第8話 とある仕立て屋の苦悩
今日もここ、喫茶店【縁】には、あいも変わらず閑古鳥が鳴いていた。
いつもは、気怠げに店番をしている僕だが、今日の僕は違った。
その理由は、僕の上半身にある。
この喫茶店の制服は全て店長が用意していて、それを僕が借りている。
朝来ると、すでに制服は洗濯されており、新しいものが置かれているのだ。
その置いてある制服に着替えて、僕は店に立つ。
おそらくだけれど、僕が店を閉めた後に、店長が毎日洗って新しく置いておいてくれているのだろう。
以前、流石の僕でも、僕が着たものを毎日店長に洗ってもらうのは、申し訳ない。
そう思い、何度か自分で洗うと申し出たことがあった。
けれども、店長は取り入ってくれる様子もなく、淡々とした声で言った。
「一人前になってからな」
それはつまり、僕はまだ半人前ということ。
半人前の僕に店を任せているのもよくわからないし、一人前にならないと制服を洗わせてくれないのももっと意味がわからない。
けれど、店長は頑なにそう言うのだ。
店長の言う『一人前』が何を指すのかはわからなかったが、しばらくして、ふと気づいた。
店長と僕とでは、『制服』が違うことに。
そして僕は考えた。
きっと、一人前になれば僕もあの制服を着られるのだろう、と。
そして、今朝、遂に。その時が来たのだ。
僕が眠たい眼を擦って店の裏口から入ると、そこにいつもの白シャツと、その隣に“店長と同じ黒のベスト”が置かれていた。
遂に店長に一人前だと認められたのだと。
眠たかった瞳は一気に覚醒し、僕の胸は瞬時に高鳴った。
静かにガッツポーズしたのは言うまでもない。
そして今。
僕の上半身には、僕の身体にピタリと合った黒のベストが身に付けられている。
いつの間に店長は僕の分を用意していたのだろうか。
そう浮つきながら、僕はやる気満々でカウンターに立っている。
こんな日にこそ、お客に来てもらいたい。
そう強く思っていた時。
「カランカラン」
扉のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!!」
喫茶店らしからぬ、元気のいい挨拶をすると、お客の女性は困惑した表情でこちらを見ていた。
コホン、と一つ咳払いをして、落ち着いた声色でお客を席へと誘った。
「どうぞ、お好きな席へ」
「あ、はい……」
茶髪の髪を下で一つに括った女性。
春の季節を先取りした薄めな黄色のワンピースを身に纏っていた。
女性は、僕の目の前のカウンター——ではなく、その一つ隣の席に腰掛けると不思議そうに辺りを見渡しながら言った。
「ここは、悩みを聞いてくれるんですよね……?」
いつの間にかこの喫茶店は、悩み相談所になっていたらしい。
誰かが噂を流したのだろうか。
心当たりがあるとすれば、勇者と名乗った不思議な青年だろう。
そんな噂が流れていたとは知りもしなかったが。
僕は、困ったように曖昧な返事をした。
「えぇっと……、何かお悩みが……?」
そう答えると、女性はパアッと顔を明るくさせて、嬉しそうに話し始めた。
肯定したわけではないのに、と僕は内心で小さく突っ込みを入れる。
けれども、もうこうなってしまったら仕方がない。
僕は話を聞くのも話すのも得意ではないけれど、少しでもこの女性の悩みが晴れるのならば聞こうではないか。
そう決意し、僕は話を聞くお供として女性に珈琲を差し出した。
「珈琲です。お話のお供に、どうぞ。お好みでお砂糖とミルクもありますので」
「あ、ありがとうございます」
女性は、礼を言うとカップを手に、珈琲を一口啜った。
今日の珈琲は、少し苦味を抑えて酸味を程よく効かせた珈琲だ。
僕の好みとはまた違うけれど、一人前と認められた今日の僕は、普段淹れることのない、新たな珈琲豆で淹れたかったのだ。
「わぁ……すごく、香り高くて、酸味があって……とっても美味しいです」
そう言い、女性はさらに珈琲を啜った。
お気に召したようだ。
お客の好みに合わせた珈琲を淹れられるとは、流石は一人前。
心の中で鼻たかだかとしていると、女性はカップを置き、悩みについて話し始めた。
「私は、服の仕立て屋なのですが、先日とある依頼が来まして……どうすれば良いのか分からず困り果てているのです」
そう話す女性の指をチラリと見ると、指の腹には、無数の針の古傷があり、所々皮膚が硬くなっていた。
長年、仕立て屋をしているのが一目でわかる、そんな手をしていた。
当然仕立て屋ではない僕は、彼女の悩みを理解できるのだろうかと、内心不安に思いながらも彼女の言葉の続きを待った。
「その、依頼というのがですね——『見た目は派手で重厚に、けれども丈夫さはいらないからできるだけ軽く動きやすいものを』そう言うんです」
「それは……、難しいですね」
なんとも抽象的な注文だった。
それに、派手で重厚に見えるのに、脆くて軽い動きやすい服など、まるで真逆のように思える。
「それで、どうすれば良いのか分からなくて……」
「そうですよね……」
長年仕立て屋をしてきたであろう彼女が悩むのも無理もない依頼だった。
ただ依頼主の気持ち——どうしてそんな服を作って欲しいのか。
その理由が見えてこないと、どうすればいいのかも分からないんじゃないか。
そう、話を聞いていて感じた。
まあ、それは彼女も分かっているだろう。
僕はもう少し、詳しく聞こうと問いかけた。
「依頼主はその服を何に使うと言っているのですか? 普段着? それとも礼装?」
「それが——依頼主が着るわけではないらしいのです」
「……というと?」
「その服は、贈り物なんだそうです」
「贈り物……?」
贈り物、となるとまた話は変わってくる。
それに、贈り物だというのならもっと色々と注文をつけてくるように思えるが。
その依頼主は、随分とまあ贈る相手を下に見ているのだろう。
そう僕には感じ取れた。
相手が大切な存在ならば、「丈夫さはいらない」なんて言わないからだ。
要は、依頼主はこう言いたいように思えた。
『高そうに見える服を安く作ってくれ』
なんとも酷い話だ。
それを長年仕立て屋をしている彼女に言うとは。
彼女は、流石にそんな酷い依頼だとは、気づいていないようだけれど。
仕立て屋のプロである彼女のことだから、おそらくしっかりと作り込んだものを差し出したいに違いないのに。
(いや、むしろその方がいいのでは……。ん? そういえば——)
僕は彼女の言葉にふと疑問を抱いた。
けれども、一旦その疑問は置いておいて、贈り主のことを聞いてみることにした。
「ちなみに、贈られる相手は、男性ですか? それとも女性ですか?」
「男性と伺っております」
「もう一つ聞きたいのですが、依頼主の性別は……?」
「話をしてきた方は、フードを被っていてよく見えなかったのですが、声からして男性でした。……けど、男性が男性に贈り物をすることはその、あまり……ないと思うので、誰かに言伝で頼まれたものかと……」
(なるほど……)
おそらく、いや、これは僕の中で確信とも言えるのだが。
依頼主は男性で間違いないだろう。
その、直接来た者が依頼主ではなかったとしても、その裏で指示した者がいたとしても、その者も間違いなく男性だ。
この依頼主の真の思惑は、『相手を辱めたい』ということ。
高そうな服を身に付けさせて、それを安物だと公言し、相手を辱めようとしているのではないか。
そう僕は考えた。
もし、この依頼主が女性で、送り主の男性のことを『辱めよう』としているのなら、おそらくもっと細やかな注文をし、より辱められるように考えるだろう。
だが、男性は女性とは違い、そこまで細かく説明はしない。
男性は物事を大枠で考える傾向があるからだ。
どこをどうすればより辱められるかなど、そこまで考えないのだ。
よって、「高そうな服を着せる」といった大まかなアイデアで済ませたのだろう。
そうなると、この注文通りに作ってしまうと、贈られたその見知らぬ誰かが恥をかいてしまうことになる。
それに、そんな服を仕立てた彼女も、相手の立場によっては、ただでは済まないかもしれない。
場合によっては、仕立て屋という職を失う可能性だってあるのだ。
「うーん……」と唸りながら考えていると、彼女は諦めたように言った。
「突然こんなこと相談されても、難しいですよね……ごめんなさい、やっぱり——」
「いえ、一つ案はあるのです。ただ、貴女が損をしてしまうかもしれなくて——」
そう僕が言うと、女性は勢いよく立ち上がった。
「えっ!? それは何ですか!?」
藁にも縋りたい、そんな表情だった。
ただ、僕がこれから言う事は、彼女にとって全てを納得できるものではないだろう。
けれど、彼女の意向には沿っているとも思うのだ。
そして、それが彼女にとっても、彼女の今後にとっても一番最善だとも思ったのだ。
そう思いながら、僕は言った。
「その案ですが——」
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