第3話 分岐
一ヶ月、本当にあっという間だった。
ここに、蒼凛舎に来るのもあと数回なのかと思うと、少し寂しく感じる。
深呼吸をして、社長室のドアをゆっくりと開く。
「よく来たね。」
社長は優しく笑った。
「社長、休暇…ありがとうございました。」
「そんなことはいいんだ、城。どうするか決めたのか?」
…笑顔が固い、なんだか緊張してしまう。
「はい、あの…色々考えて…」
「うん。」
「やっぱり介護士を目指そうかな…って…」
「…そうか…」
吐息混じりの、掠れた声。
…寂しく思ってくれてるのかな
「介護…ねぇ…」
「はい。…あ、それで、せっかくおやすみもらったんだしって色々やってみたんですよ。」
「色々?」
「映画を観たり、図書館とかも。初めて行きました…」
「…そうか、城…今まですまなかった…」
「へ!?な!?なんですか!?」
「私は…そういう、普通のことを…お前に何も…させてあげられていなかったね…」
少しもやっとする。
普通のこと。確かに、そうなんだけど…
「でも!俺は、今まで本当に…ここで仕事できてよかったなって思ってます!モデルになってなかったら…できなかったこと、たくさんあります!」
「そうか。」
社長は悲しそうに笑うだけだ。
どうしよう、どうすれば大丈夫ってわかってもらえる??
「普通のこと、なのかもしれないけど。今はそれが特別で楽しくて…!それはそれでよかったな…って!」
「うん…うん、わかっているよ」
「あ!そうだ!演劇!演劇やったんですよ!」
「は?演劇…??」
「近所に千古座って劇団があって…そこで体験やらせてもらって!」
「千古座。」
目元にぐっと力が入る。もしかして、知ってる…?
「そうです!そこで…あの、演劇やってみて、楽しくて…!座長さんが気が向いた時においでって…」
「……」
社長は眉を顰め、腕を組んだ。考えてる時の顔だ…
「趣味とかなかったから、これから少しずつやって行けたらいいな…って…」
「……演劇、ねぇ」
社長が椅子にもたれかかると、ぎっと軋む音がした。
「はい…あ、体験って言っても練習少しさせてもらっただけでその、契約とかは…」
「ああ。大丈夫だよ、わかってる。城はしっかり者だからね。」
ふと、真剣な視線が刺さる。
「……城、演劇がやりたいのか…」
「そ、そんな本格的にやってくわけではないんですけど。みんなで作る一部になる…って…ずっとやってきたから…」
社長は俯き黙り込んでいた、変なこと言ったから困らせてしまった…?
声をかけたいけど、出てこない…本当に俺は…
「城。」
覚悟を決めたように俺を見据えると、低い声で言った。
「は、はい?」
「実は……頼みがあるんだ」
「お、俺にですか!!?で、できることがあるなら…」
「城にしか頼めない。」
「な…なんですか?」
「城は前に出るのが苦手だから、どうかと思っていたが…」
なにか遠慮させてしまってた…?
「Curtain Riseは、わかるかな?」
「あ、系列会社?ですよね!うさぎの子がいる…」
あまり詳しくはないけどみたことはある、確かアイドル事務所だ。
「ルミさんだね。あそこは今、彼女しかいないんだよ」
「え!?そうなんですか!?」
「ヴィエルジュ・プロダクションを吸収した時に、タレントとして移籍してくれたのが彼女だけでね…」
「お、オーディションとかは…」
「経営体制が落ち着くのを待っていたのと…性質上難しくてね」
「難しい…?」
「…ライブ、観たことないかな?」
「ごめんなさい…ないです…」
「いや、いい。演劇×アイドルを売りにしててね、新規グループの立ち上げを予定しているんだが…」
社長が姿勢を正す、つられて身構えてしまう。
「城が……そのグループに加入してくれたら、と考えたんだが。どうだろう?」
「ええ!?そ、それはちょっと…!」
「城が適任なんだよ。真面目だし…当然芸能界のノウハウもわかっている。さらに演劇への興味があるとなれば…!…どうか、考えてくれないか…?」
いつも堂々としてる社長が弱々しく見える…力になりたい…けど…
俺が、アイドル…?
ほんの少し想像してみる。
…無理だ!口下手だし!平凡だし…!
「それに、城も。急に全く知らない環境に行くのは不安だろう?Curtain Riseなら知った顔もいるだろうし、私もいくらか手を貸せる。」
確かにそれは安心だ、けど…
「で、でも」
社長は指を組み、鋭い視線で俺を見た。
緊張して思わず座り直す。
「五年。」
「へ?」
「活動期間は五年とする、どうか五年…協力してもらえないかな…?」
五年…二十五歳、か…それなら学校に行っても、活動中に資格を取っても。充分間に合う…はず
それに、恩人である社長の頼み。断りたくない…
「社長…すごく嬉しいんですけど。俺、まともにできるか…」
「大丈夫、城が必要なんだ。」
必要。そこまで言ってくれるなんて…
「なにも今すぐ決めろってわけじゃ無い。まずは見学に行こうか。よく考えて。」
「わ、わかりました……」
Curtain Rise、興味はある。
それに社長が俺を頼ってくれている…
社長は机の引き出しからパンフレットとルミさんのポートフォリオを取り出し、俺に差し出す。
恐る恐る受け取ると社長は安心したように微笑んだ。
「城、いい返事を期待している。」
俺…力になれるんだろうか?まだ不安だ…
…ううん、頑張ろう。任せてもらえるなら、精一杯。絶対に裏切らないように。
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