第20話 毒夢酒
「しかし良かったですね、音が漏れないようにライカの部屋に目張りをしておいて。あれをしていなければ、凶悪な音を警戒して入ってこなかったかも」
血だらけのヘリットの腕に階下からせしめてきたテーブルクロスを引き裂いたものを巻きながら獏男がしみじみとつぶやく。
「ああ、別の部屋で寝ていても音が気になって寝られないとミホスとシュリンが怒っていたからな。ありったけの綿で目張りをしておいて良かった」
ライカは眠りが深くなるとひとりでに変身して唄いながらその鱗や髭をかき鳴らす。そのすさまじい音に懲りたシュリンは、宿の亭主から古い毛布と綿をもらいライカにそれを持ち歩くように命じたのであった。
彼らは夕食前に全員でドアの内側に紐を渡して防音のための毛布を垂らすと、部屋の中の隙間という隙間に綿を詰めたのであった。もちろん寝るときには内側からも入念に綿を詰める事をライカに言い聞かせて。
自分が好きなだけ音を出せることについては努力を惜しまないライカは泥酔していてもきちんと言われたことを守ったらしい。
おかげで外には「大きな音」ぐらいしか聞こえていなかったが、部屋の中には逃げ場を失った凶悪な音が暴れ回っていたのである。
ふと気がつくと、魔力で維持されていた美麗な調度は朽ち果てた木切れの集まりとなっており、部屋には埃がたまり、大きなヒビが入った壁はびっしりとカビで覆われていた。召使いたちはどこかに姿を消している。
「古城の主が魔族とわかったからには長居はできない。早く彼らを起こさないと」
「逃げ出したくせに、前向きな事を言うじゃないですか」
「うるさい、命の恩人に向かってなんて言い草だ」
聖獣家の面々を助けないと、都の人々、そしてヘリットも自分の家族を助けてもらえない。彼らを起こすぐらいなら簡単なことだ。その後隙を見てまた逃げ出せばいい。
しかし、魔族の酒を飲んだ彼らを目覚めさせるのは簡単な事では無かった。
「起きませんねえ」
ミホスの鼻をつまんで獏男が肩をすくめる。
いつも睨まれて怖い思いをしている相手だけに、最初は面白がってくすぐったり、頬をつねってみたり、鼻毛を抜いてみたり、やりたい放題だったが、余りにも起きないのでだんだん不安の方が強くなってきたようだ。
「獏男、どうだ?」
陰気な顔でマイヤとライカの部屋から帰ってきたヘリットは、眉をひそめた聖獣見習いの顔を見て返事よりも早く結果を知った。
「シュリンもぐっすり寝ていました。全員、あの毒酒にやられたみたいですね。毒自体は強くなかったものの、飲んだ量が多すぎたのかもしれません。もしかしたらこのまま夢の世界から帰ってこないかも」
身体に極めて害のあるものであれば、敏感なマイヤやシュリンは気がついたはずだ。現に皆すやすや寝ているだけで、身体に変調は見られない。
だが、このまま寝たままで何も飲んだり食べたりしなければ、そのうち命がなくなるのは、はっきりしている。
「症状から言えば、
「なんだ、それは?」
「皆、心の中に何かしら生きづらさを抱えているものです。これは心の底の哀しみから解放してくれる酒ですが、哀しみがなくなった楽園のような世界を見せることで、現実に戻りたくなくなり夢を閉じられなくなるのです」
「そ、それは――」
うらやましい。と、いう言葉を飲み込んでヘリットは慌てて困った顔をする。
「獏男、よく知っているな」
「夢に関する事ならば、一応先祖代々の記憶を引き継いでいますからね」
鼻高々で獏男はすまして答える。
「で、彼らを起こすにはどうすればいいんだ」
「奥の手があります。『夢語り』の応用で、夢の中で彼らの心に橋を渡し起きるように呼びかければいいのです」
獏神見習いは任せておけとばかりに胸を張った。
「じゃあ、頼む」
頭を下げるヘリットを見た獏男は、あきれたように口をぽかんと開けた。
「は? あなたが行くんですよ、ヘリット。僕は橋を渡すお手伝いをするだけ。だってあなたのほうが長い付き合いですから相手の心の扉を開けやすいんです。だって、ほら自分の家の扉をたたいた相手が知り合いなら開けるけど、よく知らない人には開けないでしょう。同じ記憶を持つ者の方が橋が渡しやすいんです」
てっきり獏男が行ってくれるのかと思っていたヘリットはため息をつく。
「あんまり、奴らに会いたくないんだけどなあ」
正直、本音をぶつけられるのが怖い。きっと夢の中では言葉を丸くするという理性が働かないだろう、日頃のヘリットの行いを彼らはここぞとばかりに糾弾するのではないだろうか。
「まずは戦力的に一番頼りになるミホスの心の扉を開けに行きましょう。心の扉を開けて夢の部屋から引きずり出せば、きっと目が覚めるはずです」
憂鬱な気分でヘリットは渋々目を閉じる。暗闇の中、獏男が夢の橋を架けた。ミホスの心の扉に架かるのは炎色の真っ赤な橋だった。
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