神器争奪
寶石 史
1 六波羅探題の忍び
元弘二年(一三三二年) 年の瀬、京。
深夜である。都とはいえ夜は暗闇に沈み、夕刻から続く冷たい雨でその闇はさらに深かった。大路小路にも人影はない。その中で賀茂川東岸に広大な敷地を持つ鎌倉幕府六波羅探題の庭先には煌々と篝火が焚かれていた。
小砂利を敷き詰めた庭先、雨の中に二つの影が踞っている。篝火の明かりに照らされているが、影は影のままその輪郭しか見えず、まるで庭石のように静謐としてそこにあった。――その時邸内より声がかかる。
「
二つの影は声もなくかすかに頷く。はじめての動作である。
「庭先で話せることではない。中へ」
その声の終わらぬうちに、二つの影は庭先から消えていた。
やがて六波羅探題の邸内、火桶に赤々と炭がはぜる小さな板張りの部屋に三人の人影がある。二人は先程、
後に忍者、乱破などと呼ばれる体術、特殊技能に長けた者達は、平安期から存在した。やはり権力者に雇われ、情報収集や破壊工作、そして暗殺まで請け負う者達で、この時代は「陰の者」などとも呼ばれていたが、ここ六波羅で幕府のために働くそうした者達を特に「六波羅忍び」と称していた。黒南風と白南風の兄弟は、六波羅忍びの中でも腕利きとして認められた存在だったが、身分の低い下人扱いで、これまで探題邸内まで呼び込まれたことはなかった。
その二人を呼び込んだ三人目の人物は、ここの主、六波羅探題北条時益その人だった。通常、こうした伝達は六波羅忍びの頭領である犬丸大夫からなされるのだが、探題直々というのは異例であった。
四条五条の東、鴨川東岸六波羅あたりは、かつて太政大臣となった平相国清盛が邸宅を構え、平氏政権の中枢であった。その平氏滅亡後、執権北条氏が実権を握る鎌倉幕府は、関東鎌倉を本拠地としながらも、京の都にも六波羅探題を置き、朝廷と西国監視の任にあたらせてきた。探題は北方と南方の二つに分かれ、その長たる探題職は北条氏の一門が代々勤めてきた。基本的には北方が上位で朝廷の監視と対応を担当し、南方はそれ以外の雑務を請け負うことが多い。この日兄弟が呼び出されたのは南方の方で、六波羅忍びはすべてこちらに属しているのだった。
六波羅探題は都という立地と、その職務の重要性から、北条氏一門からもそれ以外の御家人からも人気の高い役所であったが、北方も南方もこの数年は多忙を極めている。それというのも大覚寺統から即位した後醍醐帝は、これまでにない異色の天皇で、政治と軍事、つまり国の統治に強い関心があり、武家政権である鎌倉幕府を打倒し自らが親政を行いたいという願望を隠そうとしないのである。当然六波羅からの厳しい監視を受けていたが、幾度も倒幕計画を立て、密かに味方になりそうな公家や武士に接近していた。
百年前、承久年間の後鳥羽上皇もそうした人物だったが、上皇の倒幕挙兵は幕府側が勝利し、囚われた上皇は隠岐に配流されそこで崩御する。上皇に味方した者は、公家であれ武士であれ厳しく処罰された。――その後はそうした天皇からの呼びかけがあっても、応えようとする武士はほとんどいなくなる。そうであれば幕府としても天皇家と必要以上に波風を立てようとは思わず、厳しい監視は続けつつも、多少のことは無視を決め込んできたのだった。
ところが北条得宗家(本家)の支配もすでに百年を越え、さすがに組織にも支配にも緩みが生じてきた。特に文永・弘安と二度にわたって北九州に来寇した元軍との戦いは、かろうじて撃退はしたものの幕府を疲弊させ、恩賞も出せなかったことから、御家人達の中に不平不満が広がっていた。
そのような中、今回カリスマ的な魅力を有する後醍醐帝が動き始めたのである。天皇の倒幕計画そのものはいかにも杜撰で、密告者が続々と六波羅に情報を寄せてくるので対処は容易だったのだが、やがて天皇の呼びかけを受けた各地の悪党や土豪が次々と蜂起し始めた。特に河内の楠木氏や播磨の赤松氏などは、小勢ながら地の利、人の利を巧みに利用して粘り強い抵抗を続けていた。
この三月、討幕の計画が露見したことを知った天皇は都を逃れ、笠置山に籠もって六波羅の軍勢に抵抗したが、ついに捕らえられ、後鳥羽院同様、隠岐へと流されたのだった。
その後幕府は、後醍醐帝の大覚寺統とは皇統の異なる持明院統から、光厳天皇を擁立して、各地の叛乱者を鎮圧しようと躍起になっていた。六波羅探題には西国・畿内の御家人を召集する権限があったが、日和見状態で時間稼ぎをしようとする者達も多く、思うように兵が集まらないという現実もあった。
――そんな六波羅に極秘扱いで驚愕すべき情報がもたらされたのである。
さて、六波羅探題の一室、火桶の他は小さな灯明がひとつだけの殺風景な部屋である。仕切りの戸板に何の装飾もない。邸内にはかなりの人数がいるはずだが、部屋の周囲からはことりとも音がしない。人払いが徹底しているのだろう。忍びの兄弟はさすがに緊張した面持ちで頭を垂れ、南方探題北条時益の下知を待つ。――こうした時、忍びは指示を受けるだけで自分からは何も話さないのが掟である。それは探題も承知で、やがて時益は話し始めた。
「お前達二人には隠岐に行ってもらいたい。……そうだ、この春配流された先の帝の元へ」
時益はまだ若く、忍びの兄弟とそう年は変わらないであろう。あまり似合わぬ口ひげを蓄えた時益の顔を、灯明の明かりが揺れながら照らしている。兄弟は黙って深く頭を下げた。状況を理解したという意思表示である。
「これは幕府のうちでもごく少数の者しか知らぬ秘事。……しかしおぬしらに任せる以上、知ってもらうしかない。仲間であっても他の忍びにも話すことは許されん。よいな」
六波羅忍びの頭領、犬丸太夫さえ飛び越しての探題直々の命だ。極秘の指令は、直接命を受けた者が出立後、内々に頭領へ伝えられることになっていた。再び頭を下げる二人、――ここまでは稀にあることだった。しかし時益の次の言葉にさすがに凍り付く。
「実は先帝は、……宮中から三種の神器の一つを持ち出しておられる。隠岐に行き、これを取り戻してもらいたい」
天皇家の『三種の神器』、それは畏れ多い神の領域に属するものだった。それが宮中から持ち出されたと時益は言った。そして自分たちの使命はそれを取り戻すことだと。兄弟はより深く頭を垂れることしかできない。
古来、神器が宮中から持ち出されたことは幾度かあった。近いところでは、木曽義仲の軍勢に追われた平氏一門が、都から幼い安徳天皇と三種の神器を西国に持ち出している。この時、最後の戦場となった壇ノ浦に帝と共に沈んだ神器の一つ「
「先日、即位された光厳帝より内々に北方探題に知らせがあって、どうやら神器の一つ『
先帝は笠置山に籠もるとき、宮中から持ち出していた三種の神器をひとつだけ偽物とすり替え、そのまま所持しておられるようなのだ。――畏れ多きことながら、先帝の傍若無人ぶりからしても十分にあり得る事じゃ。そこで密かに先帝にお仕えしていた者どもから聞き取りをしたが、皆怖がって口を開かん。……ただ一人、中宮様を除いてはな」
これは兄弟にも理解できた。先帝は側室の多さで知られていたが、それは正妃である中宮にとって面白いはずがない。しかも隠岐に配流が決まったとき、伴ったのは中宮ではなく側室の阿野廉子。病弱であるというもっともらしい口実で遠ざけられた中宮の心中を思えば、この度探題の調べに口を割ったことは容易に想像できた。兄弟がそのあたりを察したことが伝わったのか、北条時益は話を続ける。
「そこで、先帝が持ち出した神器がどのようなものか……もちろん儂も知らぬ。見たことはないのでな。偽物と見破った光厳帝すら、即位して初めて神器に触れただけ。どうやら御父君の後伏見上皇から話を聞いておられたようじゃ。そこで上皇様から直接話を伺うことになった」
二人の兄弟忍びは黙って探題時益の話を聞いている。本来自分たちのような身分の者に話せるような内容ではない。探題もそれは承知、やがては自分たちも口を封じられるに違いない。……そう思ってはいても、好奇心がそれに勝り、今は聞き入るだけだった。
「神器はな、先程も言うたが、正式には
勾玉くらい知っている。二人は黙って頭を下げる。
「本来首飾りらしいが、先帝がすり変えて持ち出したのは最も重要な勾玉部分だけ。つまり片手に握れる小さなものだ。先帝が隠岐でこれを肌身離さずお持ちなのは間違いないだろう。それをお前達二人に取り戻してもらいたい。もちろん隠岐で先帝を監視している守護の佐々木清高にも内密にじゃ」
佐々木氏は頼朝公以来の名門である。その一族、佐々木清高は御家人としては生真面目で優秀である一方、今ひとつ融通が利かない、当人はきちんと監視しているつもりだろうが、生真面目さにつけ込まれると弱い、……時益はそう思っていたが、さすがにそこまでは忍びに話す必要のないことだった。代わりに傍らから袋を取り出すと兄弟に差し出す。かなりの金子が入っているようだった。
「いかような手段を用いても必ず神器を取り戻せ」
降りしきる雨の音ばかりが響く深夜の一室で、探題北条時益は「いかような手段……」を繰り返した。それを黒南風・白南風兄弟は、黙って聞いて頷く。
最後に時益はこう付け加えた。
「――八瀬童子が動いているとの噂がある。用心せよ」
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