第12話

殺人鬼、シェイカーを握る

 『Dining Bar AOTA』の開店を数時間後に控えた店内。

 カウンターの中で、異様な光景が繰り広げられていた。

「……おい、優也。これは何の拷問だ?」

 漆黒の高級タキシードに身を包んだ龍魔呂が、首元の蝶ネクタイを苦しそうに引っ張りながら唸る。

 オールバックに固めた髪。鋭い眼光。そして溢れ出る「カタギじゃない」オーラ。

 どう見てもバーテンダーというよりは、「裏社会のフィクサー」か「ラスボスの側近」だ。

「拷問じゃない、特訓だ。お前のその手は、今日から敵の骨を折るためじゃなく、客の心を酔わせるためにある」

 俺はカウンターの上に、ネット通販で取り寄せた『業務用カクテルシェイカー(ステンレス製)』を置いた。

「いいか、バーテンダーの基本はシェイクだ。この中に氷と酒を入れ、空気を混ぜ込むように振る。やってみろ」

 俺は見本を見せた後、龍魔呂にシェイカーを渡した。

 龍魔呂は不承不承といった様子で、それを巨大な手で掴んだ。

「……こうか?」

 グシャァッ。

 嫌な音がした。

 龍魔呂が軽く握っただけで、ステンレスのシェイカーがアルミ缶のようにひしゃげ、スクラップの塊になった。

「…………柔いな」

「柔いんじゃねぇ! お前の握力がゴリラなんだよ!」

 俺は頭を抱えた。

 やはり、DEATH4に繊細な作業は無理だったか?

 いや、諦めるのはまだ早い。こいつの身体能力は異常だ。使いこなせば化けるはずだ。

「龍魔呂、イメージを変えろ」

 俺は新しいシェイカー(予備)を渡しながら、彼に分かりやすい言葉を選んだ。

「そのシェイカーを『敵の首』だと思え」

「……首?」

 龍魔呂の目の色が少し変わった。

「そうだ。力任せに握り潰すんじゃない。一瞬の衝撃で、痛みを感じさせる間もなく意識を刈り取る……『瞬殺』のイメージだ」

「……なるほど。打撃ではなく、浸透勁(しんとうけい)か」

 龍魔呂が納得したように頷く。

 彼はシェイカーを構えた。

 その立ち姿から、無駄な力が抜ける。まるで、居合の達人が刀に手をかけた時のような静謐な空気が漂う。

「……フッ」

 龍魔呂の手が動いた。

 いや、動いたように見えなかった。

 ヒュンッ!!

 風切り音すら置き去りにする速度。

 俺の動体視力でも、腕が何本にも増えたようにしか見えない。

 カシャカシャという氷の音ではない。

 『キィィィィィン……』という、高周波の金属音が響き渡る。

「な、なんや今の音!? 耳がキーンてなるわ!」

 フロアで開店準備をしていたニャングルが耳を押さえる。

 ルナに至っては、あまりの速さに目を回して気絶しかけている。

「……ふぅ」

 数秒後。龍魔呂が動きを止めた。

 シェイカーの表面には、びっしりと霜が降りている。

 俺は恐る恐る中身をグラスに注いだ。

「こ、これは……」

 液体が出てこない。

 いや、液体なのだが、まるで霧(ミスト)のように白濁し、グラスの中で対流している。

 氷が砕けたのではない。氷と酒が、超高速振動によってナノレベルで融合しているのだ。

【スキル覚醒:高速振動(ソニック・シェイク)】

【効果:素材の分子結合を一時的に解き、極限まで滑らかにする】

「……飲んでみろ」

 俺は震える手でグラスを煽った。

「――ッ!?」

 衝撃だった。

 アルコールの角(カド)が完全に消えている。

 舌の上でトロリと溶け、喉を通り過ぎた後に、芳醇な香りが爆発する。

 これは酒じゃない。「飲む麻薬」だ。

「……どうだ?」

「天才だ。お前、才能あるぞ」

 俺が称賛すると、龍魔呂は少しだけ口角を上げ、自身で作ったカクテルを一口飲んだ。

「……マズい」

「は?」

「甘さが足りん。角砂糖を入れろ」

「入れんな! お前の舌は基準にするな!」

 俺は慌てて止めたが、技術的な問題はクリアだ。

 むしろ、この技術は俺の料理にも応用できるかもしれない。

 ◇

 その時、ルナがフラフラとカウンターに近づいてきた。

 彼女の視線は、カクテルではなく、タキシード姿の龍魔呂に釘付けだ。

「あ、あのぉ……龍魔呂さん……」

「……あ? なんだ」

 龍魔呂が蝶ネクタイを緩めながら、気だるげに振り返る。

 その仕草。

 鋭い眼光と、乱れた黒髪。そして滲み出る「危険な男」のフェロモン。

 ブーッ!!

 ルナが鼻血を噴水のように吹き出して倒れた。

「ちょ、お嬢様ァァァ!? 大丈夫でっか!?」

「き、刺激が……強すぎますぅ……ハキュゥ……」

 ルナは幸せそうな顔で気絶した。

 ニャングルがそれを介抱しながら、ニヤリと笑う。

「社長……これはイケるで。この色気、貴族の奥様方が見たらイチコロや。酒より先に、龍魔呂に酔い潰れよるわ」

「ああ。間違いなく『夜の帝王』になるな」

 俺は確信した。

 この店は、ただのバーではない。

 最高の酒と、最強のホスト(元殺人鬼)がいる、魔窟になるだろう。

「よし、準備は整った!」

 俺はカウンターの中に立ち、全員に告げた。

「これより、『Dining Bar AOTA』を開店する! ルミナス帝国の夜を支配するぞ!」

 カランカラン、と入り口のベルが鳴る。

 記念すべき最初のお客様のご来店だ。

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