第5話 少女マオの苦悩

 僕は、ど田舎にある喫茶店【縁】でアルバイトをしているただの大学生。


 僕がここで働いているのには理由がある。

 それは、お客が滅多に来ないから。

 元は、僕もここのお客の一人であったのだが、僕がお客として来ていた時も、この喫茶店は常に閑古鳥が鳴いていた。

 お客がいなければ、働く必要もない。

 何も気負わずして、お金が稼げるなんて、多分ここくらいのものだ。

 そんな僕の癒しの空間なのだが、それが最近変わりつつあった。


「スグル!! 早く!! いつものやつを!!」


 その理由が、この目の前で、カウンター越しに何度も僕を呼ぶ少女にある。


 彼女の言った『スグル』とは、僕の名前だ。

 姓は楠木くすのき、名はすぐる

 なんの変哲もないごく普通の名前だ。

 下の名前で呼ばれることは全くと言っていいほどないため、外で呼ばれるとなんだか妙にむず痒い。

 そして、目の前でピョンピョンと跳ねながら、必死に僕の視界に映ろうとしている彼女は、ここ最近毎日のようにやってくる、少女のマオ。


 身長は140cmくらいで、たぶん小学生だろう。

 今は平日の昼間だというのに、いや、昼に限らず夕方にもだが、ここ最近毎日のように喫茶店へ来る少女。

 多分だけれど、学校には行っていないんだと思う。

 その理由はもしかしたら、マオの容姿も関係しているのかもしれないけれど。


 彼女の容姿は常人とは違う。


 光を受けて淡く輝く、雪の糸のような白髪に、瞳はまるで紅玉のように赤く染まっている。 

 彼女は日差しに弱いのか、常に大きな帽子を被って喫茶店へとやってくる。

 そんな彼女の姿を一目見て、僕はその体質に見覚えがあった。


 『先天性白皮症』——通称アルビノ。


 二万人に一人の確率で生まれるという先天性の遺伝子疾患だ。

 アルビノ特有の、白く透き通る肌は今にも消えてしまいそうで、あどけなさの残る可憐な容姿も相まって、『儚げ』——この言葉が似合うそんな少女。


 まあ、そんな印象は外見だけである。

 中身は、我儘なお嬢様。

 それ以外の表現はない。


「スーグールー!! はーやーくー!!」


 手をバンバンとカウンターに叩きつけながら少女は僕にせびる。


「はいはい、ミルク多めの砂糖多めね」


 そんな彼女に、僕は大概甘いのだ。

 それは、彼女が学校を行っていないからとか、その容姿からとか、そんな理由から来ているものではない。

 単に、僕の淹れた珈琲を口にした時の、彼女の至福そうな表情が見たいだけだ。

 それもそれで誤解を生みそうな理由ではあるが、一切やましい気持ちなどない。

 僕は、決して小児性愛障害(ロリコン)なんかではないからだ。


「あっ、そうだ——」


 お湯を沸かしている間に僕は、彼女に返す物があることを思い出し、カウンターの机からそれを取り出した。


「はい、いつもこれ置いてってくれるけど、気を使わなくて大丈夫だから」


 いくつもの丸い小さなビー玉を返しながら、そう告げる。

 これは、彼女が珈琲のお礼と称して渡してくる、彼女なりのお代。

 けれど、この珈琲は彼女のために淹れているのではなくて、僕が彼女に喜んで欲しいからしているだけなので、お代を貰う義理はないのだ。


「それは、主に渡したのじゃ! 返されても困る! ——そして、これは今日の分じゃ!」


 子どもにしては、古風な話し方をする彼女は、今日もまたそう言って、新たなビー玉を僕の掌に乗せた。


(こんなに沢山のビー玉を、どこで見つけたのだろうか……)


 今日も何を言っても聞かぬだろうと、そう思いながら、掌に乗ったビー玉たちをそっと机の中に仕舞い込んだ。


(そろそろ、お湯も沸いたかな)


 僕がポットを手に、珈琲を淹れ始めると、彼女はその動作を目を輝かせて見つめている。

 カップに注がれていく珈琲をうっとりと眺めながら、突然彼女は言った。


「なあ、スグルよ。主は、死の危機に直面したことはあるか……?」


 彼女はそう唐突に、意味深なことを口にした。


「死の危機? いや、ないけど……」


 砂糖を三つ、珈琲とミルクの割合は半々に。

 僕は、彼女好みのミルク珈琲を差し出しながら、そう首を傾げた。


「そうか……、我はな、——何度もあった」


 そう話す彼女の瞳は、とても悲しそうで、初めて見るその表情に、僕は口をつぐむしかできなかった。


「我は、こんな身に生まれてしまったばっかりに、何度も何度も死にかけた。肌を焼かれたこともあったし、視界を奪われたこともあった」


 聞いたことがある。

 アルビノの人は紫外線から身体を守るメラニンが少ないため、少しの日差しで肌が傷ついてしまう。火傷を負った時と同じような状態を起こすのだと。

 目もまた光に弱く、日中の外出すら命がけになるという。


 彼女にとってそれは、まさしく『死』に等しい苦痛なのだろう。

 だが彼女は、この店へ来る時は常に帽子で顔を覆い、漆黒のローブを纏っていた。

 そんな彼女が、自ら日に当たりに行くようには考えられなかった。


「我のことが余程、目障りだったんじゃろうな」


 その言葉で疑問は予感へと変わった。

 もしかして、彼女は虐められているのではないかと。

 それが、彼女が学校へ行かない理由なんじゃないかと、そう思ってしまった。


 小学生というのは、時に残酷だ。

 外見だけで人を決めつけ、それを態度に如実に露わにする。

 善悪をまだ知らぬその幼い心は、人知れず他人を傷つけていることも分かっていない。


 彼女は、何度、その周りの好奇と偏見に耐え忍んできたのだろうか。

 彼女の言葉だけでは、僕には全てを理解することはできない。

 けれど、彼女がとても苦しかったということだけは、僕でも理解できた。


「だがな、そんな我と話がしたいと、そう言う者が現れたのじゃ」


 彼女は戸惑いの含んだ声で、そう言った。


「スグルや……、主は、——もし、自分を傷つけた者がそう言ってきたら……、主ならなんと言う?」


 彼女は戸惑いながらも、どこか期待のような、不安のような、複雑に揺れ動いた瞳で僕を見つめていた。

 いつものあどけない姿からは考えられない、子どもとは思えないほどに、真剣な表情だった。


(もし、自分を傷つけた人が、話をしたいと言ってきたら……)


 僕は、『僕ならば』と率直な意見を口にした。


「僕は、話したくないかな」


 そう言った後に、念押しするように、「僕だったらね」と一言添えた。

 僕がもし、虐めをされていて、そして虐めをしてきた人が話がしたいと、そう言ってきたとして。

 正直な話、今更謝罪をされても、その時の気持ちがなくなるわけではない。

 苦しい気持ちを経験した自分の過去が、なくなるわけではないのだ。

 ただ、話すことで相手の方はすっきりするのかもしれないけれど、そんなのこちらには関係ない。

 むしろ、相手の自己満のために使われているように感じ、心底腹立たしいと思ってしまった。

 そんな風に思う僕は、多分、心が狭いんだと思う。


 彼女も案の定、僕の言葉に驚いていた。

 それはもしかすると、僕の言葉に、少しばかりの怒気が含まれていたせいもあるのかもしれないけれど。

 僕は彼女と出会ってそんなに月日は経っていないが、そんな僕でも彼女の良いところをたくさん知っている。

 彼女は我儘だけど、優しくて、素直で、好奇心旺盛で、おしゃべりが好きなただの普通の少女だ。

 そんな彼女が、見知らぬ誰かに蔑ろにされていたのを黙って聞いていられるほど、僕は優しくない。

 そんな、心が狭く優しくない僕は思う。

 彼女は本当に優しいのだと。

 僕の言葉に、彼女は目を泳がせながら、申し訳なさそうに言ったのだ。


「でも……、こんな我と、話したいって言ってくれたのは、その者だけだったんじゃ」


 その言葉から、彼女の本心が透けて見えた。

 彼女は、その相手と対話をしたいのだろう。

 何を話したいのかは、分からないが、話したいと思ってくれたその行動が、彼女の心を揺さぶったのだ。

 それならば、彼女が望むのならば、僕の言う言葉は決まっている。


「マオは、話してみたいって、そう思ったんだよね?」


 僕じゃなく彼女自身が。

 そう意味を込めて問いかける。


「おかしいことだとは分かってる……けど、我はその者を無碍にもできないのじゃ」

「おかしいなんてことはない。マオはそう思った。それが、マオの中の正しい答えなんだ。……他人の意見はあくまで他人の意見。決めるのはマオだよ」


 僕は、常々そう考えている。

 人生は選択の連続だというけれど、その選択を他人に任せるのは、それは僕の人生といえるのだろうかと。

 後悔はできればしたくないけれど、自分が決めずに、他人の意見に流されて後悔するのだけはしたくない。

 最後は僕自身で決断したいのだ。


 勿論、他人の意見を聞くのは悪いことではない。

 それで、自分の選択肢が広がることもあるからだ。

 だけど、何度も言うように、他人に決めてもらうことだけは、絶対にしてはいけないのだ。


 マオには、自分の気持ちに正直に、決断してもらいたい。

 そう親心のような気持ちを抱えながら、僕はマオにもう一度問いかけた。


「マオは、話したい?」


 彼女は真っ赤な瞳を真っ直ぐ僕に向けた。

 その瞳は、炎のゆらめきのように揺れている。

 そして、彼女は僕の問いに対して、決意したように力強く頷いた。


「なら、そうした方がいい」

「ありがとう、スグル」

「僕は何もしてないけど、話はいつでも聞くよ」


 そう告げると、マオは可憐な笑顔を咲かせて言った。


「いつも暇そうじゃからな」

「ご存知の通りで」


 僕の卑下した返しにマオは、小さく笑うと、清々しい顔で「よしっ」と一言漏らした。

 そして、残っていたミルク珈琲を一気に飲み干すと、椅子からヒョイっと降りて言った。


「じゃあ、また来るでの」

「はいはい、またね」

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