愛という名の感情
ナード
第1話 斧の乙女:潔癖
「大地に対する仇敵はただ滅するのみ」
鉾槍の石突きを地面に叩きつけつつ、体の中央で支え、宣誓する。
我が信仰は撃滅の女神に。
撃滅の女神の御心のまま、大地母神の守護者としてこの身を捧げる。
鉾槍を構える。その先には粗末な炭焼き小屋がある。
そこに大地母神の信徒たちを穢した野盗どもがいる。
「推して参る」
我が法衣は幾度も仇敵の血に濡れ、かつては白銀であったその布は黒く染まっている。だがその色こそが信仰の強さの証。それに否も応もない。
ただ、彼女の前にその姿を晒すときに、なぜか羞恥を感じる。
それは私が信仰のために失った慈愛を感じさせるからだろうか。
斧の乙女を目指すと決めた時に捨てた感情であったはずだが、未だ斧の乙女足りえぬ自らを恥じているのかもしれない。
今、拠点としている地方の小神殿の扉をノックし、滑り込む。
「エリザベート様、只今戻りました」
今の私の主、大地母神の司祭、エリザベート様の前にひざまずく。
「お疲れ様、クレア」
エリザベート様が私の前でひざまずく。
「私は斧の乙女たらんとする騎士神官です。司祭様がそのような」
「そうかもしれませんけど、それ以前にあなたは私の大切な友人ですわ」
エリザベート様が手にしているハンカチで私の顔についている戦化粧を拭う。
「そ、そのような!」
エリザベート様は慌てる私を見て楽しそうに笑う。天上の笑顔とはこのことだろうか。
「怪我などないですね?」
「はい。あのような
エリザベート様は私の顔を両手で包み込んでじっとのぞき込んでくる。
その手は
「クレア、もう少し柔らかくお話できませんか? それに私のことはシシィと」
慌てて引き下がり、頭を下げる。
「ご容赦くださいませ。とても恐れ多くてそんな……」
「私も、あなたも、人間なのですよ?」
「エリザベート様が人間であらせられるのであれば、私などそこらの埃でございます」
「んもう……私の大切な人をそんなに貶さないで」
頬を膨らませたその表情すら神々しい。エリザベート様を守護するという使命を与えてくださった神々への感謝を小さく口にする。
エリザベート様はそんな私を見て小さなため息をつく。
「なかなか生き方は、変えられないわよね」
「これ以外の生き方を私は知りませぬ。大地の仇敵を滅する、ただそれだけです」
「もう少し、女の子らしい生き方をしたほうがいいと思うんだけどな」
エリザベート様は腰に左手をあて、右手の人差し指で私の鼻をつつく。
私は彼女の接触を伴う行動に困惑する。
私の知る大地母神の司祭様は皆引退寸前の方ばかりで、エリザベート様のような若い司祭は寡聞にして存じ上げず、撃滅の女神の教義も未だ完全にその身にすり込まれていない我が身としては大地母神の教義に則っているのかどうかすらもわからないが、ただ、この若さで司祭であるというのであるならば、敬虔で優秀な方なのだろう。なれば慈愛の発露がこのような行動となるのかもしれない。
なればこそ、我が身を喪おうとも守らねば。
決意を新たにしたところでエリザベート様が眉を下げ、困った表情で私を見ていたことに気がついた。
「どうかなされましたか?」
「いいえ」
エリザベート様が首を左右に振った後、再び小さくため息をつかれた。顔を伏せ、呟かれる。
「出会いが違ったのなら……いいえ、たられば、は
流れる
手のひらを睨みつけ、ぐっと握る。
「クレア?」
エリザベート様がふいに顔を上げ、私に呼びかける。握りしめた手を下げる。
「はい、何でございましょう?」
エリザベート様はじっと私を見つめてから不安の入り混じった微笑みを浮かべる。
「いつも、私のために……その、汚れ仕事を」
「いいえ。エリザベート様の役に立つこと、それこそが私の喜びでございますよ」
微笑みを返せただろうか。彼女の不安がこれで溶けるのならばよいのだが。
我が身は、ただエリザベート様のためにある。
彼女と出会い、おぼろげだった私の覚悟は確固たるものに変わった。
これは撃滅の女神の与えた試練であり、あるいは斧の乙女に至る道標であると確信している。
こんなに綺麗な情熱が
『愛』なんて醜い言葉に
当てはまるわけがない
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