第5話 お家に帰ろう

パチパチと薪の爆ぜる音に、ランはハッと顔を上げた。いつの間にか眠ってしまったらしい。

暖炉の炎に照らされて、狭い山小屋の中が柔らかな赤い光に包まれている。

窓の外はまだインクを薄めた様に暗かった。隙間風の音が不気味に響く。

太陽は見えないが、間もなく夜明けだろう。濃い闇の気配は息を潜め、朝の空気の匂いがする。

 ランはそっと首を伸ばし、ご主人様の頬に触れた。ここに来た当初は熱にうなされていたが、今は死んだ様にぴくりともしない。時折忙しなくなる呼吸が苦しそうで、ランは枕元に寄り添う様に丸まっていた。

 床の上には若い男女が3人、マントに包まって眠っていた。疲れきっているらしく、起きる様子は無い。

アースはといえば、彼は壁にもたれる様に片膝を立てて目を閉じていた。山小屋の中とはいえ、外には山小屋等片手で吹き飛ばしてしまえる魔獣もいる。完全に安全とは言い難い。火の番も兼ねて見張りをしつつ眠っているのだろう。


 不意に外の気配が変わった。

 全身の毛がぶわりと逆立つ。

アースはカッと目を開くと、壁に立てかけてあった剣に手を伸ばした。

「・・・・・。」

『・・・・・。』

 山小屋の外から、カサカサと枝を擦る音が聞こえてくる。獲物を探す捕食者の微かな息遣いに、アースは気を殺し、そっと窓際に躙り寄った。

1つ、2つ、3つ。黒い影が蠢く。

狼型の魔獣だ。十数匹の群れで動く事が多い。一匹一匹の強さはそこそこでも、数の暴力で襲ってくるし、知性もそれなりにある。

「エルダーライガーか。このまま気付かずに行ってほしいところだな。」

 戦って勝てない魔獣では無いが、今は守る対象が多すぎる。何かを守りながら戦って勝てる程弱い魔獣ではない。

それでも、いざとなれば、命を掛けるしかないが・・・。

 張り詰めた空気が漂う中、魔獣は暫し山小屋の周りを歩き回っていたが、やがて雪原を山の方に駆けていった。

「ふぅ〜。」

『はあぁ〜。』

1人と一匹は同時に緊張を解き、肩を降ろした。

「やれやれ。ある程度あいつ等が回復するまでここに居ようかと思ってたが、日が昇ったらさっさと下山した方が良さそうだな。」

 今のは偵察だけで、次に本隊で襲ってくる可能性もある。

『ランも早くお家に帰りたいです〜。』

 もう雪山は懲り懲りだ。

 寒くても安全なマイホームが恋しかった。


空が明るくなると、アースは3人組を叩き起こした。眠い目を擦りながらもぞもぞする若者達に喝を入れ、非常食の干し肉と乾パンを齧らせつつ、テキパキと撤退の準備をする。

『ご主人様、ご主人様、起きて下さい。お家に帰りますよ。』

 胸元をカリカリしながら声を掛けるのだが、案の定レイモンドは目を覚まさない。

ランが悪戦苦闘していると、アースが来て乱暴にレイモンドの肩を揺さぶった。

「レイモンド、動けるか。山を降りるぞ。」

「・・・・・。」

「エルダーライガーがここに目を付けている。集団で来られたら厄介だ。急いで離れるぞ。」

「・・・・分かった。」

「その状態で魔法は使うなよ。お前を担ぎながらじゃ、いざという時に戦えんからな。」

「・・・・・。」 

 外に出ると鉛色の雲は流れ、白い雲の隙間から水色の空が広がっていた。柔らかな日差しに、雪かさが次第に萎んでいく。雪の上に重なる様に足跡を残しながら、一行は順調に森を歩いていた。ここまで数匹の魔獣に遭遇したが、意外にも若い3人組が元気だった。赤毛で長身のクレオは右手に切り傷を負っているものの、左手で器用に槍を操り、金髪碧眼の美少年であるマリオットは、素早い身のこなしと投擲で魔獣を屠った。一番ヤバいのが黒髪緑目の少女フィーリアで、魔法と剣で中下級の魔獣を蹂躙する。17、8の年齢にしてはかなりの腕前だった。

「お前らだったら、救助が来なくても帰って来れたかもな。」

半ば呆れてぼやきながら、そういえば、期待の新人パーティーだと言われていた事を思い出す。実際に戦っている姿を見るのは始めてだが、既に中堅以上の実力だろう。

「そんな事ありませんよ。ショートホーン4頭は流石に手に余りますし。あの時、アースさんか来てくれて無かったら、かなりヤバかったと思います。」

 年長のクレオが謙遜した様に言う。

「ちょっと奥に入り込み過ぎて、帰り道を探しているところでしたしね。」

「カッコつけてないで、道に迷ったって言えばいいじゃん。」

 剣を払って血を飛ばしながら、フィーリアは長い髪をうっとおしそうに後ろに払った。髪紐が切れてしまったそうで、黒髪が風に煽られている。いっそ剣でぶつ切りにしようとするのをクレオが何度となく止めていた。

「その人、魔力切れ?」

戦闘の必要が無さそうだと踏んで、アースは早い段階でレイモンドを担いでいた。まだ不調らしい彼の歩調に合わせていては夕方になっても森を抜けられそうに無かったのだ。

「ん?ああ。感謝しろよ。お前らを探すのに、かなり無理させたからな。」

「え?索敵魔法?」

「そんな様なものだな。」

「へえー、凄いじゃん。てっきり事務専門の人かと思ってた。この人、攻撃魔法も使ってたよね?」

 身体強化を使える者は多いが、その他の魔法を使える、いわば魔法使いは少ない。その中でも攻撃魔法が比較的多く、補助魔法系を使える者は希少だ。更に回復系の魔法を使える者は国内でも探すのが難しいレベルである。

「お前だって魔法使いだろ?お前は使えないのか?」

「フィーは殺す専門だから。」

腕に抱いたランに頬ずりしながら、マリオットが説明する。

「そういう補助っぽい魔法は全然駄目。」

「だってかったるいじゃない?ようは斬って燃やせばいいのよ。」

完全に脳筋の思考である。

「お前は?」

「オレとクレオは魔法は全然。身体強化くらいなら少しは。」

『うー、苦しい。苦しいです。もうちょっと優しくお願いします。』

 マリオットは可愛い生き物が大好きらしく、隙をみてはランに触れようとしてくる。

彼の柔らかな気は嫌ではないのだが、如何せん力加減が雑である。

「それだけ使えりゃ十分か。だが、気配には気付ける様になれよ。弱い魔獣だって、不意打ちを食らえばヤられる事もある。」

「肝に銘じておきます。」

 冒険者としては珍しいくらい生真面目なクレオは真剣に耳を傾け頷いた。

 太陽の熱に溶かされて、雪はかなり解けていた。黒く濡れた道は泥濘んで、ブーツから水が染みてくる。

 冬の天気は変わり易い。晴れていても数十分後には吹雪く事もあるのだ。天候が安定している内に抜けてしまいたかったが、状況がそれを許すとは限らない。

「おっと、次が来たな。ベアホークが3体じゃ、ちょっと大変だな。俺が1体殺る。」

「オーケー。じゃあ、私が一匹ね。」

フィーリアが嬉々として先頭の1体に突っ込んでいく。

「じゃあオレが隙を作るからクレオ、よろしく。」

「いつも通りだね。」

「ランはレイモンドの側を離れるな。こいつは使いものにならんから、ちゃんと守っとけよ。」

『もちろんです。任せて下さい。』


ベアホークは熊に似た魔獣だ。鋭い爪と牙を持ち、大きい個体は4、5メートルもある。それこそ、山小屋程度なら簡単に吹き飛ばしてしまう。森での接敵率も高く初心者の冒険者がよく命を落とす魔獣だ。

 フィーリアは素早やい動きで魔獣の脚に斬りつけ腱を切断した。更に正面から炎を吹き付け、怯んだ首筋に剣を突き立てる。暴れる魔獣から軽業師の様に離れると、魔獣は首から血を噴き出しながらゆっくりと地面に倒れた。

「はい、おしまい。」

マリオットは、目を狙ってナイフを投げつけた。固い毛皮に傷を付ける事は難しい。魔獣は腕を振ってナイフを弾いたが、その隙にクレオが槍を突き立てる。

 槍は僅かに皮膚を抉って血が流れた。思った以上に固い。

魔獣は怒り、大きく腕を振るってクレオを殴り飛ばそうとする。マリオットは木の上から魔獣の背に飛び乗り、手にした短剣で魔獣の左目を突いた。

「グアアアアアアアッ!」

「もう1個は無理か。じゃあ、これでも食らえ。」

自分を食いちぎろうと襲ってきた口の中に、小瓶を放り投げる。

爆風が歯の隙間から漏れ、魔獣は喉をかきむしった。クレオはその間に心臓に槍を突き刺した。魔獣は残った目をギラつかせてクレオ達に襲いかかったが、途中で動きを止めドサリと倒れた。

「やるじゃないか。」

 襲ってきた魔獣を一刀に切り捨てたアースは、若い冒険者の戦い振りを眺めていた。いざとなれば助けに入るつもりだったが、危ない場面も無く安心して見ていられる。

「こいつらの問題は、方向音痴って事だな。」

フィーリアは最初から道を覚える気がないし、クレオは致命的な方向音痴だ。マリオットは行き当たりばったりなところがある。

「お前ら、冬の間は森の入り口より奥へは行くな。吹雪けば慣れた道でも分からなくなる。実際に、自分の家の前で遭難したヤツもいるからな。」

「えーっ。それじゃあ、戦えないじゃない。」

フィーリアが頬を膨らませて抗議する。浅い森には、基本弱い魔獣しかいないのだ。

「冬は村や町に魔獣が降りてくる。そういう奴等の討伐にしとけ。言っておくが、遭難して救助隊が出たら、その費用はお前等持ちだぞ。稼ぎもクソも無いからな。」

「えっ、そうなんですか。」

 クレオの顔が青ざめる。

「それでは、今回のも?」

「まあ、今回は俺とこいつだけだからな。怪我もしてないし大した額にはならんだろ。だが、他の冒険者も駆り出されると金額も跳ね上がるからな。気を付けろ。」

 真冬の捜索は今以上の厳しさだ。はっきり言って行きたくない。せいぜい厳し目に釘を刺しておこうと思うアースだった。

 



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