神の呪いで味覚異常。追放された聖女は、田舎の薬局で古代料理のレシピ再現に明け暮れます!
水玉りんご
第1話 はじまり
その日、大聖堂は澄んだ空気に満ちていた。
石床は磨き上げられ、外の光を受けて淡く輝いている。
その中央、聖女候補として並ぶ少女たちの列の中に、ミーナはいた。
緊張と不安、そしてどこか希望が入り混じった空気。
神官たちの読経が響き、天井の神の壁画が見下ろしていた。
だが、その荘厳な雰囲気を壊す声が、ミーナの耳元に滑り込んできた。
「ねえ、ミーナさん。今日も髪が跳ねてるわよ。鏡、持っていないの?」
金髪碧眼の少女―オリヴィアはそっと囁く。
いつものことだ。
彼女は貴族の出身らしく、いつも庶民出の候補者を露骨に見下していた。
「ありがとう。指摘してくれるなんて、優しいね。」
「同じ候補者として、一緒に見られたくないだけよ。ああ、ごめんなさい。育った環境って、どうしようもないものかしら?」
その声音は甘く、けれど爪先で皮膚をなぞるような冷たい毒を含んでいた。
(今日も絶好調だな、この人……。)
返したい言葉はいくつも浮かぶ。
だが今は式の直前。
ミーナは言葉を飲み込んだ。
今日、神の祝福を受けた者が“聖女”として選ばれる。
もし選ばれなかったとしても、多くの候補者は神官として、神殿に使えることができる。
大司祭がゆっくりと祭壇へ進み出た。
白衣の神官たちのざわめきが収まる。
「静粛に。今より、聖女選定の儀を始める。」
ミーナは祈った。
不器用ながらに誠実に生きてきたつもりだ。お願いします神様。
その瞬間だった。
空から二筋の光が、候補者たちの頭上へと向かい、光の粉となり舞い降りた。
両脇に立つ神官たちが、一斉に顔を上げる。
大司祭が恭しく告げる。
「オリヴィアとミーナ、天より降りし光は、真なる祝福を示しました。
この刻をもって、そなたたち二名を正統なる聖女として神前に認めます。」
息を潜めて見守っていた人たち、そして同じ候補者たちからの祝福の声が響き渡った。
(私が聖女に…。)
願っていたにも関わらず、信じられない思いでミーナは両手を握りしめた。
胸の鼓動がこれでもかと早くなる。
続いて、大司祭が二人を祭壇の前に呼び寄せた。
「これより二人の元へ御神託があることでしょう。」
聖女たちは耳を澄ませた。
二人の周りを金色の光の粉がキラキラと包み込む。
隣のオリヴィアを横目に見ると、あたかも聖女になることが確定していたかの様に堂々としていた。
ミーナは気持ちが追いつかず、必死で神の声を聞き逃すまいと耳を澄ます。
(食べなさい。祭壇のお供え物を今すぐ食べなさい。)
「へ?」
(手に取りそれを食べるのです!)
美しい声が耳元に響く。確かに、聞こえる。
これが神の声なのか。
「どうされましたか?授かりました御神託を我らにお示しくださいませ。」
大司祭に促され、戸惑いながらもミーナは祭壇の上にある供物に手を付けた。
聴衆が何事かと一斉にざわめく。
分かっている。おかしな事だとは充分に分かっているが、神の声に従うならばやめられない。
「わたくしも、たった今御信託を受けました。」
突如凛とした声が大聖堂の中に響き渡る。
オリヴィアだ。
「こちら、聖女ミーナを国外追放するように、とのことです!」
「!?」
ミーナは口の中の食べ物をごくりと飲み込んだ。
オリヴィアはミーナを見下ろし、薄く笑った。
「当然よね。あなたみたいな身の程知らずには、似合わない席だもの。
そして神はおっしゃったわ。ミーナ……あなたの存在は、この神殿には不要だと!!」
「……は?」
頭が追いつかずに固まるミーナ。
一瞬の静けさの後、大司祭の厳かな声が、冷酷な判決のように響いた。
「ミーナ。神殿からの追放を……本日付で命じる。」
膝の力が抜け、言葉が喉に貼りつき、出てこない。
なぜ。
本当に、神がそんなことを言ったのか。
自分は何をした?
だが周囲の人々は、戸惑いながらも大司祭の言葉を受け入れている。
神の声は絶対――その掟に反論できる者などいなかった。
オリヴィアは優雅に微笑んだ。
「田舎に帰りなさい、ミーナ。あなたにできることなんて、ここにはないわ。」
ミーナの神殿での生活は、そこで音を立てて断ち切られた。
◇
追放から数日。
歩く足取りはふらつき、腹は空っぽのままだった。
あの日から舌に何も感じなくなったのだ。
甘さも、旨味も、苦味さえも。
ただ“無”だけが口の中に残った。
「どうして……?」
味がしない。
食べても気持ち悪くなる。
段々歩くことさえ辛くなり、人に助けを求めると、こう言われた。
「薬を求めてるなら、露草堂薬局に行きな。かなりの変わり者だけど腕は確かだよ。」
気力を振り絞り辿り着いた薬局の前で、ミーナはついに倒れ込んだ。
◇
「はい、あ〜ん。」
倒れた後、気づけば露草堂薬局の一室で、寝かされ介抱されていた。
今は目の前にはメガネをかけた、端正な顔立ちの青年――薬師のエイデンがいた。
まつげが数えれるほどの距離で見つめられ、当たり前のようにスプーンを差し出してくる。
「食べないと回復しない。試すしかないんだ。」
その声は優しげなのに、反論を挟む隙がない。
(いや、そうだけど……なんで食べさせて……?)
けれどスプーンを口に入れると、味が広がった。
本物の味だ。
(……あ、美味しい……!)
思わず涙が出そうになり、慌てて飲み込む。
「どうして……美味しい。」
「やはりそうか。理由は分からない。だが〈自分で食べても味がしない〉というのは、呪いに近い症状だ。なら、他者の介在で味が戻ることもありえる。」
「そ、そんな理屈ある……?」
「ある。多分」
多分ってあなた。
自分で食べると味がしない。
誰かに食べさせてもらうと味がする。
奇妙すぎる体質。
けれど、その奇妙さに今、救われているのは確かだった。
「はい、あ〜ん。」
ミーナは羞恥心を押し殺して口を開いた。
今まで何も味のしない料理は、まるで粘土を噛んでいるようだった。
2口3口、美味しすぎて、嬉しすぎて、身体中に滋養が広がるようだ。
次々と運ばれるスプーンを夢中で頬張る。
そのとき――
「……ん、なんか……顔が痒い……?」
「どれ。」
エイデンの手が伸び、ミーナの顎を軽く掴みんで、ぐいっと顔を寄せてきた。
距離が近い。
(なんでこの人、こんなに近づくの!?)
吐息が肌に触れる。
「……っ」
「ふむ。やはり。」
そっと優しく頬を撫でた後、唐突に立ち上がると、
「リリア、あとは頼む!」
研究資料を持ち、嵐のように自室へ消えた。
呆然とするミナに、薬局スタッフのリリアが苦笑しながら近づく。
「ごめんなさいね。店主、すぐ研究モードに入っちゃうの。」
「あ、いえ……あの……食べさせてもらって、ありがとうございます。」
リリアはベッドの側に腰を下ろし、投げ出された器を手に取った。
「お食事、私がお手伝いしましょうか?」
「はい!できれば食事を手伝ってもらうならリリアさんにお願いです!」
ミーナは胸の動悸が落ち着いて、ふぅと息をついた。
優しく微笑むリリアを見ながら、ちょっとだけ故郷の姉を思い出した。
「ふふ。もちろんいいわよ。はい、あ〜ん。」
いい年して、スプーンで食べさせてもらうなんて…。
恥ずかしさと申し訳なさはあるが、エイデンよりはマシだと、と胸をなでおろしたその瞬間。
「ところで、このお髭……どうしましょうねぇ?」
「お髭?」
顔に手を当てる。
指先に触れた感触に、脳が停止した。
「な……なんでこんな……!? ひ、ヒゲ……っ!?」
リリアが申し訳なさそうに手鏡を差し出す。
「たぶん、店主の新薬の副作用だと思うわ。あの人、ほんと研究熱心だから……前もスタッフに角生やしちゃったりして……だから万年人手不足なのよねぇ」
「いやいやいやいや!?
乙女になにしてくれてんのあの人ーーー!!」
ミーナは叫び、リリアは苦笑した。
「うふふ。大丈夫よ、そのうち抜けますから。……多分。」
「たぶん!? 今後お食事係は、あの変人薬師以外でお願いしますーーー!!」
薬局に、ミーナの悲鳴が響き渡った。
神の呪いで味覚異常。追放された聖女は、田舎の薬局で古代料理のレシピ再現に明け暮れます! 水玉りんご @MIZUTAMA_RINGO
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