第15話
トラブル? 秒殺ですが何か
『Dining Bar AOTA』の夜は、今宵も熱気に包まれていた。
BGMは静かなジャズだが、カウンター周りの温度だけが異常に高い。
「龍魔呂様……今日は視線をくれませんの?」
「……チッ(舌打ち)。忙しい。邪魔だ」
「きゃああっ♡ 邪魔ですって! ゾクゾクするわ!」
龍魔呂の塩対応に、M属性を開花させた貴族令嬢たちが身悶える。
完全にカオスな空間だが、売上は絶好調だ。俺は厨房で『自家製スモークチーズ(桜チップ燻製)』を切り分けながら、平和な時間を噛み締めていた。
――だが、「光」が強ければ「影」も寄ってくる。
特に、アルコールを扱う場には、招かれざる客も現れるものだ。
バンッ!!
重厚な扉が乱暴に開かれた。
入ってきたのは、貴族ではない。革鎧を着込み、大剣を背負った大男だ。
顔は赤く、足元はおぼつかない。明らかに他所で飲んで酔っ払っている。
「おい! ここが評判の店かぁ? 酒だ! 一番強いの持ってこい!」
男が土足でピカピカのフローリングを踏み荒らし、大声を上げる。
優雅なジャズの空気が一瞬で凍りついた。
「あ、あの……お客様……」
ホールにいたルナが、おずおずと近づく。
男はルナを見ると、下卑た笑みを浮かべた。
「おっ、上玉のエルフじゃねぇか! へへっ、酒より先にこっちを味わうか?」
男の太い腕が、ルナの細い手首を掴んだ。
「ひゃっ!?」
「こっち来いよ姉ちゃん! 俺様の相手をしてくれれば金貨一枚やるぜ?」
「い、痛いです! 離してください!」
ルナが涙目で抵抗するが、男は離さない。
ニャングルが青ざめて駆け寄ろうとするが、男の背負った剣を見て足がすくんでいる。
客の令嬢たちも、怯えて悲鳴を上げている。
「きゃっ! 野蛮な冒険者よ!」
「誰か衛兵を……!」
厨房にいた俺が、クロスボウ(護身用)に手をかけた、その時だった。
カラン……。
カウンターの中で、氷がグラスに落ちる音が響いた。
一瞬の静寂。
――ザッ。
男の視界から、世界が消えた。
いや、黒い影が視界を覆い尽くしたのだ。
「……あ?」
男が瞬きをした時には、目の前に漆黒のタキシードを着た男――龍魔呂が立っていた。
カウンターから入り口まで、距離にして10メートル。
それを、音もなく「瞬間移動」したかのような速度。
「おい……この手を離せ。俺の獲物だ」
「あぁ!? なんだテメェは! ただの酒作りが粋がってんじゃ……」
男が龍魔呂を殴ろうと拳を振り上げた、その刹那。
バキッ。
「ぎゃぁぁぁっ!?」
男の悲鳴が店内に響いた。
殴られたのではない。
振り上げた拳の「小指一本」を、龍魔呂に逆に捻り上げられたのだ。
「痛い痛い痛いッ! 折れる! 指が折れるぅぅ!」
「……静かにしろ」
龍魔呂は表情一つ変えず、男の耳元に顔を近づけた。
まるで愛を囁くかのような距離。
だが、そこから放たれたのは、絶対零度の殺気だった。
「ここは酒を楽しむ場所だ。犬が吠える場所じゃない」
ミシミシッ……。
さらに指を絞り上げる。
男は激痛と、本能が告げる「死」の恐怖に、顔面を蒼白にしてガタガタと震え出した。
「た、助け……!」
「それと」
龍魔呂は、冷ややかな視線で男の足元を一瞥した。
「店を汚すな。……掃除が面倒だ」
ドォンッ!!
龍魔呂が軽く――本当に軽く、掌底を男の腹に当てた。
それだけで、男の巨体は砲弾のように吹き飛び、開いていた扉の外へと放り出された。
夜の街路に転がる男。
彼は恐怖のあまり、股間を濡らして気絶していた。
「……チッ。二流が」
龍魔呂は懐から出したハンカチ(通販のシルク製)で手を丁寧に拭くと、それをゴミ箱に捨てた。
そして、何事もなかったかのようにルナに向き直る。
「……おい、ルナ。怪我はないか」
「は、はいっ! 龍魔呂さん……!」
「なら仕事に戻れ。オーダーが溜まっている」
龍魔呂はくるりと背を向け、カウンターへと戻っていく。
その背中。
圧倒的な暴力と、身内への不器用な優しさ。
シーンとしていた店内が、次の瞬間、爆発した。
「キャァァァァァァッ!!」
令嬢たちの黄色い悲鳴だ。恐怖ではない。歓喜の悲鳴だ。
「見た!? 今の見た!?」
「一瞬だったわ! あの太い腕を小指一本で!」
「『店を汚すな』ですって! なんてクールなの!」
「私を守って! 私も襲われたら助けてくれるの!?」
龍魔呂の株が、ストップ高まで跳ね上がった。
ニャングルが涙を流して拝んでいる。
「あ、ありがたや……! 家具も壊さず、客も守って、さらにファンを増やすとは……龍魔呂はん、あんたこそ接客の神や!」
俺は厨房で、切っていたチーズを口に放り込んだ。
「……トラブルすらショーに変えるか。本当に、恐ろしい男だ」
『Dining Bar AOTA』の伝説は、こうしてまた一つ積み上げられた。
そして、その噂を聞きつけた「本物のVIP」が、近づいていることを俺たちはまだ知らなかった。
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