ピピーッ!ピピーッ!~恋じゃない。たぶん執着。

純友良幸

お題:笛・古い・おっちょこちょい

 地元公立高校の二年生、北野アカリはちょっとギャルだが、生まれついてのおっちょこちょいだ。


 段差でつまずく。柱の角に足の小指をぶつける。出先で傘を忘れる。宿題なんか息をするように忘れる。歩きスマホでDQNな輩にぶつかって因縁をつけられる。


 危なっかしいその様子を見て、祖父は生前いつも言っていた。

「アカリ、そんなんじゃいつか命を落とすぞ。危ないところに気付けられるようになれ」


 ──そして、つい先月。老衰で祖父が大往生してほどなく。


 ピーッ!


 アカリの周辺で、突然ホイッスルが鳴るようになった。


「え? なに、今の?」


 最初は気のせいだと思っていた。けれど、アカリが通学路の小さな段差に躓きかけた瞬間、また笛の音が聞こえた。


 ピピーッ!


「うわっ、あっぶなっ!」聞こえたと同時に踏ん張って、なんとか転倒を回避した。どうやらアカリの危険を前に鳴るその笛は、まるで、誰かが「危ないよ!」と警告してくれているようだと気付くのに時間はかからなかった。


 今日も、バスケ部エースでアカリのあこがれ、越中こしなか先輩をふいに前方に見かけてときめいてしまい、階段を踏み外しかけたその瞬間、


 ピピーッ!


「うわっ!? びっくりしたぁ!」


 笛の音に反応してとっさに手すりに掴まり、転落は免れた。


 それからも、赤信号に気づかず道路を渡ろうとした瞬間。雨が降りそうなのに傘を忘れかけた瞬間。クッキーづくりのとき砂糖のつもりで塩を手に取った瞬間……。


「ピピーッ!」「ピッ!!」「ピピーーッ!!」


 まるで、アカリに注意を促すように笛の音が聞こえるのだった。


    ※


「……ってことが最近おおくてさぁ~」

 笑いながらアカリが語るその不思議な現象を最初に疑ったのは、親友の夢原ぴりかだった。


 黒髪ぱっつん、ややぽっちゃりの、眼鏡で陰キャ気味な成績優秀者。ギャルなアカリとはこの学校に入学して以来の付き合い。見た目も性格も正反対なのに、なぜか仲が良い。


「アカリ、それ……どう考えてもおかしくない?」

「えっ? あーしが危ないときだけ笛が鳴って教えてくれるんだよ? 便利じゃね?」

「便利とかじゃなくて! それ、誰かが“見てる”ってことなんじゃないの?」

「えー?  まさか〜。その笛、あーし以外の誰にも聞こえないんだよ?だからきっと、この前死んじゃったおじいちゃんがあーしを心配して注意してくれてるんだねーってママとも話してたんだ。『アカリ! 気をつけなさい!! ピピーッ♪』って」


 そう言ってケラケラ笑うアカリだったが、ぴりかは釈然としなかった。彼女はリアリストなのだ。


   ※ 


 その週末。ぴりかはアカリの家にはじめてお泊まりに呼ばれた。

「アカリがはじめてのお友達を連れてくるっていうからはりきっちゃった」

 アカリの母親はそう言って、テーブルに山のようなから揚げと、洗面器みたいに大きなボウルいっぱいのマカロニサラダを置いた。


「うちのマカロニサラダ、缶詰のみかん入ってるけどぴりかは平気?」

「う……うん……」

 アカリが差し出す箸を受け取りながら、ぴりかは生返事をかえした。

(……え、え? え? なんで笹川くんがいるの?)


 北野家の大きなダイニングテーブルには、アカリ、アカリの両親と招かれたぴりかのほかにもう一人、クラスでも見慣れた少年が席についていた。


「あ、ぴりか、改めて紹介するね!  となりの家のニシキだよ。ニシキのお母さん忙しいから、ちっちゃい頃からうちでご飯食べたり、お風呂入ってったりするの~」

「そ…そうなんだ。なんか漫画に出てくる幼なじみみたいだね」


 切れ長の目元が印象的な塩顔系のクール美少年、とクラスの女子たちの間でも人気のある笹川ニシキは、うすく笑いながらぴりかに軽く会釈した。


「でしょでしょ~! 中学入ったころまでは時々お泊りもしてたんだよねっ♪」

 そうアカリに話を振られて、ニシキは「アカリがお化けが怖いって言うから、一緒の布団で寝たらおねしょされたりしたけどね」とさらりと流した。

「ひっどーい! あれは幼稚園の頃の話じゃ~ん!」


 あはははは! と一同に笑いが起こる。


「あ、俺さきにお風呂つかわせてもらっていいかな。バイトで汗かいちゃって、ちょっと背中かゆい」

 ニシキが一同に尋ねるとアカリがすかさず答えた。

「いいよいいよ~。あ、でも出るときお湯足しといてね。あとでぴりかと一緒に入ってお風呂エステするんだ♪」

「ん。じゃありがたく。おじさん、おばさん、お先にいただきます」

 ニシキはそういうと席を立ち、食べ終えた自分の食器を洗うと、着替えが入っていそうなエコバッグを持ってダイニングを出て行った。


「笹川くん、なんか慣れてるっていうか家族じゃん……」

 ぴりかがその様子にやや驚きをもってつぶやく。

「うん、ほとんど家族って感じだよね♪」

 アカリが無邪気にそれに答えた。


   ※


 先に風呂を使ったニシキが隣の自宅に戻り、アカリとぴりかは一緒にお風呂に入ることにした。

 北野家の浴室は、高校生の女の子が二人で入ってもまったく窮屈さを感じさせないくらいに広い。


「ふつうのお家のお風呂にしてはおっきいねぇ」

 ぴりかがアカリに頭皮マッサージをされながらうっとりと感想を述べた。

「うん。おじいちゃん、トシで身体が不自由だったからさ。みんなでお世話しやすいようにリフォームしたんだよ」

「それにしても浴室冷暖房にジャグジー機能までついてるなんて、ほんとぜいたくだよ~」

「いいっしょ、いいっしょ♪ ここで冷たいコーラをぐいっとやるともうサイコーなのよ。あ、コーラとってくるね」


 アカリがぴりかを残して湯舟から勢いよく一歩足を踏み出した瞬間。少しバランスを崩し慌てて傍らの手すりに掴まった。


「わ~、また助けられた~!」

「え?」

「いつもの。あの笛が聞こえたんでぱっと手すりに掴まったんだよね。残ったシャンプーで滑ってコケるとこだった」

「……笛、すごいね……」

 アカリだけが聞く“何か”が、ここでも彼女を助けた。

 あたたかなジャグジーにつかりながらも、ぴりかはぞくっとした。自分には確かに何の音も聞こえなかったのだ。


   ※


 風呂上り。

 アカリの部屋は、ピンクと白で統一されためちゃくちゃ女の子らしい空間だった。

 ベッドの上では、キャバリアスパニエルの「つや姫」が丸まってぐっすり寝息を立てている。

「つや姫~! ママ戻ってきたよ~!」

 アカリがいつもの調子で大げさに両手を広げてベッドにダイブしようと駆け寄った瞬間、寝ていたつや姫はぱっと目を覚ますとベッドから飛び降り、アカリも同時に飛び込むのをやめて踏ん張った。


「……もしかして、今も聞こえたの?笛」

「うん、それでつや姫をつぶさずに済んだし♪」


 アカリが当然のように受け入れている謎の現象。

 今まではそれを単純にアカリの勘違いだと流していたぴりかだったが、こうも立て続けに目の前で見せられると、なんともいえないもやもやが胸にわきあがるのだった。


 しかし、それでもお泊り会は楽しかった。

 お菓子をつまみながら二人の共通の推しアイドルのPVを鑑賞したり、女の子同士のお約束、ちょっとした恋バナなんかも飛び出した。

「ねえねえ、アカリが前に思い切ってメッセージ送るっていってた彼、あれからどうなった?」

「実はね、この前の球技大会の帰りにさ~、越中先輩のほうから告られちゃってぇ~♪」

「え? アカリの好きな人ってバスケ部の越中こしなかヒカリ先輩? 笹川くんじゃなくて?」

「へ? なんでニシキ?」

「いや、笹川くん、この家になじんでたからてっきり……」

「あはははは! ニシキは家族みたいなもんだよー。それより見てみて、先輩とツーショット撮ったんだ~」

「やだ、アカリいつの間に!?」


 こんな感じでわいわいキャッキャとおしゃべりして、気が付けば日付が変わろうとしていた。 

 ようやく、アカリたちがそろそろ寝ようと、ベッドの下にぴりかの分の布団を敷いていると突然、強い揺れが襲った。地震はその一瞬だったが、本棚の上に置いていた大きめの箱がアカリの頭を直撃した。


「いったぁ……」

「大丈夫? アカリ」

「うん……あれ?」

「どうしたの?」

 アカリは箱がヒットした頭をさすりながら、不思議そうに首をひねる。

「今さぁ、あーし危なかったわけじゃん? なのにあの笛、鳴らなかった気がする……。どゆこと?」

「さ……さぁ? 守護霊のおじいちゃんも夜遅いから寝ちゃってたのかもね」

「そっかー♪」 


  ※


 明かりを消してそれぞれの寝床に横になった二人は、そのあともしばらくは「余震きたらこわいね」などと言いつつ起きていたが、やがて、アカリはつや姫とともに寝息をたてはじめた。

 しかし、ぴりかは一連の出来事が気になって眠れない。

 ぴりかには聞こえない音で危険を察知するアカリ。でもさっきの地震の時、笛は鳴らなかったらしい。

 なぜ?まるで……なんだか……誰かが見張っているみたい。


「まさかね」

 自分の思い付きに内心(何をバカなことを)とツッコミをいれつつ、ぴりかはスマホのカメラを起動した。

 まず、傍らのローテーブルに置いてあったテレビのリモコンを手に取ると、カメラに向けてスイッチを押す。画面の中に、紫の火花みたいな光がバチバチと散った。「……見える。これでいける」

 そのまま部屋の中をゆっくりカメラを移動させながら眺めてみる。すると先ほど試したリモコンの赤外線ライトによく似た小さな明かりをみつけてしまった。

 最初に気付いたのは、棚の上に置いてある英和辞書の背。……白い点が、チカチカと脈打ってる。次は、コンセントの横に貼られた「かわいい猫のステッカー」それでも自分が見ているものが信じられないぴりかは、最初「充電中のLEDかな?」などと自分に言い聞かせようとした。


 ぴりかが試したのは、以前SNSで見かけた『スマホでできる簡単な隠しカメラの発見方法』だったのだ。


 他にもあかりのデスクの真上につるされている小さな気球の模型、クローゼットのドアの隅。続々と見つかる白や紫の”それらしき光”に呼吸が早くなった。

 ぴりかはそっと寝床から起き上がると、カメラを起動したまま部屋の外に出た。アカリの両親ももう眠っているらしい。

 静まり返った他人の家を探索するなんて、心臓が口から出てきそうなほどにどきどきして、呼吸もやたらに早くなる。

 廊下の窓やリビングのカーテンの隙間から漏れる街灯の光だけがほのかに床を照らす。よその家の静けさって、妙に冷たい。

 画面を覗き込みながら、壁際を這うように移動していく。部屋を出て最初に見つけたのは、リビングの棚の上に置いてある小さな観葉植物の鉢。……偽物の葉っぱの間で白い点が、チカチカと脈打ってる。次は、バスルームの脱衣場、バスルームの中も窓際のイミテーショングリーンの中にチカチカ。

 他にも玄関、廊下、階段、トイレまで可能な限り、家じゅうのこれという場所にカメラを向けて赤外線の小さな光を見つけ、息が止まる。手が震えて、スマホを取り落としそうだった。

「……こんなに、いっぱい……?」

 アカリは全部、見られていたのだ。


   ※


 お泊り会から何日か経った日の夕方。アカリがつや姫の散歩をしているといつものピピーッ!が聞こえてきた。地面を嗅いでいたつや姫もふいっと顔を上げる。条件反射で思わず足を踏ん張って身構えるアカリだったが、しばらく周囲を見渡して特に危険なことはないと確認すると首を傾げつつまた歩き出した。


 そんなアカリを物陰から見つめるぴりか。


「やっぱりそうだ……」

 ぴりかの手には銀色のホイッスル。震える手でそれを握りしめているところへ、背後から静かな声がかかった。


「……何してるの? 夢原」


 とっさに手の中の笛をポケットに突っ込んで隠すぴりか。

 でもニシキはもう見ている。

「あ、それ犬笛だよね。アカリんのわんこ、もう結構な歳だから反応薄かったでしょ。……どうしたの?」


 その言葉を聞いて、ぴりかの脳裏に稲妻が走った。

(この人……これが“犬笛だ”って見ただけでわかったの……? まさか……)


「この間も、夜中に他所の家の中をスマホかざしてうろうろしていたよね。あれは隠しカメラの赤外線を探していたのかな?」


 ――もうごまかしきれない。ニシキはあの夜、家じゅうを捜索していたぴりかのことも見ていたのだ。


「じゃあ、やっぱりアカリが聞いていた笛の音って笹川くんが吹いてたの? 何のために!?」

「笛?」


 意を決して切り込んだぴりかの問いに、ニシキはすっとぼけたような薄い笑みを浮かべながら問いかえす。


「さっき試して確信したの。アカリは犬笛を聞くことができる。いっしょにいたつや姫も反応してたから音は確実にアカリまで届いてたってことでしょ」


 ぴりかはニシキの冷たい視線に負けまいと声を張った。


「ああ、あれはね、つや姫を飼い始めたころに犬笛を試したら、アカリが聞き取れることがわかってたんで……アカリは飽きっぽいからすぐに笛は使わなくなっちゃったんで忘れてるみたいだけど」


 悪びれる様子もなく白状するニシキをぴりかは睨みつけた。


「――夢原って、アカリの友達にしとくのはもったいないくらい冴えてるね」

「笹川くんこそ、なんでこんな……ストーカーじゃん、まるで。もしかしてアカリが越中先輩にとられたのに腹立ててるとかなの?」

「越中ぁ……?」

 

 一瞬、ニシキはなんのことだかわからないようにぽかんと口をあけかけたが、すぐに言われた意味を理解したらしく、くっくっと喉で笑った。


「……越中のこと? あれはアカリの“生活”の話だよ。俺はアカリ自身を、“命”の方を守っている」

「は?」


 ニシキの放った言葉が完全に予想外で、ぴりかの思考がフリーズする。


「……昔ね、まだ俺が小さかった頃さ。

 アカリが滑り台の階段の手すりをくぐって落ちて大けがしたことがあったんだ。

 俺、止められなかった。

 そのとき俺が泣きじゃくってたら、アカリのおじいちゃんが頭に手を置いてさ——

『お前のその気持ちがうれしいよ』って言ってくれたんだ。

 ……でもそのあと続けたんだよ。

『お前がいくら見張っても、あの子は聞いちゃいない。だから誰にも気づかれない場所で、命だけ守れ』 って。

 古い約束を守ってる、それだけなんだ。だからアカリを守るのは、俺の役目だ」


「でもっ……! 頼まれたからって、陰から見張るなんて。――注意するだけならアカリ本人に言えばいいじゃない! ごはん食べたりお風呂つかったり、ほとんど家族みたいに暮らしてるんだし」


「――言ってみなよ。『ずっと監視してるから安心して』ってさ」


 ニシキの突き刺してくるような言葉にぴりかは返すすべを見失った。


「夢原はどうなの?

 家族でもない人間が四六時中張り付いているなんて知ったら気持ち悪いだろう?

 でもね――君も知っての通り、アカリのおっちょこちょいは常人レベルを突き抜けているから。“普通”じゃ守れないんだよ」

「それにしたって”犬笛”なんて……」


 ぴりかが力なく抗議する。ニシキは、少し宙を見つめるようにして語りだした。


「俺はね、アカリを縛りたくないんだ。あの子には自由でいてほしい。なのに俺がいちいち傍でつきまとって『そこ、危ない!』『ここ、気をつけて』なんて声をかけ続けたらアカリは俺のことをうざったく思うようになるかもしれない。それか、逆にあいつ、義理堅いところがあるから変に恩義を感じたりして……まあ、どっちみち今までの関係じゃいられなくなると思うんだ」

「だから、アカリにも誰が忠告しているかわからないように、あの子以外には聞こえにくい犬笛で助けているの?」


 ぴりかの言葉に、ニシキは視線を足元に落とした。

「……僕は“家族”じゃないんだよ。だから、誰にも頼らない方法で守るしかなかった」

「……理解できない。ううん、理解はできるけど共感したくない」


 それを聞くと、ニシキはやや意地の悪そうな笑みを浮かべてぴりかの方を見た。

「ねえ、夢原。君だって逃げてるくせに?」

「なんのこと?」

「隠しカメラのことや、犬笛にまでたどり着いてるのに、君はアカリにも、おじさんおばさんにも何も言わなかったんだね。」


 ある意味、一番痛い部分を突かれてぴりかはうろたえた。

「それは……! どう伝えればアカリを傷つけずに済むかわからないからで……」

「いいね。そういう気遣い、感謝してるよ。そして、今のところ俺と君は共犯者だ」


 ニシキはにやりと笑ってそう言うと、足早にアカリの後を追って去っていった。これ以上なすすべのないぴりかはその背中を見つめながら、ポケットの中の犬笛を握りしめた。


    ※


「ぴりか、おはよ~♪」「おはよう、アカリ」

 いつもの朝、いつもの登校途中、いつものコンビニの角で合流したアカリとぴりかは、これまたいつものように昨日の宿題の愚痴や、推しアイドルのコンサートチケット獲得の相談などをしながら、二人、のろのろと学校に向かっていた。

 いつもの、本当にいつも通りの平和な日常。

 ――えてして事件はこういう時に起きる。


 アカリが気づいたときには、誰かにおもいっきり突き飛ばされて体感3メートルは吹っ飛んでアスファルトに叩きつけられたし、そばにいたぴりかもその巻き添えを食って、やはり同じくらい吹っ飛んで同じようにアスファルトに尻から着地した。そして、それらとほぼ同時に、何か大きな金属がひしゃげる破壊音が響き渡った。


 居眠り運転の軽トラックが通学路に突っ込んできたのだった。

 通学路に沿った低い石垣に突っ込んだ軽トラはフロント部分がくしゃくしゃに潰れていたが、運転手はなんとか生きているようで、駆け付けた大人たちが救急車や110番を呼んでいた。


「……アカリ、大丈夫?」

 ぴりかがよろよろと起き上がりながらアカリに声をかける。

 アカリはぴりかよりもダメージが少なかったようで、その場に座り込んだまま、ぽかんと口をあけてつぶれた車と……その近くに倒れているニシキを見比べていた。

 ぴりかもすぐにそれに気づく。


「ニシキ!! 大丈夫!?」

「笹川くん!」


「……だいじょ……ぶくないかも。右足がすげー痛い」

 そんなニシキの様子を見て、折れているかもしれない、と応急処置をしてくれた通りがかりの人が言った。


「ニシキが助けてくれたの? あーしら突き飛ばして?」

 腰が抜けたままのアカリがにじり寄ってニシキに尋ねる。

「………」

 だが、ニシキは答えない。

 ぴりかには今のニシキの胸中がわかっていた。アカリに恩を売りたくない、アカリは自由でいてほしいと言っていたニシキのことだ、ここでアカリを(ついでにぴりかも)身を挺して助けてしまったことを認めたくはないのだろう。


 ほどなく、救急車がやってきた。

 ニシキはストレッチャーに乗せられる前にこっそりぴりかに声をかけた。

「これ、頼む。俺が退院するまでかわりにアカリを……」

「……地震の時は鳴らなかったのに」

「俺でも気づけないときもある。災害とか……さっきの事故とかも。だから……俺がいない間、頼んだ」

 そう言って、ぴりかの手に自分のホイッスルを握らせる。


「え、まって、あたしは……!」

 すぐに返そうとしたが、ニシキはそのまま救急車へと運ばれて行ってしまった。

 ニシキの乗せられたストレッチャーを追い越すようにアカリが駆けて行く。

 その先にはアカリの彼氏の越中先輩が心配そうに立っていた。

「越中せんぱーい! 聞いて~! あーし、あやうく異世界転生しちゃうとこだった~」


 能天気なアカリの後ろ姿に、ぴりかはそっと犬笛を吹いた。アカリは一瞬立ち止まり、不思議そうに振り返ったが、すぐまた彼氏の元へと駆けていった。


「……これでいいの?」

 ぴりかはストレッチャーのニシキに目で問いかける。


 救急車の扉が閉じられる直前、ニシキはほんのわずかだけ口元をゆるめ、胸の前で親指を立ててみせた。


 強がりでも、安堵でもない。

 ただ――その役目を託したという印のようだった。


(了)

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ピピーッ!ピピーッ!~恋じゃない。たぶん執着。 純友良幸 @su_min55

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