第41話:行商人と冬の足音①


 10月も半ばを過ぎ、朝夕の森には冬の匂いが混じり始めていた。


 そんなある日の午後。


 ゴゴゴゴゴ……。


 地響きのような重厚な音が近づいてくる。木々のざわめきとは違う、車輪が土を噛む音だ。現れたのは、一台の巨大な幌馬車だった。


 御者台に座るのは、熊のように分厚い胸板を持つ男。


 彼と目が合った瞬間、私は息を呑んだ。


「……ん? お前……あの時の?」


 忘れもしない。街の広場で廃坑の場所を教えてくれた行商人の男――ガラムさんだ。


「……お久しぶりです」


「生きていたか。装備もなしに飛び込んでいったから、てっきり死んだものだと思っていたが」


 ガラムさんは荷台からドスンと飛び降りる。その振動が足元に伝わるほどの巨体だ。


 彼は信じられないものを見る目で私と、私の後ろに隠れるトトを見た。


「それに、そのコボルト……まさか、本当に助け出したとはな」


「ええ。私たちにとっては、最高のパートナーですから」


 私がトトの肩に手を置くと、ガラムさんは「ほう」と太い眉を動かした。


「……ふぅ。突然ですまないが、ここに来るまでの道中で、喉がカラカラだ。水を一杯くれないか?」


「あ、はい! どうぞこちらへ」


 私は彼を裏庭へと案内した。


   † † †


 裏庭には、私たちが修繕した井戸がある。


 ガラムさんが怪訝な顔をした。


「……おい。なんだ、あれは」


 彼の目が釘付けになったのは、井戸の形だ。


 普通の井戸には、ロープを巻き上げるための「ハンドル」がついている。けれど、この井戸にはそれがない。


 代わりにあるのは、地面から突き出た「木のペダル」だけ。


「見ていてくださいね」


 私はスカートの裾を少し持ち上げると、そのペダルにちょこんと片足を乗せた。


 せーのっ、と軽く踏み込む。


 キィ……コポン。


 滑車の乾いた音がして、ロープが動き出す。


 私はトン、トン、とリズミカルに足踏みをする。重たい水を汲んでいるとは思えない、機織り機でも踏むような軽やかさだ。


(よし、上がったかな)


 私は足をパッと離す。すると――。


 シュルルルル……!


 ひとりでにロープが逆回転し、井戸の底から勢いよく何かが上がってくる音がした。


 チャプン。


 井戸の縁に、なみなみと注がれた冷たい水桶が顔を出した。水面が陽の光を受けてキラキラと揺れている。


「なっ……!?」


 ガラムさんが目を剥いた。


「手を使わずに……水が上がった? どういう理屈だ。魔法か?」


「えへへ、魔法じゃないですよ。ただの『シーソー』と同じです」


 私は笑って、柄杓(ひしゃく)ですくった水をガラムさんに差し出した。


「向こう側に、重たい石を吊るしてあるんです。ね、トト?」


 私が振ると、トトが井戸の裏側を指差してコクンと頷いた。


「……ん。見えないけど、裏に石がある。……水より、ちょっと重いやつ」


「そう。私がペダルを踏むと、私の体重でその重りが持ち上がって、空っぽの桶が降りていくの」


 キィィ……。


 トトが私の言葉に合わせて、手でシーソーのような動きをして見せる。


「……で、足を離すと?」


「……重りが下がる。水が、勝手に上がる」


「正解! 重力が引っ張り上げてくれるから、私たちは体重を預けるだけでいいんです」


 ガラムさんは渡された水を一気に飲み干すと、プハッと息を吐き、顎に手を当てて唸った。


「……なるほど。重りを使った『跳ねつるべ』に、足踏みペダルを組み合わせたのか」


 彼は井戸の周りをぐるりと歩き、滑車の軸や、ペダルの連結部を食い入るように見つめた。


「単純だが……誰もやらなかった発想だ。井戸汲みと言えば腰に来る重労働だが、これなら子供でもできる」


 ガラムさんの目の色が、冒険者のそれから「商人」の鋭い光へと変わっていく。


「軸に遊びがない。王都のギルドにある昇降機でさえ、もっとガタつくぞ。……この仕掛けを作ったのは誰だ? ドワーフの名工でも抱えているのか?」


「いいえ。作ったのは……この子です」


 私がトトを示すと、ガラムさんは目を丸くして、小柄なトトを見下ろした。


「このチビがか? ……嘘をつくなと言いたいところだが」


 ガラムさんは腰から、梱包用の大きなハサミを取り出した。刃が赤く錆びつき、動きが悪くなっている年代物だ。


「なら、こいつを直せるか?」


 試すような視線。でもそこには、職人への敬意も混じっている。


 トトは怯えることなく、スッとハサミを受け取った。


「……ん」


 シャッ、シャッ、シャッ。


 トトは懐から携帯砥石を取り出し、流れるような手つきで刃を研ぎ始めた。


 迷いのない指先。留め具のネジを調整し、布で油を馴染ませるまで、わずか数十秒。


 カチン。


 小気味よい音をさせて、トトがハサミを閉じた。


 返されたハサミで、ガラムさんが試しに手近な革紐を挟む。


 スパンッ。


 抵抗なく、吸い込まれるように革が切れた。


「……ッ!」


 ガラムさんが絶句した。


「……刃こぼれが消えている。それに、この噛み合わせの滑らかさ……」


 彼はハサミと、トトの顔を交互に見た。


 ただのコボルトの子供だと思っていた相手への評価が、ガラガラと音を立てて崩れ、再構築されていくのが分かる。


「……驚いた。ただのガラクタ売りかと思えば、とんでもない『ダイヤの原石』がいたもんだ」


 ガラムさんは豪快に笑うと、バッファローのコートを翻して、私にぐいっと顔を近づけた。


「いいだろうお嬢ちゃん。俺と取引をしよう。……持っている金はあるか? 冬越えに必要な物資を、特別価格で譲ってやる」


 その瞳は、獲物を見つけた狩人のようにギラギラと輝いていた。


「その代わり……お前たちの持っている『技術』の話を、もっと詳しく聞かせてくれ」


 強力な商人の心を掴んだ手応えに、私は心の中で小さくガッツポーズをしたのだった……。

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