第6話 トレンドフォローで令和初の大勝ち
それは、初めてリアルトレードで+500円を取ってから、二週間ほど経った頃だった。
俺と琴音は、いつものカフェの隅で、
ノートとスマホを広げていた。
「いい感じですね、
勝ったり負けたりしながら、曲線が右上がり」
琴音が、俺のトレード記録を見ながら言う。
ノートの片隅には、勝ちトレードと負けトレードの一覧。その下に、手書きの簡単なグラフも描いてある。
最初の資金:100,000円
現在:104,200円
「大勝ちはないが、大負けもないな」
「それが一番大事なんですよ。
初心者のうちは“増え方”より“減り方”をコントロールした方がいい」
「昔の俺に聞かせたい言葉だ」
そんなやりとりをしていると、
琴音のスマホが小さく震えた。
「——おっと」
「何かあったか?」
「さっき“ウォッチリスト(監視銘柄リスト)”に入れた銘柄が、
**“年初来高値更新”**したって通知が来ました」
「年初来高値?」
「今年に入ってからの一番高い価格を更新したってことです。
最近は、こういう通知をスマホが勝手に出してくれるんですよ」
「便利すぎて、逆に怖いな」
「でも、トレンドフォローには相性いいんですよ。
“上がってるものに乗る”って発想だから」
トレンドフォロー。
上昇トレンドに素直に乗り、
トレンドが続く限り持ち続け、
トレンドが崩れたら撤退する——
シンプルだが奥深い手法だ。
「どの銘柄だ?」
「これです」
琴音が画面を見せる。
日足チャートは、美しい右肩上がりだ。
移動平均線はすべて上向き、
短期線が中期線の上にしっかり乗っている。
「……強いな」
「業績も、最近の決算でサプライズの上振れが出てて、
“成長株”として人気が出てるやつです」
「人気と実力が、どちらも上向いている銘柄、というわけか」
「はい。
こういうのに**“トレンドフォローでコツコツ乗る”**ってのが、投機でも投資でも、一つの王道ですね」
俺はしばらくチャートを眺める。
「ここ数週間、
押し目を作っては更新しているな」
押し目。
上昇トレンドの途中で小さく下げ、
再び上昇するポイントのことだ。
「今日の高値を明確に超えたら、
ブレイクアウトで乗る価値はありそうだ」
「トレンドフォロー、いきます?」
「ああ。
令和の初“大勝負”は、
トレンドフォローで行こう」
⸻
エントリープラン:トレンドに素直に乗る
「まず、リスクから計算だな」
チャートを拡大する。
現在値:4,900円。
今日の高値は4,950円。
直近の押し目の安値は4,700円あたり。
「エントリーは、5,000円ちょうどにしよう」
「キリのいい数字」
「そういう数字は、
**多くの参加者が意識する“節目(ふしめ)”**だ。
抜ければ勢いがつきやすい」
「損切りはどこにします?」
「押し目の安値4,700円の、少し下。
4,660円あたりだな」
「てことは——
1株あたりのリスクは、
5,000 − 4,660 = 340円」
「口座残高は、今104,200円。
1回のトレードで失っていいのは、2%まで。
約2,000円だ」
「2,000 ÷ 340 = 5.88……
最大で5株ですね」
「そうだな。
今回は、4株にしておこう」
「さらに減らすんですね」
「初めての“トレンドフォロー本気勝負”だ。
途中でピラミッディング(含み益に乗せて追加)する余地を残しておきたい」
「お、来ました、“勝ってる方にだけ玉を乗せるやつ”」
「ああ。今回は、
**“最初に小さく入り、トレンドが続いたら増やす”**という形で行く」
琴音が注文画面を開き、
指定した条件を入力する。
「指値買い:5,000円、数量4株。
はい、確認お願いします」
俺は画面を確認し、
注文確定ボタンに触れた。
「これで、
トレンドフォロー戦が始まるわけだな」
「そうですね。
エントリーより、“ホールド中のメンタル”が本番ですよ」
「それはよく知っている」
俺は心の中で呟いた。
(昔の俺は、“含み益の維持”に弱かった)
含み益が出ると、
「もっともっと」と欲が膨らみ、
出口を引き延ばしては墜落した。
今回は、違うやり方を試す番だ。
⸻
トレンドに乗るということ
その日は、
午後の取引終わり際に、エントリーが約定した。
○○テック 買い 4株
平均取得単価:5,000円
「さて、ここからが長期戦だな」
「**スイングトレード(数日〜数週間持ち越す取引)**ですね」
「そうだ。
デイトレード(その日中に完結する取引)より、
今の俺には向いている気がする」
「なんでです?」
「人間の感情の波は、
短期より中期の方が読みやすい」
「……なんかわかるような、わからないような」
「短い足(分足)は、
ノイズと機械の揺れが多すぎる。
だが日足レベルのトレンドは、
“人々の期待と不安”がゆっくり織り込まれていく」
「それが読めるから、トレンドフォロー?」
「読めるとは限らない。
ただ——
“人気が続くものには、理由がある”
“見放されるものにも、理由がある”」
俺はチャートの右端を指さす。
「この銘柄は、
“今のところ”市場に好かれている。
なら、好かれている間だけ一緒に踊ればいい」
「踊る、ですか」
「人気が尽きたときは、
さっさとパーティー会場から帰る。
それがトレンドフォローだ」
「めちゃくちゃイメージしやすい……」
⸻
トレーリングストップという考え方
「で、問題は“どこで帰るか”です」
琴音がノートを開きながら言う。
「前にやったのは、
“決めておいた価格で利確”でしたけど、
トレンドフォローの場合、
**“どこまで伸びるかわからない”から難しいんですよね」
「だからこそ、
“トレーリングストップ”を使う」
「トレーリング……?」
「**“値段が上がるにつれて、損切りラインも引き上げていく”**考え方だ」
俺はナプキンに簡単な図を描いた。
「最初は、損切りラインが4,660円だった。
もし株価が5,200、5,400と上がっていくなら——」
「それに合わせて、
損切りも“高いところ”にずらしていく、って感じです?」
「そうだ。
たとえば“5日移動平均線を終値で明確に割ったら売る”とか、“直近3日の安値を割れたら売る”とか」
「なるほど、
ルール決めて“自動でついていく”イメージですね」
「そうだ。
トレンドフォローは、
“どこで伸びが止まるか”はわからないが、
“伸びが終わったこと”はチャートに出る」
「だから、チャートをちゃんとルール化して見る、と」
「そういうことだ」
⸻
一週間後:含み益の揺れと、増し玉
一週間後。
俺のスマホは、いつもより静かだった。
代わりに、
証券アプリの数字がじわじわと動いている。
○○テック 買い 4株
平均取得単価:5,000円
現在値:5,450円
評価損益:+1,800円
「いい感じですね。
**一週間で+1〜2%**って、プロのファンドでも普通に合格ラインですよ」
カフェで琴音が画面を覗き込む。
「ここからどうします?利確しちゃいます?」
「いや、まだだ」
俺は日足を開き、移動平均線を見る。
「短期線も中期線も、上向きのままだ。
ローソク足も、まだ短期線を割っていない」
「トレンド継続判定ですね」
「ああ。
トレンドが続いているうちは、
小さな調整に怯えて降りるわけにはいかん」
「かっこいいこと言いましたね。
でも、怖くないです?」
「怖いさ」
正直なところ、
評価損益に+1,000円の数字が見えるだけで、
もう片方の手で“売り”ボタンに伸ばしたくなる。
「だが——」
俺はノートを開いた。
「**“利を伸ばす練習をする”**と、自分で書いたからな」
「自分ルールに縛られてる……」
「縛るために書いたのだ」
その後、
株価はさらに上がった。
現在値:5,800円
評価損益:+3,200円
「さて、ここで“増し玉(ピラミッディング)”だ」
琴音の目が輝く。
「来た、勝ってる方向に乗せるやつ!」
「含み益3,200円のうち、
1,500円分を“新しいリスク”に回す」
「うわ、考え方が完全にプロ……」
「1株あたりの現在値は5,800円。
損切りラインは、
“5日移動平均線を終値で明確に割ったら”に変える」
チャートを見ると、
5日線は5,600円付近を通っている。
「5,500円を割ったら全部売る。
そうすると——」
今の4株は、
5,000円→5,500円まで下がったとしても、
1株あたり−500円 × 4株=−2,000円。
だが、すでに含み益が+3,200円出ているから、
トータルではまだ+1,200円の余裕がある。
「この余裕の範囲内で、
もう2株だけ追加する」
「合計6株ですね」
「そうだ。
追加で買う2株は、
“含み益が貸してくれた余力”だ」
琴音が新規の指値を入れる。
「成行買い2株、約定。
平均単価は——」
保有:6株
平均取得単価:5,266円(4株×5000+2株×5800の平均)
「損切りラインを5,500円にしておけば、
最悪でもトントン前後に収まるように調整してありますね」
「ああ。
“増し玉”は、常に“最悪のケース”から逆算する」
「負けてる方向にナンピンするのと、
メンタルの質が全然違いそう」
「ナンピンは、“悪い状況をなかったことにしようとする行為”だ。
増し玉は、“良い状況をさらに良くしようとする行為”だ」
「それ、名言です」
⸻
ギャップアップと、令和初の大勝ち
増し玉から数日後。
決算発表の日が来た。
「今日、あの銘柄、決算なんですよね」
琴音が、少し緊張した顔で言う。
「決算は、
“トレンドを加速させる燃料”にも、
“トレンドを終わらせるブレーキ”にもなる」
「どっちになるか、ですね」
市場が開く時間。
俺たちはカフェの席で、
スマホの気配値を見つめていた。
「——あ」
開場と同時に、
チャートが跳ね上がった。
前日終値:5,900円
寄付き:6,400円(+500円ギャップアップ)
「ギャップアップ……!」
琴音が声を上げる。
「ギャップアップ=前日の終値よりも、
大きく上に飛び上がって始まることです」
「決算が相場の予想以上に良かった、ということだろう」
保有株の評価損益が、一気に増える。
平均取得単価:5,266円
現在値:6,400円
評価損益:+6,804円
「一気に+6,000円超えですね……!」
「まだ始まったばかりだ」
売り板と買い板が、
信じられない速さで書き換わっていく。
6,500円、6,600円……
売りたい人より買いたい人の方が多い。
“決算サプライズ”に、
短期勢も飛び乗っているのだろう。
「——そろそろ、
**“一部利確”**だな」
「全部じゃなくて?」
「全部では、ない」
俺は落ち着いて言う。
「トレンドフォローの利点は、
“どこまで伸びるかわからない”ことだ。
だが、
“どこかでパーティーが終わる”ことも確かだ」
「だから、どうします?」
「半分(3株)だけ売る」
琴音が成行売りの注文を入れる。
約定音が鳴る。
売り:3株×6,580円
確定利益:+3,944円(税引き前)
「残り3株は、
損切りラインを6,000円まで引き上げる」
「6,000円を割れたら、
そこで全部決済ですね」
「ああ。
この時点で——」
俺はざっと計算する。
「平均取得単価5,266円で6,000円なら、
1株あたり+734円。
3株で+2,202円」
「すでに半分利確で+3,944円確定してるから、
最低でも合計+6,000円ちょっとは確保って感じですね」
「そうだ。
“最悪ケース”をまず確保する。
残りは、相場に任せる」
その日は結局、
終値は6,700円近辺で引けた。
数日後、
トレンドはやや加速を失い、
6,000円のラインを割り込んだ。
「ここまでだな」
俺は迷いなく、
残りの3株を成行で売った。
全体のトレード結果:
+3,944円(前半利確)
+2,400円前後(後半利確)
合計:約+6,300円
口座残高:
104,200円 → 約110,500円
「一回のトレードで、資金の約6%増加……!」
琴音が目を丸くする。
「これが、
**“大勝ちしすぎない、でも十分な大勝ち”**だ」
「はい、今日のサブタイトル決まりましたね」
「何でもサブタイトルにするな」
笑いながらも、
胸の奥がじんわりと温かくなる。
含み益の揺れに耐え、
ルール通りに増し玉し、
ルール通りに利確した。
昔の俺が最も苦手としていたパターンだ。
(——少しだけ、あの頃よりマシになったか)
⸻
勝った後にこそ書くべきルール
その夜。
俺はまたノートを開き、
トレードの詳細を書き込んだ。
・トレンドフォロー成功例(令和初の大勝ち)
・“増し玉”は含み益の範囲内でのみ行う
・一部利確で“最悪の結果”を先に確保してから、残りを伸ばす
・トレーリングストップ(損切りラインの引き上げ)が有効に機能した
そして、ページの一番下に、
新しいルールを一行足す。
6.大きく勝った翌日は、必ず“相場から一日離れる”。
勝ちの興奮のままトレードしない。
「……息抜きが必要だな」
そう呟いたタイミングで、
スマホにメッセージが飛んできた。
琴音:
「明日、完全息抜き回やりません?
相場禁止デーで、令和文化見物ツアー!」
「……息抜き回?」
思わず笑ってしまった。
(いいだろう。
勝った翌日は、
ちゃんと遊んでからまた戻ってくればいい)
俺は短く返信を打った。
「了解。どこへでも連れていけ。」
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