第6話
多い時で、週に一度。
二日、三日しかない短い勤務時間の中で、雪乃はよく連絡先を渡されていた。
顔の良さというよりは、人当たりの良さ。さらに言えば、大人しそうで清楚な若い子というだけで一定の好感を得ていたようだ。
ただでさえ狭い田舎町。出会いの少ない男達からしたら、格好の獲物だったんだろう。
「……なんでお前、連絡送ってこないん?」
「え?」
「一週間に渡したんだけど!おかしいだろ」
理不尽に絡まれることもあり、その度に浅く頭を下げて乗り越えていたという。
「大変だったね、田村さん。大丈夫?」
「……はい」
「今度から、俺に言ってよ。守るからさ」
「……はい」
田村を狙うのは、何も客だけじゃなかった。
当時、二十代半ばだった社員の男も、密かに口説いていたらしい。本人は隠しているつもりだが、周囲から見たら好意があるのはバレバレだったと後藤は呆れて話した。
田村自身は男が苦手なのか、はたまた別の意図があったのか。心を開いている様子はなく。
「……後藤さん、助けて」
むしろ、同性であり教育担当を担っていた後藤にはよく懐き、慕っていた。
無口故に話しかけても「はい」か「いえ」しか言わないような彼女だが、休憩時間に後藤と会えばにこやかに会話を重ねた。
悩みを打ち明けることもあり、大抵は仕事に関するミスへの反省点などであったが、時折客からの口説きが困るという話もした。
「いいじゃない、若いんだから。良さげな男と付き合えば?中にはいるでしょ?この人いいなって人も」
「……いないです」
「やだやだ。理想が高いの?選り好みしてると、婚期逃すよ〜?」
「……結婚するつもり、なくて」
ある時。
「男性に頼らないで、ひとりで生きていきたいんです」
田舎の女にはあまりない結婚観を、吐露した。
彼女が言うには、自分には恋愛は向いていない。だから、結婚は諦めているという。
「な……なんでよ。あんたは顔もかわいいし、良い子なんだから。その気になればすぐできるよ」
「そう、ですかね」
「そうよ!試しに、男とデートしなさい!何事も経験!ね?」
「うぅん……」
本当は、乗り気じゃなかったんだろう。
曖昧な返事ではあったが、日頃お世話になっている意識があったためか後藤の後押しをきっかけに、田村は身近な相手とのデートを決めた。
以前から好意を見せていた社員の男――中野の誘いに応じて、休日にドライブをした、と。後日、報告を受けた。
「どうだった?実際、デートしてみて」
「……もう二度としたくないです」
結果は、惨敗。
理由を聞くと、真っ先に出てきたのは「試されている気がして嫌だった」で、他にも色々と不満があったようだ。
デート内容はごくごく一般的なもので、ドライブの後に食事というシンプルなものでもあった。
「何がそんなに嫌だったの?」
「サイゼに行ったんです」
「えぇ!?初デートでサイゼ?それは無いわぁ……」
「あ。いや、それはいいんですけど」
問題は、会計時。
デートの作法なんて知らない田村が、自分の分は自分で出そうと財布を出したら、「合格」と小声で耳打ちされたらしい。そして、三千円のうち二千円を支払い、多く払ったことにも満足げに頷いていた。
この時点で、後藤からしたら恋人候補から除外されるほどの行為だったが、恋愛に疎い田村は「こんなもんなのか」と肩を落とすだけで終わった。
「あと、なんか……「自立しない女ばっかりだけど、君は違う。俺に相応しい」みたいなことも言われて」
「やば。きしょ。何様だよ、あいつ」
「上から目線?なのが、すごく……嫌で」
「そりゃあ、嫌よ!ありえないわ」
軽率に勧めてしまったことを反省し、その対応は本来のデートとはかけ離れているから安心してと伝えた。
「次はさ、もっと頼りがいのある男にしなさいよ。あんたなら、他にいい男いっぱいいるから」
「うぅん……もう、いいです」
「たった一回で諦めないの!」
「どっちかって言うと、私は後藤さんとデートがしたいです」
しなやかな肌が、手の甲に置かれた。
冗談のつもりなのか、本心なのか。危うい言動に、後藤は思考を止める。田村は、探る視線で後藤の瞳を見つめていた。
まだ十八そこらの女に、動揺させられるなんて。一種の屈辱でもあった。
「な、なーに言ってんの。女相手に、変なこと言うんじゃないよ」
冗談めかして、距離を取る。肩を弱く叩いたら、くしゃりと砕けた笑みでおちゃらけていた。
なんだ、ただのおふざけだったか。と、安堵する。心の隅では、どうしてか少しの落胆が顔を覗かせたが、目が合わないよう意識をそらした。
まさか、同性から口説きにも似たことを言われるなんて。想定外故の、揺らぎ。
鼓動の乱れに言い訳をつけて、なんとか納得した次の出勤日。
「――辞めた?」
田村は、忽然と姿を消した。
「急に電話が来たんだよ、昨日」
退職理由は、引っ越し。親の都合で、急遽地元を出ることになったんだとか。
予定していたシフトの穴を埋めるため、忙しなくなった1ヶ月のおかげで気は紛れたものの、後藤の頭からは触れた手のひらの感触が消えていなかった。
責任感のない、気まぐれな女。
抱いていた好意は、沸々と悪意へ変わる。あんなにも可愛がっていたのに。可愛がっていたからこそ、挨拶もなく離れてしまった不誠実さが鋭利に胸を刺してくる。
「二度と許さないよ、あの女」
話し終えてからも、後藤は恨みを込めて吐き捨てた。
その姿はまるで、失恋した瞬間に掌を返して相手の悪口を愚痴る女友達と同じだったと、船崎は感想を抱く。
おそらく、無意識に彼女は堕ちていたんだろう。
田村雪乃の魅力に。
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