第拾参話『大系から個へ・全体から断片へ 中心か?外縁か?』─勝者は常に分散する

随分と話し込む仲になったため、今日はBの家にきている。その環境に対しては諸々言いたいことがある。まず、本棚。なんだこれ。

部屋の一角を占める巨大な本棚は、まるで知の壁のようにそびえ立っている。天井近くまで届く木製の棚は、温かみのある茶色で統一され、整然とした秩序を保ちつつ、無数の背表紙が色とりどりのリズムを奏でている。棚にはマンガ、ライトノベル、小説、資料集などがぎっしりと詰まっており、棚の高さに応じて、サイズやジャンルである程度整理されているようだ。

モジュール分割だ、しかも壁面からしてフルハイト仕様で、建築構造の一部と化している。

怖い。一部の棚には美しく並んだ同シリーズの巻がずらりと並び、蔵書の深さと執念を感じ

させる。だからこそ目立つ。青の多さ。そしてその次に黄背、そして砂色背表。本棚はその人の人生を表す、という言説をどこかで読んだことがあるが、案外そうなのかもしれない。というかBの場合はそうといっていいだろう。そんな中、とりわけ目立つ本が数冊ある。

「歴史的意識の変遷を読み解く図像解釈学」

「応用心理学⑧ 極限状態における心理変化の考察」

おいおい、マジかよ。これ、民明書房超えてるだろ。

そして改めてSF書籍に戻り、その棚から二冊、選び取る。

A「二冊、ちょっと読んでみたい本があるんだけど、借りていい?」

B「いいわよ。お好きにどうぞ。」二冊借りる。

それはそれとして、もっと驚くのは圧倒的な林檎デバイスの多さ。パソコン三台にタブレット二台に加えて、スマートフォン二台。そして手元の腕にはなんと電子時計。その統一さはもう一周回ってそうでしかないと思う。おそらくOSのバージョンや用途を分けて同時運用。1台はコード用、一台はオーサリング(映像・音響)、一台は検証環境といったところか。

しかし疑問なのは、日常的に、あまりそれらを見せてない。ということだ。もちろん適材適所。と言えば終了だが。そしてリビングには85inchの液晶が待ち構えていた。そして部屋脇には、いわゆる「円盤」が並んでいる。

配信で鑑賞できる時代に律儀だなとは思う。そんなことを思って見ているとBが話しかけてきた。「ちょっときて。」言葉、身に流れるままついていくと、一室に入った。そこにはワークステーションが主張。もはや何も言えない。異様に暑い主因はこいつか。

ここまでくると、なんかもう、世界を変える時、制服の襟元から始まる─そんな感じだ。

そういえば、この前「文化祭PVはUE5で作るわ。」とか言ってたな。DaVinci Resolve Studioとか諸々使ってそう。

「はい、ここまで見てきた感想を」

急に振られても、という感じではあるが、ひとまず「財力」と答えた。

「そんな、Aは「パターンしか喋らない人」じゃないはずよ。もっとこう、なんかないの笑」「ギギ・アンダルシアかよ」「『閃光のハサウェイ』は名作だが。そのチョイスは正しいけど、どうして今。」

「本当にわからないの?特大級のヒントなのに」「うん、そのつもりでも、流石に飛躍してるよ」

「わかった、じゃあ、こういえば伝わるかな。OS」極端だ。しかし分解すれば最初に目にした林檎、そして馬鹿でかい液晶、ワークステーション。これらを分解すれば系統的にある一つの線が見える。それ、すわなち「ああ、UNIX, Linux」ってことか。「そう。そこです。」今時何をご高説なるものか、と思うのだが。そこは想定済みと言わんばかりに、「中央集権 vs 分散、自律性 vs 制御の論理的思想的モデル、面白いと思わない?」「誰が支配するか」ではなく、「どう分散されるか」その思考実験として最も適しているのがこの議題なの。そしてそろそろ教えてあげてもいいかなって思っているから言うけれど、私の思考は基本的に「構造系」なの。

もっと平たく言えば「テーブル型」なのかな。テーブルに何が乗っかっているか?というのは本当にどうでもよくって、まずそのテーブルがなぜ存在しているのか。それを第一条件として考えることを軸にしている。言い換えると「世界はどう動いているのか」ということなの。」

人の思索を気にしたことはない。しかしテーブル型。なるほど。SFを好むわけだ。

「そうか、つまりBはSFと歴史を押さえた上でそれを脳内でミキサーをかけている。

「外挿」としての「不確実性だが推測できる未来」と「絶対的不可逆性」の塊である「歴史」を混ぜることで、一種の構造型のフェルミ推定的な事象を導く、と言うよりも編み出しているということか。いつぞやの「経済とSF」の話が懐かしいよ。場にはいなかったけどね。」


「いつの時代の話をしているのかしら〜かしら、かしら」

A「ご存知かしら」とすかさず。今の時代に『少女革命ウテナ』を「NullPointerException」のノリで放言として出るとは普通ない。とか思っていると急に詠唱を始めていた。


「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。我らが雛で、卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。」


随分決まっているな。まぁ一人で演じているところが面白いのだが。と、見ていると、「もうUNIX, Linux話終わったんだけど」といってきた。どこにそんな説明があった?

「鈍感ね。これだから、メタファー感性が疎い人って「パターン」でしか喋れないことが脱色しきれていないのよ。」「どういうこと?」。間をおいて呼吸をおいてBは語り始めた。

「まぁ個人的世界にのめり込みすぎた言い方だっかかもな〜」「いい、『ウテナ』のあのセリフが全てなのよ「UNIXは秩序であり、世界であり、殻そのもの。Linuxはそれを内側から破ろうとした革命の雛。GNUはその精神的下地。そして、リーナス・トーバルズやリチャード・ストールマンは、「王子様」であろうとした者たち。そして我々(ユーザー)は、殻を破りうる自由の主体=世界を革命する力の担い手。つまり!「誰か」に「革命」してもらうのではなく、世界を革命する力はあなた自身というウテナのメッセージは、オープンソース精神と同期する。

まさしく、《世界を革命する力》というわけよ。よろしくって?」


心底思った。正直、論理とか理屈とかの感性じゃないだろそれ。

完全に跳躍しようすぎて。凡人には理解できない。

実はBの頭の中のOSは「Macintosh」でも「Windows」でもない特殊OSだろ。

「うん、それ、普通はわからないから」と返す。微妙に凹んでいるが、それ、同じOSを所持している人以外には暗号でしかないから。

気を取り直したBが今度は雄弁に語り始めた。「まぁ普通に話したほうがいいわね。見なさい」

ターミナル風のエディタを眺めながら語る。圧倒的に。「Linuxって、結局、生まれ直したUNIXなんだよね。UNIXは権威、Linuxは解放……って言えば聞こえはいいけど、中身は、思想とコピーライトの戦争だったりもするの。結局、どこまでいっても蟻地獄。希望なんてないわよ。少なくとも南カリフォルニア州のパロアルトには!!」A「でも、実際使っている側からすると、そんなのあんま関係ない気もするけど……」。うんうんと頷くB。そして「うん、だから面白いの。理念としては自由のOSだけど、現実にはどれが動くかっていう適合のゲームになる。

ほら、創造者の理想って、いつか模倣者たちの現実に飲まれるじゃない?

A「ジョン・サッター?」

「古すぎだわ、ブレーズ サンドラールの『黄金』の読了、いつだったか。流石に説明が必要だ。」


※ジョン・サッター…カリフォルニア・ゴールドラッシュの発端を作った男。金の発見者の地主なのに、結果的に全部持っていかれて破産した、歴史上でもっとも気の毒な先駆者の一人。


まぁでもゴールドラッシュの犠牲者を挙げたのは半分正解ね。なんせ「IT」は誰にも使用できて、規制のない新技術という側面を通すことで、「二一世紀のゴールドラッシュ」という置き換えというのは散々言われてきた。それを「虚業」と評したセリフがあるのがドラマ『ハゲタカ』の鷲津。」「鋭利なナイフやめろ、それをいうなら、「我々にはプラダフォンがある」だろ」

B「許してやれよ、Xperiaがあるんだから」理不尽なこの封殺。

しばらく沈黙が続きBは口を開けた。「ま、とにかく歴史を踏まえた大局観の重要性というのは重要、という話。UNIX/Linuxの歴史を振り返ると、当初は巨大ベンダーによる専用機(ハードウェア+商用UNIX)が主流だった。しかし、汎用PC+オープンソースLinuxの登場が技術革新のスピードと普及率を劇的に高め、既存の専用ベンダーが立てた壁を突破した。これは言い換えるのであれば「スプートニク的ショック」がいつ起こり得るか?という話なのよ。ある時点までは既存の大手が先行しているかに見え、社会も「そこが勝ち続けるだろう」と思っている。しかし、ブレイクスルーが起きた途端に、それまでの「前提」がくつがえされる可能性がある。UNIXの場合、最初の一歩こそ良かった。しかし、商用ベンダーが独自拡張を重ね互換性を失ったうえに高額で販売されたため、大衆的・世界的な普及のブレーキになった。その間にパーソナルコンピュータ(x86アーキテクチャ)の低価格化」と「オープンソースとしてのLinux」が合体することで、誰でも安価に使えるUNIX互換OSが普及。だから、専用ハードウェア+商用UNIXではなく、汎用ハードウェア+無料Linuxが急速に広がり、サーバ/クラウド市場を事実上席巻した。

圧縮して形容すれば、これ、「クローズド大規模VSオープンソース」ってことね。

A「でもBが好んでいる林檎デバイスはUNIX仕様をベースにした改良型だよね。」

B「別にそういう歴史があるということと、それを使わないといけないは=ではないでしょう。使いやすいものを使っているだけで。あれらの基盤となったDarwinの流れには、主にMachカーネルとBSD系はNeXT STEPでのBSD利用から始まったものだし、当時、ジョブズ不在に次期OS開発(Copland計画)が頓挫しかけた中、AppleはNeXTを買収し、NeXT STEPの技術を新たなMac OSに取り込むことを決断できたからなんだよ。色々あってRhapsodyからMac OS Xへと転化したという経緯がある。そこから更にDarwinを土台として、Cocoa

などGUI部分を加えた形で提供されたが結局今もDarwinは健在なんだよね。

「BSD由来のユーザーランド」にはじまり、独自にGUIレイヤーと、グラフィックスAPIを接合しているからこそ、「BSDの系譜+Mach」を取り込んでハイブリッドな形で発展した。

だから使っているわけ。なによりも、堅牢性と使いやすさの相反するものが集約しているし。そしてこれは長年培われたUNIXの安定した設計と、ハード・ソフト一体でユーザー体験を磨き込むApple流のアプローチ。だからAが「どうして林檎商品なのか?」という問いを私に問うているのであればそれは─私は合理性で選ばない。美しさと、直感と、運命で選ぶからだ。そしてそこにあるのは、徹底的した「生存戦略」という意志。「ピングドラム」が世界を変える力を持っていた。そして、ジョブズもまた「もう一つの選択肢」としてThink Different.を

提示した。流石に知っているわよね?、私はこの二つを合わせてこう言いたい。」


「世界を変えたいなら、まず林檎を齧りなさい。それが──あなたのiDestiny(運命)」


そして、さっき唐突に振ったと思っているであろう『ハサウェイ』も実は言い換えの比喩なの。

UNIXのケネスは、時代に抗いながら秩序を守り、Linuxのハサウェイは、正統の血を引きながらも世界を変えようとし、Raspberry Piのギギは、思想も秩序も飛び越えた先にいる揺らぎそのもの── 思想・立場・構造が違うだけで、相互に影響し、転倒し、相対化されていく。

ハサウェイ的に還元すればこれは「カーネルが悲鳴をあげている。旧秩序の中で処理できぬ例外が、生まれた。それがマフティー。だから世界は再起動されねばならぬ。シェルを開け、

真実のコマンドを打ち込め。お前自身が──このシステムの、新しい起動理由だ。」

A「ま、技術史や成り立ちもいいけど、現在ある技術そのものを注視する方がいいけどね。」

やはり特殊OSの担い手は思考回路が全然違う。通常の思考回路ではない。

しかしなぜ人は林檎にこだわるのか?という問いの一貫に触れられた気がする。

そして、Bは言わずとも汲み取れという顔をしている。この流れでこれまでの会話にもそれに対する迂遠的なメタファーがあることは感じた。

今回自分が得た教訓は二つある。

【第一】

ウテナもハサウェイも、「再構築者の物語」。体制の外ではなく、内側でコードを書き換える。

UNIXの理念を知り、しかしあえてLinuxとして書き換える。システムの花嫁(アンシー)を、コードの自由(ギギ)として取り戻す。革命は、剣ではなくコマンドラインで行われる時代。

【第二】

UNIXという殻の中で、自由なOSは眠っていた。

GNUがその魂を宿し、Linuxという名前の雛が、秩序にひびを入れた。

卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。

我らが雛で、卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。

UNIXの殻を破壊せよ。GPLは剣だ。

あなた自身が、世界を革命する力。

Music By. 光宗信吉『光さす庭』


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