第3話 インフラの守り人が「債務奴隷」になるまで

【カイの視点:1年目~2年目】


『日本の血管を守る誇り』


 エリナが成田から去った日も、俺は地下30メートルの共同溝の中にいた。

 俺の仕事は、インフラメンテナンスの二次下請け。

 老朽化した水道管、ひび割れた橋脚、今にも止まりそうな変電設備。

 それらを騙し騙し延命させるのが俺の役目だった。


「篠田班長、この配管、もう限界です! 破裂します!」


「泣き言を言うな。バイパス繋いで、補修材で固めろ。俺たちが止めれば、東京の水道が止まるんだぞ」


 総理の「総力戦」宣言以降、予算は削減されたが、現場への要求は過酷さを増した。

 それでも俺は誇りを持っていた。

 派手なIT企業や金融マンが逃げ出しても、俺たち「エッセンシャルワーカー」がいなければ、この国は一日たりとも動かない。

 俺がこの国の血管を支えているんだ、と。


【カイの視点:3年目】

『一人親方という名の切り捨て』


 その誇りは、紙切れ一枚で踏みにじられた。

 元請けのゼネコンから呼び出され、突きつけられたのは『ベンチャー支援法に基づく契約変更』だった。


「篠田くん。来月から君は、我が社の社員ではない。

独立した『個人事業主(一人親方)』として契約してもらう」


 聞こえはいい。だが、実態は「リスクの全転嫁」だ。


・機材の自腹化(トラック、工具、測定器はすべて俺がリース契約で借りる)。

・安全管理の自己責任(怪我をしても労災は降りない)。

・損害賠償の無制限化(工事の遅れや事故は、全額俺が賠償する)。


「嫌なら契約を切るしかない。……代わりはいくらでもいるからな」


 俺は震える手で、個人事業主としての契約書にサインした。

 それが、地獄への片道切符だった。


【カイの視点:5年目】

『コオロギと敬老税』


 生活は劇的に悪化した。

 円安は止まらず、スーパーから「牛肉」や「輸入小麦」が消えた。

 代わりに棚に並んだのは、「国産高タンパク・クリケット(コオロギ)バー」や、得体の知れない合成肉だ。


 さらに追い打ちをかけたのが「税金」だ。

 給与明細(もう給与ではないが)を見ると、額面の6割が消えていた。

 所得税、住民税、復興特別税、そして新設された『敬老特別税』。

 超高齢社会を支えるため、若者の稼ぎは強制的に吸い上げられる。

 俺たちは、巨大な老人ホームを維持するための「生体バッテリー」になった。


「……腹減ったな」


 深夜のコンビニで、3000円(以前の感覚で言えば300円)のコオロギおにぎりを齧りながら、俺は乾いた笑いを漏らした。

 倍働いた。

 休みも返上した。

 なのに、手元に残るのは借金と疲労だけ。


【カイの視点:7年目(現在)】

『女が消えた国で』


 そして現在。

 ある日、ふと気づいた。

 満員電車の中、むさ苦しい加齢臭と整髪料の匂いしかしないことに。


 女がいない。

 街を見渡しても、歩いているのは疲れ切ったサラリーマンと、老人だけ。

 マッチングアプリを開いても、『あなたのエリアの女性は0人です』という表示が出るだけ。


 優秀な女性たちは、とっくに気づいて逃げ出したのだ。

 「子供を産め、働け、介護しろ」と強要するこの国に見切りをつけ、海外へ。

 日本が昭和に逆戻りしたあの日から、まず外資が出て行った。

 彼らは女性幹部比率を、日本人女性で埋めて根こそぎ出て行った。

 そして女性もまともな採用枠はそこしかなかった。

 日本で面接をして、採用は海外で。


 残ったのは、逃げる勇気もスキルもなかった男たちと、逃げ遅れた弱者だけ。


「……エリナ。お前が正しかったよ」


 俺は、泥だらけの作業着で、現場のプレハブ小屋に寝転がった。

 先月の工期遅れで、会社(発注元)から200万円の損害賠償を請求された。

 払えるわけがない。

 だから、その借金を返すために、またタダ働きをする。


 「債務奴隷」


 それが、今の日本の”エッセンシャルワーカー”の本当の語訳だ。


 

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