第2話 獏家の修行

「で、お前さんの名前は?」

「ヘリオット――」


 続けてバク、と言いかけて青年は慌てて言葉を飲み込む。3日前から家名は捨てたのだ、ただのヘリオット、いやもっと簡単に通称のヘリットでもいい。


「皆は僕のことヘリット、って呼ぶから、やっぱり名前はヘリットにしておいて」

「家名は?」

「無いんだ、ただのヘリットだよ」


 ふうん、低く唸りながら宿の親父は胡散臭そうにヘリットを頭の先からつま先までじろじろと見た。


「家名が無いにしては、薄汚れているけど身なりがいいねえ。おや、その袋はずいぶん上物の革製で細工も細かく入っているじゃないか」


 ヘリットは慌ててベルトに通していた腰の革袋を背後に回す、そして親父に取り出していた宿代を握らせた。


「これだけあればいいだろ」


 宿代を払ってしまうと残りはほとんどなかったが、すでにヘリットは体力の限界だった。

 逃げた当日はほとんど夜明けまで駆け通し、ここ二日は森の中での野宿が寒くてろくに寝ていないのである。これが獅子王家や龍家であれば、炎を出したり、雷を落としたりして焚き火をすることなど造作もないことなのだが、ろくな能力も無い獏家の跡取りはガタガタと細い身体を震わしながらひたすら耐え忍ぶしか無かった。

 秋なので森に果実はあったが、それも鳥や獣が食べ残すほどの貧相な実で、ろくに腹も満たせていない。このままでは下手すれば行き倒れてしまう。今夜はお金をはたいてでもちゃんとした宿屋でまともなものを食べて寝床で寝るつもりで宿の扉を叩いたのである。


「部屋は2階の一番東側。夕飯は終わっちまったから、次の食事は朝だな。ここの横に食堂があるから、日が昇ってから降りてきな。それにしても、若いのに働きもせずぷらぷら旅行なんてお気楽なもんだ」


 鍵を渡した後もまだ合点がいかないとばかりに眉をひそめる親父に背を向けて、ヘリットは1階のホールに備え付けられた暖炉で冷え切った身体を温める。

 パチパチと火のはぜる音を聞いていると、疲労のあまり立ったまま視界が暗くなって眠りそうになる。


「ダメだ」


 このまま寝てしまうと、烈火のごとく怒った親父が『夢渡りの術』で、やってくるかもしれない。他人の夢を通じて実体も移動する『夢渡り』、それはめぼしい力の無い獏家に伝えられたほとんど唯一と言っていい一子相伝の術だった。

 しかし、ヘリットをあまり信頼していない父親は彼にその術をまともに教えようとはしなかったし、もちろん反抗的でやる気の無い息子も教えて欲しいと頼んだことがなかった。

 幸い、夢渡りを拒絶する橋封じの魔言まごとというものがある。

獏家の術の中では初歩中の初歩であるが、いやいやながら取り組むヘリットは獏家の祖先たちが数日でものにしてきたこの術ですら習得に一年かかった。

 しかし、習得しておいてよかった。ヘリットは幼少期の自分に感謝しながらぼそぼそと魔言をつぶやく。


「我が夢は我一人のものなり。獏よ、夢の橋を喰い、何人たりとも我が夢に橋を渡すことなかれ」


 これをしておけば多分親父は渡ってくることはできまい。暖炉で背中まで温まったヘリットは急に眠気に襲われ、のろのろと2階に通じる階段を上がっていった。

 半分夢の世界にいる彼の脳裏に、小さい頃の記憶が蘇ってきた。



 毎年、年が明けて2日目の仕事始めには王宮の横にある獏家の塔に他の四聖獣家が挨拶に来るのが習わしであった。それぞれ聖獣家は立派な屋敷を持っているが、王宮の横に居を構えることができるのは獏家だけで、それがこの聖獣家の格式の高さを示していた。


 隙の無い正装に身を包んだ聖獣家の面々は、うやうやしく筆頭聖獣である獏家の当主に頭を下げて新年の挨拶をする。しかし、その瞳にかすかな侮蔑の光が宿っていることをヘリットは気づいていた。もちろん、父親も感づいているであろうが、獏家の当主は何食わぬ顔で淡々と挨拶を受けていく。


――何も力が無いくせに、なぜこやつに頭を下げねばならないのだ。


 口には出さないが、抜きんでた戦闘力を持つ獅子王家は獏家に対して特に強い競争心を持っていた。

 他の聖獣家も多かれ少なかれ心の底には同じ思いがある。

 獏家の当主から、形だけのささやかな焼き菓子を授けられ、『何もできないくせに』という言葉を無理矢理飲み込んだ聖獣家の当主達が不満げな表情を浮かべて帰っていくのが、この新年の挨拶の恒例だった。



 この王国は歴史上、少なくとも3回は魔族の侵攻に脅かされている。毎回聖獣たちが魔族を退けてはいるが、すでに最後の侵攻から三百年以上の時が過ぎた。戦いの記憶はほぼ忘れ去られているが、最後の戦いでは雪山の氷の中にほとんどの魔族が封じ込められたと伝えられている。

 流石にもう魔族も滅びているのではないかという意見もあるが、魔族の本拠地は高い雪と氷に閉ざされた人間の踏み込めない東の山脈の向こうなので、魔族が今どうなっているか誰も調べに行くことができないでいた。

 聖獣家の当主達は、いつか来るかも知れない魔族の軍勢に対しどのようにして戦うかということを年に数回会合を開いて話し合っていた。だが脅威が無くなって長い年月がたつうちに、会はほぼ形骸化してしまったようだ。獅子王家の当主はその会をお茶会と揶揄してはばからない。


 会が開かれる際に、当主達は必ず次期跡取りを連れて来た。いにしえから聖獣を宿す五つの家柄の力を結集することで大きな力を得ることができると伝えられており、将来、この国の守護をともに担う子供達を小さい頃から知り合わせておこうという目的であった。だが、正直ヘリットはこの別室での集まりが苦痛でたまらなかった。



 ヘリットの頭の中に、まだ子供だった獅子王家の跡取りミホスが全身包帯だらけになって現われた日のことがよみがえる。お茶と菓子が出された中庭のテーブルにしょんぼりとうなだれてやってきたミホスの手足は包帯が巻かれていない部分ですら地図のような火傷が広がっていた。


「どうしたのミホス。また術がうまくいかなくてお父上から怒られたの?」


 子供の頃からシュリンは物怖じしない子だった。一旦何かを競うとなれば一角獣家のプライドを前面に出して情け容赦ない行動をとる彼女だが、何か傷ついた仲間が居れば本気で心配し惜しみなく情をそそぐ優しさがあった。


「うん、炎の術でうまく炎が操れなくて」

「じっとしていて」


 包帯でグルグル巻きにされた筋骨隆々とした腕に、シュリンはそっと手を当てる。まだあどけないが、将来間違いなく美女になることがわかるシュリンの整った顔にかすかに苦痛が走った。

 一角獣の癒やしの技は、まず相手の痛みを自分に取り込んでから消し去るもので、自分にもかなりの苦痛が伴う。しかし、シュリンは臆すること無く一生懸命ミホスをなで続けた。癒やしの能力はまだまだ未熟とは言え、痛みをかなり和らげたらしい。ミホスの額に寄っていた皺が、すっと無くなっていくのが傍目にもはっきりとわかった。


「まあ、後を継ぐまでにはまだまだ間があるから、うまくいかなくても気にするなよミホス」


 濃い紫の髪に青い目をした龍家のライカが元気を出せとばかりに肩をたたく。

たたかれるとまだ痛いのであろう、ミホスが顔をしかめて睨むも空気を読まないライカにはどこ吹く風、それどころか彼は自分の苦労を大声で話し出した。


「俺だって、毎日苦労しているんだぜ。鱗を丈夫にするために鉄の粉が入った黒いパンを食わされるし、雷鳴をいかに厳かに、いかに心を揺さぶるように鳴らすかの練習だって、面白いけど大変なんだ。龍のヒゲを早く振動させれば高い音、ゆっくりすれば低い音、また髭で鱗を弾く位置でも音が変わって――」

「お前も苦労しているんだろ、マイヤ」


 ライカは音に関して話し出すと止らない。慌ててミホスがマイヤに話題を振る。

マイヤと呼ばれた桃色の長い髪に、薄紫と緑の2色が宿る透き通った瞳をした華奢な少年は切れ長の目に困ったような笑みを浮かべてうなずいた。


「鳳凰家は、風と雨を司る神だから、毎日吹いたり降らしたりでへとへとだよ。飛ぶ練習もあるしね。でも、一番好きじゃないのが幻惑の術。短い時間だけだとしても、人を思い通りに操るって、なんだかとっても気が重くなるんだ」

「あら、私だっていろいろなものを浄化する修行をさせられているわ。泥水を真水に変えたりするのってとっても大変なの。それにいにしえの呪具を浄化している時なんか、不意に気分が悪くなることだってあるのよ」


 シュリンも負けじと愚痴をこぼす。皆がお互いの鬱憤をはらすかのように修行がいかに大変かと吹聴し始めた。


 が、ふと会話が止る。

 来た。


 そっと輪から抜けようと後ろを向いて立ち去りかけたヘリットにミホスが呼びかけた。


「ところで聖獣家筆頭、獏家の跡取り様はどんな修行をしているんだ」

「そ、そりゃあもう、けっこう大変な――」


 言い澱んで目をそらす獏家の跡取りをのぞき込むようにしてミホスがたたみかける。


「へえ、夢の神の依り代様の修行。是非教えてもらおうじゃないか?」


 沈黙の後、ヘリットは意を決したように口を開く。


「寝る……」

「はあ?」


 ミホスの言葉と共に聖獣家の子供達の目が丸くなる。


「ね、寝るだけ?」


 シュリンが眉をひそめて、あらためて聞き直す。


「ひたすら寝るんだ。どこでもどんなときでも、どれだけでも寝られるように」


 ミホスが目をしばたたかせる。ライカとマイヤも言葉を失っている。

 次の瞬間、彼らは吹き出して大笑いし始めた。


「い、いいなあ獏家は。ただ寝てりゃあいいのか」

「獏家に生まれれば良かったわ」

「うらやましいなあ、ダダダッダーンン」


 気の毒そうにヘリットを見上げるマイヤ以外の弾けたような笑い声が中庭に響き渡った。

 だから嫌だったんだ。ヘリットは唇を噛みしめる。

だけど、本当に彼が父親から命じられるのは寝る練習のみなのだ。

 目覚めたばかりの爽快な朝でも、食卓でも、遊んでいる最中でも「寝ろ」の指示は突然やってくる。酷いときには川に渡した細い橋を渡っている途中で言われたこともある。

どんな状況であっても、その一声で彼は否応なく寝なければならない。

 それも、迅速に、深く、呼びかけられて起こされるまで長く。

 笑い声を背に、幼いヘリットは頬を赤くして足早に仲間から離れる。

 奴らに教えてやりたい。寝る、って修行は実は大変なんだぞ、と思いながら。

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