第13話 灯をつなぐ人たち
平日の昼間だというのに、商店街は夜のように静かだった。
アーケードの下、シャッターが並ぶ通りには、
人の声も、笑いも、生活の音さえもない。
アーチ型の窓を持つ赤レンガの建物——
かつては喫茶店だったのだろう。
丸い取っ手のついた扉は固く閉ざされ、
ガラスに映るのは、誰でもない自分の顔だけだった。
点字ブロックがまっすぐ伸びている。
そこには、かつて 人の足音 があった気配だけが残っていた。
天城蓮は、しばらく立ち尽くしたまま、
通りの先に続く静寂を見つめていた。
——この街は、本当に消えていくのか。
ゆっくり歩き出し、舶灯館へ戻った。
◇
帳場では、千尋が予約表を広げていた。
細いペンの文字の間に、いくつもの空白が並んでいる。
「……まだ、足りない」
千尋は落ち着いた声で言った。
しかし、その指先はかすかに震えていた。
「全部は救えないかもしれない。でも、
この街の灯りを全部消させるわけにはいかない。」
蓮はゆっくり頷いた。
「守りたい場所があるって、やっとわかった。
ここはただの宿じゃない。
——誰かの居場所なんだ。」
千尋は顔を上げ、まっすぐ蓮を見つめた。
「誰かの“帰る場所”を作りたい。
失った人も、迷ってる人も、
もう一度やり直せる場所にしたい。」
その瞳には、長い時間を耐えてきた人だけが持つ光が宿っていた。
蓮は静かに息を吐いた。
「千尋。」
千尋が顔を上げる。
「俺にも、居場所がほしかった。
ここなら、そうなれる気がする。」
一瞬、沈黙。
外の光が、千尋の横顔を照らした。
そして——
「……うん。」
その一言は、涙の味がした。
外で風が吹き、
舶灯館の橙色の灯りがゆっくり揺れた。
灯りはまだ消えていない。
そして、きっと——消えない。
◇
そのとき、玄関の自動ドアが軽く開いた。
「おじゃましまーす!」
制服姿のままで高校生が三人、勢いよく駆け込んできた。
先頭に立つのは、斉木瑠夏。
「この前の続き、やりに来ました!」
驚く千尋に、瑠夏はスマホを掲げた。
「見てください。舶灯館、すごい反応なんです。
“かぼすの宿” が、もうトレンドに乗りかけてます。」
画面には、灯火ステップの動画と
「#灯りは消さない」「#灯火ステップ」のタグ。
若い声と笑顔が、夜の光の中で揺れていた。
「商店街のみなさんにお願いしてきました。
“商店街食べ歩きチケット”、増えるかもしれません。
揚げたての鯵フライのお店、
満月軒のラーメン、
かぼすジェラートのカフェ……
全部、“協力する”って言ってくれました。」
「協力……?」
千尋の声が、かすかに揺れた。
「はい。
“舶灯館が残るなら、うちもやれることはやる” って。」
蓮は、胸の奥から熱い何かが込み上げるのを感じた。
「高校生に負けるわけにはいきませんよね」
瑠夏がニッと笑う。
その言葉に、千尋も笑った。
「ありがとう。本当に、ありがとう。」
涙がこぼれる直前、
千尋は目をぎゅっと閉じた。
「まだ灯りは消えてません。
消させません。」
瑠夏はまっすぐ言った。
「この街は、死なせません。」
その瞬間、帳場の電話が鳴り響いた。
《プルルルル……》
千尋は涙を拭き、受話器を取った。
「舶灯館でございます——」
短い沈黙。
「取材……ですか?
後日こちらに——はい、お待ちしております。」
受話器を置いた手が震えていた。
「舶灯館が、記事になる。」
◇場面転換 — 華の家
玄関の扉が開く。
「ただいま。」
「おかえり、遅かったわね瑠夏。どこ行ってたの?」
台所で夕食の支度をしていた華が振り返った。
柔らかく笑っている。
「お母さん明日から、商店街の定食屋さんで働くのよ。」
「あっ、そうなんだ。よかったじゃん。」
瑠夏はあくまで自然に返事をしながら、
自室に入り、コートを脱ぎ、静かに笑った。
その指先には、
まだ冷たい冬の海風の感触が残っていた。
台所に湯気が立ち上り、
静かな夜がゆっくりと始まっていく。
誰かが動けば、
誰かが応える。
灯りは、つながっていく。
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