火星物語

一汁一菜(いちじゅういっさい)

第1話 突然の話

日本の首都も海面上昇には勝てず、かつてのウォーターフロントと呼ばれた地域も、完全に海面下に没し、簡単に言えば、縄文時代の水位の下になってしまった。

海面上昇に対応して作られた堤防も、高さの限界を超え、年々上昇する水位には追いつかない状態、増して、人々を移住させる為の海底都市や海上都市、地下都市の建設が間に合わない緊急事態・・・。


ここまで事態が急変したのには、水位の上昇に台風といった突発的な自然現象が重なったためでもあった。


各国共に、自国の維持に精一杯で、他国の人間を迎え入れる余裕も場所も無い、追い詰められた人類は、国ごとの争い、対立、因縁を乗り越えて、協力し合わねば、そのまま「滅ぶ」といった共通の認識に辿り着きつつあった。


火星移住の話は、既に1900年代に、環境の変化に伴う不可避の選択肢として、各国で独自に研究が進められていた。


しかし、度重なる戦争の災禍、災害により、先ず、各国共に、火星に移住先を作る為の予算が確保出来ず、計画そのものが保留にされ続けていたのだった・・・。

そしてとうとう、地球環境の変化によって追い詰められた人類が、移住を実行せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。


各国が持つ科学力、技術の蓄積を隠さずに公開するという約束の元に、国ごとの建設業の企業同士が連合し、ジョイントベンチャー(JV)を結成、その名も、マースプロジェクトと名付けられた。


さて、そのプロジェクトに参加する、建設業の社員の選抜が、各国で行われるはこびとなったのだが・・・。


しかし、行ったきりで、二度と地球に帰って来られないという条件は、どんな人間でも恐怖に感じるものだ、無理も無い。家族を抱える人間は特に嫌がった。


どんなに高給と言われても、死んで来いと言われるような仕事に参加するはずが無い、つまり、各国共に、人員の選抜に苦労する羽目になった。こういった事態は、誰にでも想像がつく話だろう。


日本では、名だたるゼネコンが、この降って湧いた話への対応に青ざめた、一つの国で五人の選出なのだが、大手の社員たちは当然行きたがらない。


追いつめられた大手のゼネコンは、強権的な地位を利用して、下請け各社に社員の選抜、供出を迫った、勿論、二度と帰って来られないという事実は伏せてだ・・・。


零細の下請けは、大手から仕事を切られる事を恐れ、血眼になって、条件に適した社員を探し回った。


勿論、その時には、行ったきりで帰って来られないといった説明はせず、10年ごとに帰還用のシャトルが回されて来て、好きな便で帰って来られるという説明がされていた。本当の事を知っているのは大手ゼネコンまでで、直下の下請けには事実は知らせない。つまり、だまし討ちで選抜された社員が集まったわけだ・・・。


●来島という男


この物語の主人公、来島篤(くるしまあつし)は、零細の下請け、五光建設の社員だ。


32歳、独身。大手ゼネコンへの就職を夢見つつ、と言うよりは、自分は多分、今の会社で朽ち果てていくのだろうと、余計な夢や希望は邪魔だと言わんばかりに、まるで修行僧の様に考え、働く男だった。


だが、仕事は真面目で、数ミリ単位の誤差も見逃さない現場管理には、普段から定評があった・・・。


西暦2220年のある日、来島は、出勤直後に確認するいつものルーティーン、自分のデスクにある、端末の画面を見つめていた、毎日のルーティーンで、出勤後の社内メールの見出しの一覧を確認する・・・。


五光建設は零細だが、一応、小規模ながら、都心部に自社ビルを持ち、各階のフロアを別企業に賃貸するなどして、家賃を収益化していた。


五光ビルは、30階建てで、最上階の2フロアに本社を構えている。


勤務している社員の殆どかアンドロイドで、生身の人間は全社員350人の内の一割程度だ。生身の人間の社員は、卵を半分に割ったようなデスクを持ち、情報は、デスクのレンズから照射される立体映像を見て確認している。


その映像の中に「火星勤務の人員を募集」のメールが、まるでスパムメールの広告のような文言で混じっていた、一覧の行の最初に、ド派手な「赤い星」の絵文字のようなアイコンが付けられている。


曰く「貴方しかいない!」といったキャッチコピーのメールだ。どうして社内に出回っているものに、こんな詐欺まがいの文言が踊っているのか?


来島の意識には、怒りにも似た疑問が湧いた。


だが、興味も同じくらい湧いた。


もしも、それが変なメールであれば、社内インフラのハッキングかコンピューターのウィルス感染なので、異常なものであれば、総務部に報告しようと身構え、セキュリティソフトが稼動しているか、ちゃんと確認してから、恐る、恐るクリックしてみた。


しかし、セキュリティソフトが全く反応しない、まともなものらしい・・・来島は少しホッとした・・・。


冒頭文は「火星行きの社員急募!選ばれし者しか行けない、歴史に残る仕事にGO!」


見出しもふざけているが、本文はもっとふざけて感じられた・・・。


来島の脳裏には「火星の開発の話なら、別に珍しくも無いな」そういった、ごく当たり前の反応がよぎった。


つづけて、自分が知る限りの記憶を引き出そうとしてみる・・・。


いつ頃見たのか、定かでは無いが、大体、半年くらい前に、実際の火星開発は、ロボットや探査機が送られて、土壌の成分の検査や、地層調査の為の試掘が行われて、進められているらしいといった話は、ネットのニュースやテレビの報道で知っていた。


酸素の無い火星では、有人の作業は不可能なので、当然、機械の類しか活動出来ない・・・。


その現地に、いよいよ「生身の人間」が送られるのか?


来島はちょっと興奮を覚えた・・・。


メールの説明では「経験値や知識のある、生身の人間でないと無理な仕事であり、現場での緊急時の対応が要請される予定」といった感じで、何となく、内容を限定してはいないような、仕事の内容を少しボカしているようにも思えた。


緊急事態と言えば、地下を掘削中にいきなり水脈に当たってしまい、坑道内が水浸し、若しくは噴出が激しく、坑道が水没等という現象もある。


逃げ遅れれば、作業員が溺死か水死・・・。


来島は、それまでの経験から、工期の短縮や、現場での「やっつけ仕事」がメインになるのか?


「でも、火星は乾燥して水気の無い星のはず」といった思考が湧いて来るし、続いて「火星でそういった事故に対応する何でも屋」を始めるようなものか・・・。


そういって火星の情景を想像してみた・・・。


急に場面が変わって、宇宙服を着て、赤茶けた火星の大地に立っている自分の姿、背中には生命維持装置を背負い、手には何かの装置を持っている。


勿論、自分だけではなく、現場の仲間たちと何等かのコミュニケーションを取り、打ち合わせをしている場面。


まるで映画の情景だ、来島は少しうっとりしていた、意識がふわふわと浮遊していた感じかも知れない・・・。


しかし、突然、ハッと我に返った「いかんいかん」火星まで行って事故に遭ったらどうする、死ぬしか無いんだぞ!


誰かが、心の中で諭すように叫んだ気がした・・・。


来島は「自分には関係ない話だ」そう言い聞かせてメールを閉じた・・・。


●噂


午前中の仕事も終わり、来島は少ない社員が集う、食堂で昼食を摂っている最中だ・・・。


隣に吉田がやって来た、彼は経理部勤務で、来島とは同期の男だ。


吉田が「来島、ここいいか?」


そう言いながら、来島の左横の席に、椅子を引いて座って来た。


来島は「ああ、いいよ」そう言いながら食事を続ける。


次に吉田は「来島、今朝のメール見たか?例の火星行きのヤツ」そう話かけて来た。


来島は「嗚呼、あのふざけたメールな」笑いながら答えた。


「なんだよ、あの何ちゃらGO!、みたいなセリフは、社内メールにしてもふざけすぎだろ、思わず吹き出しそうになったよ」


来島は、メールの内容に、少しばかりうっとりしてしまった事を隠しておどけてみせた。


すると吉田は「あの口調は反応をモニターする為のものらしいぞ、つまり、どんな表情をしたとか、反応をしたとかチェックされていたみたいだ」


「マジで火星行きの社員を出そうとしているらしい」


来島は、会社がマジになっているという話を聞いて少し驚いた、火星行きなんて、誰も希望しないだろうと思っていたからだ・・・。


来島は「誰も応募なんてしないだろ、年収が10倍になると言われても、使う場所なんてどこにも無いし、そんな砂漠みたいなところにどうして行こうなんて思う奴がいるんだ?」


吉田は「俺もそう思う、だから、強制になるんじゃないかって噂が広まっているんだよ」


「強制?」来島は思わず声を荒げてしまった「それじゃまるで徴兵か死刑みたいなモンだろ?人権問題になるぞ?」


「それにしても、今朝来たばかりのメールに、どうしてそんな噂が立つんだ?」


吉田は「俺は、総務に居るヤツから、前々から聞いていたんだ、募集と選抜が始まるって事をさ、しかし、この話には色々な国が関わっていて、どこかの社員の人権や命が大事にされるなんて前提は無いらしい」


「多くの会社が、生身の人間ではなくて、AIアンドロイドを送ればいいのでは?そういって、連名で、逆提案をする予定なんて話もチラリと聞いた」


来島は「当然、そうなるよな、このロボットだらけの現代に、どうして生身の人間だなんて言い出すのか、気が知れないよな」


吉田は、何か知っているかのような表情をしながら「俺もそう思う」と苦笑いしていた・・・。


しかし、人の運命とは分からないものだ・・・。


実は、このプロジェクトは、ただ単に、他の星に、移住用の住居を建設するという簡単なものではなかったのだ、この時、来島は、自分に向って、後ろから追って来る数奇な運命、未来には、全く気付かないままだった。






























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火星物語 一汁一菜(いちじゅういっさい) @sukanda

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