第2話:君の走り、私のゴール


 周回遅れだという焦りはなかった。

 森の匂いを胸いっぱいに吸い込むことで、かつてのタイムを競う日々とは全く違う、穏やかな喜びで満たされていた。


「あなた、本当に遅いわ……何のために入部したの?」


 また、清沢凛先輩の声。彼女はもう3周目を走り切ってしまった。わたしはようやく1周目を終えるところだ。


「速く走るだけが、ゴールじゃないと思います」


 思わず口から出た言葉に、自分でも驚いた。凛先輩は足を止め、わたしをじっと見つめる。その瞳には、苛立ちと同時に、どこか戸惑いが浮かんでいた。


「ゴールは、一番最初にテープを切ることよ。そうでしょ?」


 彼女の声は、まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。わたしは、ふと足を止めて、彼女の目を見つめた。


「一番じゃなくても、ゴールはゴールですよ。わたしにとっては、この景色を、音も匂いも、全部感じきって走りきることがゴールなんです」


 凛先輩は何も言わずにただ、わたしを睨みつけた。彼女の瞳の奥には、勝利への執着と、それが報われない焦燥感が垣間見えた。きっと彼女は、わたしとは『違うゴール』を目指しているのだろう。


 その日の練習が終わった後も、わたしは森の中に残った。日が沈みかけ、空がオレンジ色に染まる。木々の間を抜ける風が、わたしを優しく包み込んだ。


「うん、気持ちいい……ッ」


 わたしは優勝したランナーのように両手を広げた。

 わたしにとってクロスカントリーは、誰かと競争するものではない。それは、自然との対話であり、自分自身との対話だった。


 ……わたしはここで、わたしらしくいられるかもしれない。


 ふと、遠くで誰かが走る足音と息遣いが聞こえた。リズムのよい、軽やかな音。それは、凛先輩の足音だった。彼女は、まだ走っていた。


 それぞれのゴールに向かって走る、わたしたちの物語はまだ始まったばかりだ。

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