その瞳には、長い時間を耐えてきた人だけが持つ光が宿っていた。


蓮は静かに息を吐いた。


「千尋。」


千尋が顔を上げる。


「俺にも、居場所がほしかった。

 ここなら、そうなれる気がする。」


一瞬、沈黙。

外の光が、千尋の横顔を照らした。


そして——


「……うん。」


その一言は、涙の味がした。


外で風が吹き、

舶灯館の橙色の灯りがゆっくり揺れた。


灯りはまだ消えていない。

そして、きっと——消えない。



そのとき、玄関の自動ドアが軽く開いた。


「おじゃましまーす!」


制服姿のままで高校生が三人、勢いよく駆け込んできた。

先頭に立つのは、斉木瑠夏。


「この前の続き、やりに来ました!」


驚く千尋に、瑠夏はスマホを掲げた。


「見てください。舶灯館、すごい反応なんです。

 “かぼすの宿” が、もうトレンドに乗りかけてます。」


画面には、灯火ステップの動画と

「#灯りは消さない」「#灯火ステップ」のタグ。

若い声と笑顔が、夜の光の中で揺れていた。


「商店街のみなさんにお願いしてきました。

 “商店街食べ歩きチケット”、増えるかもしれません。

 揚げたての鯵フライのお店、

満月軒のラーメン、

 かぼすジェラートのカフェ……

 全部、“協力する”って言ってくれました。」


「協力……?」


千尋の声が、かすかに揺れた。


「はい。

 “舶灯館が残るなら、うちもやれることはやる” って。」


蓮は、胸の奥から熱い何かが込み上げるのを感じた。


「高校生に負けるわけにはいきませんよね」


瑠夏がニッと笑う。


その言葉に、千尋も笑った。


「ありがとう。本当に、ありがとう。」


涙がこぼれる直前、

千尋は目をぎゅっと閉じた。


「まだ灯りは消えてません。

 消させません。」


瑠夏はまっすぐ言った。


「この街は、死なせません。」


その瞬間、帳場の電話が鳴り響いた。


《プルルルル……》


千尋は涙を拭き、受話器を取った。


「舶灯館でございます——」


短い沈黙。


「取材……ですか?

 後日こちらに——はい、お待ちしております。」


受話器を置いた手が震えていた。


「舶灯館が、記事になる。」





◇場面転換 — 華の家


玄関の扉が開く。


「ただいま。」


「おかえり、遅かったわね瑠夏。どこ行ってたの?」


台所で夕食の支度をしていた華が振り返った。

柔らかく笑っている。


「お母さん明日から、商店街の定食屋さんで働くのよ。」


「あっ、そうなんだ。よかったじゃん。」


瑠夏はあくまで自然に返事をしながら、

自室に入り、コートを脱ぎ、静かに笑った。


その指先には、

まだ冷たい冬の海風の感触が残っていた。


台所に湯気が立ち上り、

静かな夜がゆっくりと始まっていく。


誰かが動けば、

誰かが応える。


灯りは、つながっていく。

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