第38話 拒絶

 オークとの戦闘が繰り広げられている時、ヘリットは納屋の物陰でシュリンを介抱していた。外傷はないが、ただ事ではないとわかる土気色の顔、間隔の長い吹き出すような息。彼女は深い昏睡の中にあった。彼女に目覚めてもらわなければライカの傷が治せない。


「シュリン――」


 ヘリットは彼女の肩を掴んで揺らす。しかし反応はなく首がまるで人形のようにぐらぐら揺れるだけだった。


「ライカに放り投げられる前に魔族の呪い矢を受けたみたいですね」


 マイヤがつぶやく。魔族の中には魔術を使うものもいて、彼らの作った強力な呪い矢を受けると、意識を失いそのまま死んでしまうこともあった。


「呪い矢は、その人の気持ちの負の部分を増幅して汚し、意識を内にこもらせてしまいます。なんとか呪いを解いて、意識を引っ張り上げないとこのまま生きる力を失ってしまいます」

「シュリンの心に潜ってみる」


 ヘリットは獏男に声をかけると、目を閉じる。そのまま彼は意識のないシュリンの心の奥深くに潜って行った。薄桃色のビーズを連ねた糸で編まれた繊細な心の釣り橋を渡ると、ヘリットは彼女の心の扉の前に立つ。そこには、以前と同じ鋭い棘のある植物がびっしりと巻き付いていた。


「シュリン、起きてくれ。シュリン――」


 声をかけるヘリットを棘のある蔓が勢いよくヘリットをむち打った。


「痛っ」


 ヘリットの腕に太い棘が突き刺さる。間髪入れずその蔓は容赦なく彼の顔をひっぱたいた。思わず飛び下がって蔓を避けると彼は叫ぶ。


「シュリン、僕だ、ヘリットだ。頼む、起きてくれ」

「寄らないで。一時の気の迷いとしても、なんであなたなんかに心を寄せていたのかしら。ああ自分で自分が気持ち悪いわ。さっさと出て行って」


 シュリンの声が響いた。


「ああ、もう考えただけでぞわぞわする。生きているのも嫌なくらい気持ち悪い」


 一度醒めてしまった恋の後味は、晒してしまった自分の媚態も相まって、自己嫌悪の極地に彼女をおとしめているらしい。扉の隙間からドロドロとした腐臭を伴う焦げ茶色の液体が噴き出して、流れ落ちる。


 ヘリットには自分との思い出が呪いによって増幅されて、その腐った泥のような液体になって排出されているのだとうすうすわかっている。際限なくあふれ出す汚泥はシュリンの拒絶の強さを彼に思い知らせた。

 扉から延びる蔓が何本も彼に巻き付くと、戻れとばかり勢い良く彼を橋の中央に放り出した。扉に走り寄っても、走り寄っても、蔓は許さないとばかりに何度も彼をたたきのめす。どんどん鋭く、長くなる棘が彼に突き刺さって、ヘリットはとうとう扉から逃げ去ってしまった。


 ふと、目をあけるとそこには相変わらず苦しげに眠っているシュリンと、心配そうに見上げる獏男がいた。シュリンの呼吸はさきほどよりもっとかすかになっている。


「み、みんなは? マイヤとか、ミホスとか。ラ、ライカはどんな状態だ?」


 彼らならシュリンを呼び返せるかもしれない。


「ライカは瀕死です、シュリンより危ないかも。マイヤとミホスは戦っています」

 

 もう撤退してきたのかとばかりに、獏男の視線が冷たい。


「ヘリット、もう一度眠りましょう。今起こさないと、彼女は戻って来れなくなります」


 獏男が取り乱しているヘリットに声をかける。ヘリットは身体を震わせながら頭を垂れる。


「でも、彼女の心の奥底は僕を全く受け付けないんだ。僕が行っても無駄だ。誰かに付いていってもらわないと……僕は卑怯で、意気地無しの何も取り得の無い男なんだから」


 はっ、とヘリットの目が開かれる。

 彼は勢いよく顔を上げると、両手で獏男の肩をつかんだ。


「そうだ獏男、お前、お前行ってくれ、シュリンはお前を可愛がっていたじゃないか」

「無理ですよ。私と彼女との付き合いは短くて薄いんです。とても彼女を呪いのかかった眠りの中からすくい上げられません、ヘリット、良かれ悪しかれ、記憶の底に刻み込まれているあなたじゃなきゃこれはできないんです。あなたがなんとかしないと。ののしられて傷つくことを恐れずに、心から彼女に謝罪するんです」

「だから、む、無理なんだよ。僕はあんなことをしでかしたし……」


 彼は目を伏せる。脳裏には、婚約者であった彼女を放り出して逃げた時の、彼女の顔が浮かんでいる。強気な目の奥には、絶望的な哀しみがあった。


「獏男、僕は彼女に許してもらえる自信がないよ」

「なんと覇気がない。葬られた記憶の館以来、流石にあなたでも何か感じるところがあったのだろうと思っていたんですが――、誤解だったようですね」


 獏男は深くため息をつく。


「やっぱり、人はそんなに簡単に変わるもんじゃないんですね」

「当たり前だろ」


 ヘリットが吐き捨てるようにつぶやく。


「聖獣家筆頭である獏家の真実を知って、親父の苦悩も分かった。親父がいつもどんな気持ちでふがいない僕を見ていたかと思うと胸が針で刺されるようだよ。だから心を入れ替えて少しでも皆の力になろうと決心したんだ。でも、何かを成し遂げようと決心しても、いつだって何もできない自分を思い知らされるだけなんだ。ああ、なんで意気地なしの僕がこんな重荷をまかせられるんだよ」

「まかせられているわけではありません。これはあなたが自分で持っている運命なんです。逃げても、逃げても追ってくるんですよ、運命って奴は」


 ああああ、低いうなり声を上げてヘリットは頭を抱えこんで地面にうずくまる。


「もう、逃げたい――」

「逃げても運命はさらに扱いにくくなって追ってきます。運命はしつこい上に始末が悪いんです」


 獏男が静かに言い放った。


「逃げれば逃げるほど悪く転ぶこともあるんです。悪く転ぶなら、もう一度立ち向かってみればどうですか。どうせすべてを失うのは同じなんですから。あなたらしく、まずはかっこ悪く全力で立ち向かって、だめとわかれば今度はすがすがしく逃げてしまえばいいのではないですか」

「恰好悪く――」

「そうです、あなたは恰好をつけすぎです」


 獏男がヘリットの目をのぞき込む。


「私たちは最初からヘロヘロ獏ですから、恰好良く振る舞えるはずがないんです」

「恰好をつけすぎていた……」


 その言葉は、ヘリットの心に突き刺さった。

 思えば、シュリンは昔からあんなに居丈高で押しつけがましかったわけではない。

 彼女がああなったのは、僕が彼女を避けたから……。

 だって、彼女はあんなにきれいで何でもできて、僕がつりあうには必死で背伸びして死に物狂いの努力をしないといけないと思ったから。僕にその自信が、気概がなかったから、本当はちょっと憧れていたのにきっと持て余すだろうと逃げてしまった。


 恰好をつけて正直にこの気持ちを説明せずに、きちんと彼女に向き合わなかったから、徐々に彼女も僕に対して尖った気持ちを向けるようになってきたんだ。

 すべては僕が原因だった――。

 ヘリットはゆっくりと顔を上げる。


「そうだな。シュリンを傷つけたのは僕だ。僕は彼女に向き合わないといけない」


 小さくため息をついて、ヘリットはもう一度目を閉じた。

 ピンク色に光っていたビーズで編まれた吊り橋は、今にも切れそうになっている。一足ごとにベリベリと破れていく橋を渡りながら、ヘリットは棘だらけの扉に飛びついた。棘の付いた蔓が手足に巻き付いて彼を締め上げる。ヘリットは激痛に身を固くするが、歯を食いしばり、右手を振り上げてびっしりと棘の生えた扉を叩いた。叩く力が強いほど、棘も深く刺さる。手を血だらけにし、扉から吹き出す腐敗した茶色の液体にずぶ濡れになりながら彼は叫んだ。


「シュリン、許してくれ。君にきちんと向かい合わなかった僕が悪かった。僕の自分勝手が君を傷つけた。僕は本当は君に憧れていたんだ。でも、自分が君に釣り合う自信がなくて、そんな意気地のない理由を君に言うもの恥ずかしくて……本当に悪かった。償いはなんでもする。僕のすべてを捧げていい。だから、心の底に逃げないで、戻ってきてくれ」


 右手から血が噴き出す。扉から外されまいと、左手は蔓を握りしめている。左手の甲を何本も棘が貫いていた。激痛が彼の全身を苛む。だが、痛みに構っている余裕はなかった。

 結婚を直前で破棄された彼女が負った傷はこんなものではなかったはずだ。怒り、羞恥、屈辱、悲しみ……。

 彼女の負の感情が全身を覆い、後悔となって彼を責めさいなむ。

 自分がしでかした罪の大きさ、恥ずかしさ、それを正視する恐怖。

 彼が向かい合うのを恐れていた感情が、風雨となって吹き付ける。


「頼む、ライカを救ってやってくれ。彼の体をむしばむ呪いをきれいに洗い流すのは、浄化の技を身につけた君にしかできない仕事なんだ」


 滝のように落ちる涙と鼻水が茶色く汚れた顔に立て縞を作る。

 腐臭に満ちた液体がほほを伝って口に入るのも構わず、彼は彼女に許しを乞い続けた。


「すまなかった、シュリン。ああ、せめて君に感じさせてしまった心の痛みを、僕がすべて引き受けてあげられればいいのに――」

「軽々しく言わないで」


 いきなりヘリットの謝罪をぴしゃりとはねつけるような一言が降ってきた。

 しかし半ばあきらめかけていた返事に、ヘリットの顔が上がる。


「自分がつけた傷は自分が謝罪すれば治せるなんて、うぬぼれもいいとこよ。ひとたびつけられた心の傷は、相手に謝られたぐらいでは治らないわ。最終的にこの痛みは私自身が克服しなければならないの。いいこと、獏ごときにできることじゃないのよ」


 静かに扉が開く。


「でも、あなたの謝罪は受け取りました。私は誇り高き一角獣家のシュリン。自分の心の傷くらい自分で治して見せます」


 気がつけば棘のある蔓も液体も消え去り、目の前には凛とした表情のシュリンがたたずんでいた。

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