戦場工事人の英雄記 ――「ただの穴掘りですが?」と言いながら、最前線に難攻不落の要塞を3分で建てる男【短編版】

いぬがみとうま

第1章「スコップと王女と最前線」

 コポポポポ、と。

 無骨な鉄鍋の中で湯が踊り、豊かな香気が立ち昇る。

 豆は深煎りのマンドラン。酸味が少なく、ガツンとした苦味が脳髄を覚醒させる俺のお気に入りだ。

 惜しむらくは、ここが優雅なカフェのテラス席ではないということか。


「ククッ……いい香りだ。豆の選別は完璧だな」


 俺は満足げに呟き、マグカップを口に運ぶ。


 直後。


 ヒュオオオオオオオ――ズガァアアアアン!!


 頭上数メートルを灼熱の暴風が通過し、少し離れた岩盤が粉々に砕け散った。パラパラと土砂が降り注ぎ、せっかくのコーヒーに泥が混じる。


「ぺっ。……最悪だ。これだから野外現場は嫌いなんだよ」


 俺、ヴァンは深いため息をついた。

 ここは大陸西部、最前線デッドライン

 泥と鉄と血の臭いが充満する、この世で最も労働環境が劣悪な場所だ。


 俺は背負っていた巨大な荷物を地面に下ろす。全長二メートル、重厚な鉄の塊。

 柄の部分には魔導回路が刻まれ、先端は鋭利に研ぎ澄まされている。

 剣ではない。槍でもない。


 これはスコップだ。正式名称、多機能魔導スコップマルチ・ツール・ショベル

 しがない工兵である俺の、唯一の相棒である。


「あーあ、定時まであと三時間もあるのか。残業だけは勘弁願いたいね」


 俺は塹壕の底に背中を預け、再びマグカップを啜ろうとした。その時だ。


「貴様ァアアアア! こんなところで油を売っている場合かッ!!」


 鼓膜を劈くような怒声と共に、塹壕の中に眩い光が飛び込んできた。

 いや、光ではない。人だ。

 白銀に輝く全身鎧を纏い、戦場の煤汚れ一つ許さない高貴なオーラを放つ少女。


 俺はその姿を見て、思わず「げっ」と声を漏らした。

 この国の第三王女にして、最前線の指揮官。

 戦乙女ヴァルキリーとあだ名される、エレナ王女殿下その人だったからだ。


「……これは殿下。本日はまた一段とお日柄もよく」


「ふざけるな! 敵の帝国軍インペリアル・ガードが目の前まで迫っているのだぞ! 貴様の部隊からの報告が途絶えたから来てみれば……優雅にコーヒーだと!?」


 エレナが憤怒の形相で詰め寄ってくる。

 彼女が動くたび、その特徴的な髪がふわりと揺れた。

 透き通るような銀髪。それを頭の高い位置で左右に結い上げた、ハーフアップのツインテール。


 気品と愛らしさを兼ね備えつつも、激しい動きを邪魔しない実用的な髪型だ。

 戦場に咲く一輪の白百合のようで、正直、黙っていれば絶世の美少女なのだが。


「報告ならしましたよ。『現在、戦況は極めて安定。休憩(ティータイム)に支障なし』と」


「どこが安定しているんだ! 爆撃音が聞こえないのか貴様の耳は飾りか!」


「いえ、俺の計算では、敵の砲撃はこの塹壕の『安息角』を捉えきれていません。つまり、ここは絶対安全圏。サボるには最高の立地なんですよ」


「サボると言ったな!? 今、はっきりとサボると言ったな!」


 エレナが顔を真っ赤にして地団駄を踏む。

 彼女は真面目だ。真面目すぎて、生き急いでいるようにすら見える。


 王族でありながら最前線に立ち、誰よりも剣を振るう「脳筋」姫様。

 兵士たちからの人気は絶大だが、裏方である工兵の俺からすれば、これほど扱いにくい上司もいない。


 俺のモットーは「安全第一」。彼女のモットーは「勇猛果敢」。

 水と油だ。


「立て、ヴァン! 貴様も兵士ならば剣を取れ! 私の背中を守る栄誉をくれてやる!」


「謹んで辞退します。俺の契約書には『土木作業全般』としか書いてないんで。戦闘行為は契約外業務です」


「き、きさ、貴様ぁ……ッ! この国の危機になんという言い草……!」


 エレナが剣の柄に手をかけ、俺を切り捨てようとした、その瞬間だった。

 

 ズウン、と。

 大地の底から響くような、重苦しい振動が走った。


「……ッ!? なんだ、この揺れは」


 エレナが表情を引き締める。

 俺はコーヒーを飲み干し、マグカップを置いた。


 振動の波長。地面を伝わる音。そして、鼻をつく焦げ臭いオイルの匂い。

 間違いない。


「……来ましたね。お偉いさんたちの予想より、二時間も早く」


 俺が呟くと同時に、塹壕の縁が崩れ落ちた。

 視界を埋め尽くしたのは、土煙を割って現れた巨大な影。


 鋼鉄の装甲に覆われた、四足歩行の多脚戦車。帝国の誇る殺戮兵器、重魔導機兵ヘヴィ・ゴーレムだ。

 一機ではない。二機、三機……十機以上が、崖の上からこちらを見下ろしている。


 赤いモノアイが、ギロリと俺たちを捉えた。


「なっ……! 馬鹿な、ここは断崖絶壁のはず! 重機兵が登れるはずがない!」


 エレナが驚愕に目を見開く。

 

「壁面にアンカーを打ち込んで登ってきたんでしょうね。……やれやれ、強引な施工だ」


「分析している場合か! 来るぞッ!」


 先頭の機体が、巨大な前脚を振り上げた。

 質量による単純な、しかし回避不能な圧殺攻撃。

 狙いは、俺だ。


「ちッ!」


 俺が反応するよりも早く、銀色の風が動いた。

 エレナだ。

 彼女は俺の前に割り込むと、その華奢な体に見合わぬ巨大な魔剣を一閃させた。


防壁展開シールド・オン!!」


 ガギィイイイイイッ!!


 金属同士が噛み合う激しい火花。

 エレナの展開した魔法障壁が、数トンの重量を受け止める。

 だが、相手が悪すぎた。


「ぐ、ぅううう……ッ!!」


 エレナの膝が折れ、地面にめり込む。

 ハーフアップのツインテールが泥に汚れ、白銀の鎧が悲鳴を上げた。

 さらに悪いことに、後続の機体が次々と塹壕内に飛び降りてくる。

 完全に包囲された。


「逃げろ……ヴァン……ッ!」


 歯を食いしばり、必死に機兵の脚を押し返しながら、エレナが叫んだ。


「貴様は戦えない……私が時間を稼ぐ……その間に、本隊へ知らせろ……!」


 その顔に、絶望の色はない。あるのは、王族としての誇りと、部下を守ろうとする覚悟だけ。


 ……あーあ。

 だから、嫌なんだよ。こういう、暑苦しい現場は。


 俺はため息をつき、地面に突き刺しておいた相棒――魔導スコップマジック・ショベルの柄を握った。


「姫様。ひとつ訂正を」

「な、なにを……言っている……」

「俺は『戦えない』んじゃない。『戦いたくない』んです。疲れるし、汗かくし、残業代出ないし」


 俺は作業着の袖をまくり、スコップを肩に担ぎ直す。

 魔導回路にマナが走り、錆びついた鉄塊が、青白い燐光を放ち始めた。


「ど、け……! 死ぬぞ……!」


「死にませんよ。だって俺は、労働安全衛生規則を遵守する男ですから」


 俺の瞳から、眠気が消え失せる。

 代わりに宿るのは、寸分の狂いもなく構造を見抜く、建築士の目。

 この戦場は、もはや戦場ではない。

 ただの、荒れ果てた「現場」だ。


 俺はニヤリと笑い、襲い来る鉄の軍勢を見上げた。


「あーあ……。よしッ! 改修リフォームするぞ」




――

短編全4話です。(1日2話投稿)

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