第4話「砂漠の若き王」

「市場に“聖なる天蓋”を作り出す、奇跡の少年現る」


 その噂は、熱風に乗って砂漠を駆け巡るように、瞬く間にバシラ王国の王宮にまで届いていた。


 玉座の間で執務を行っていた若き王ジャファルは、報告をもたらした宰相の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。日に焼けた精悍な顔立ちに、夜空の色を閉じ込めたような深い瑠璃色の瞳。民を想う優しさと、国を導く王としての厳しさを併せ持った、砂漠の国の若き獅子。それが、ジャファルという王だった。


「聖なる天蓋、だと?」


「は。市場に現れた旅の少年が、自らの影を操り、広場を覆うほど巨大な日陰を作り出した、と。その涼やかさは、まるでオアシスの木陰のようだとか。民はそれを『聖なる天蓋』と呼び、少年に感謝と称賛を捧げているとのことです」


 ジャファルは組んでいた腕を解き、深く息をついた。


 彼の最大の憂いは、この国の宿命とも言える灼熱の太陽だった。どれだけ灌漑を整備し、民に水を配っても、強すぎる日差しそのものをどうにかすることはできない。日中の活動が制限されることは、国の発展を妨げる大きな要因でもあった。民が太陽に苦しめられるたび、王である自分は無力感に苛まれていた。


 そんな時に舞い込んできた、にわかには信じがたい報告。


(影を操り、日陰を作る……?そんな奇跡が、本当にあるというのか)


 半信半疑ながらも、もしそれが真実ならば、国にとってどれほどの救いになることか。


「宰相。後のことは任せる。私自ら、その目で確かめてくる」


「王よ!なりません!そのような街の噂を鵜呑みにされ、軽々しく玉座を立たれては……!」


 慌てて引き留める宰相を、ジャファルは力強い視線で制した。


「私の民が、奇跡だと口を揃えるのだ。それを確かめずして、何が王か。心配せずとも、護衛だけを連れていく。目立たぬようにな」


 有無を言わせぬ王の言葉に、宰相は深々と頭を下げるしかなかった。


 人々の活気で賑わう市場は、ジャファルが知っている昼間の光景とはまるで違っていた。いつもなら暑さを避けて閑散としている時間帯にもかかわらず、多くの人々が広場に集い、笑顔で語らっている。


 そして、その中心に確かにそれはあった。


 まるで空に巨大な黒いビロードを広げたかのような、広大な影の天蓋。その下は、外の灼熱が嘘のような涼やかさに満ちていた。


 ジャファルは息を呑んだ。噂は、真実だったのだ。


 彼は人込みをかき分け、天蓋の中心へと向かった。そこにいたのは、一人の青年だった。異国の質素な旅装を身につけ、少し戸惑ったように佇んでいる。銀灰色にも見える不思議な色の髪と、空の青さを溶かしたような澄んだ瞳。人々から次々に感謝の言葉をかけられ、そのたびに困ったように微笑みながら、必死に日陰を作り続けている。


 その姿を見た瞬間、ジャファルの心臓が大きく跳ねた。


 なんと儚げで、そして美しい青年だろうか。


 彼の周りには、確かに強大な力の気配がある。だが、それは決して邪悪なものではない。むしろ、ひどく優しく、穏やかな力だ。


 何よりジャファルの心を惹きつけたのは、その青い瞳に宿る深い優しさだった。彼はきっと、これまで辛い人生を歩んできたに違いない。その佇まいが、その表情が、そう物語っていた。それなのに、彼は見返りを求めるでもなく、ただひたすらに、ここにいる名も知らぬ民のためにその奇跡の力を使っている。


 ジャファルは、護衛が止めるのも聞かず、青年の元へと歩み寄った。


「君が、この『聖なる天蓋』を作っているのか」


 声をかけると、青年はびくりと肩を震わせ、驚いたようにジャファルを見上げた。その青い瞳が、間近で見るジャファルの姿を捉え、わずかに見開かれる。


 人々の感謝の声に戸惑いながらも、懸命に日陰を作り続けるその姿に。


 その青い瞳に宿る、傷つきながらも失われない深い優しさに。


 そして、彼が生み出す奇跡の影に。


 ジャファルは、生まれて初めての感情に突き動かされていた。これは、ただの興味や関心ではない。もっと激しく、心を根こそぎ奪われるような、鮮烈な衝動。


 砂漠の若き王は、この日、この瞬間、運命と出会ってしまったのだ。

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