夜の喫茶店 〜誰からも気づかれない物語〜

あるふみ

第1話 嬉しい別れ

 少しだけ昔のこと。

 小さな街の、更にその片隅に、小さな喫茶店がありました。

 私はその喫茶店で、人生を終えました。原因は事故です。ある日、突然。暴走した自動車が喫茶店に突っ込んできたのです。

 気がついたら、幽霊になっていました。それから二十年経ちます。 今ではすっかりこの店に取り憑いた地縛霊として暮らしています。


 最初の五年程はいわゆる「事故物件」扱いでお客様もまばらです。店主も苦労していましたが、時がたつにつれて事故の記憶もうすれていき、客足もゆっくり戻ってきました。


 もちろん、私は悪さなんてしません。

 昼間はお客様や現店主を静かに眺めて、夜になれとちょっと変わったお客さん相手に幽霊なりの「夜の喫茶店」を営んでいます。


 お店の前の三本の桜の木が目印です。

 朝七時開店、夜八時閉店までが通常営業。

 それ以降は人ならざるものが訪れる「不思議の時間」 です。

 夜の喫茶店は世間的には人気があるわけではありません。けれど、実際は凄く賑やかです。

 浮遊霊や妖かし、他には地縛霊の方からの出前の依頼まで舞い込みます。


 お客様に何をお出しするのか?

 もちろん、普通の喫茶店と同じくコーヒーや軽食、ケーキまで。


 現店主が仕込んだ材料や調理器具を拝借し、その「存在の影」を使って調理します。

 影を抜かれた材料や料理はほんの少しだけ味が落ちてしまいます……

 でも、大丈夫。それに気づける人は一握り。もし、気づけるようなら、料理人の道をおすすめしたいところです。


☆★☆


 そんな夜の喫茶店に毎日欠かさず来店してくださるお客様がいます。幽霊と妖かしの時間の私のささやかな楽しみ、いわゆる常連さんですね。


 二人は朝六時、薄暗い時間に来店し八時ごろまでゆっくり過ごしていかれます。


 一人は房子さん享年二十九歳。

 ずっと通ってくださるお客様で息子さん(こちらはご存命)が近くに住んでいらっしゃいます。

 

 息子さんは昼間の常連さん。

 現役のころはランチタイム、引退されてからはモーニングがお気に入りです。


 房子さんは息子さんがもりもり食べる姿が大好きです。いつもにこにこと眺めています。


「体脂肪とか血糖値とか大丈夫かしら?」


 私が尋ねても、房子さんは生前の価値観なのでしょうか「いっぱい食べられる事は幸せなんだよ」と、にっこり笑って聞いてくれません。


 もう一人は早苗さん享年四十五歳。

 こちらも高校生の娘さんが近所に住んでいらっしゃいます。毎日、娘さんが桜の木の下を通って登校する姿が楽しみのようです。


 二人は生前、面識はありませんが、それでも仲良しです。狭い街なので珍しい話ではありませんが二人は親戚筋のご様子で


「早死にまで似なくてよいのに」


 そう、ぼやく房子さんに


「私は事故死よ」


 なんて、普通ならブラックユーモアな話もほのぼのとした日常の他愛のない話に聞こえてしまいます。


 そんな二月の終わり、房子さんの息子さんがお亡くなりになりました。八十七歳。男性として長生きで大往生とのことでした。


 息子さんの葬儀の翌日。朝五時普段よりも早い時間房子さんが現れました。

 両手に食材をいっぱいつめた買い物袋をぶら下げて、とても哀しそうなのにどこか微笑んでいらっしゃいます。

 微かな笑顔でキッチンを貸して欲しいとおっしゃられました。


 ぽつりぽつりと独り言のようにご自分の昔話をされ始めました。

 房子さんは体が弱く、よく床に伏せてらっしゃった事。体調が良い日はお弁当を持って、息子さんと近くのぽんぽん山に遊びに行っていた事。そして、亡くなる直前にもう一度ぽんぽん山に遊びにいく約束をしたこと。お弁当を持って。


 房子さんはお弁当を作ります。

 お稲荷さん、お煮しめ、昆布巻きにきんぴらごぼう。

 昔ながらの茶色いお弁当。

 ちょっぴり甘い玉子焼きが大好物だったそうです。醤油と甘い玉子焼きの香りが店いっぱいに広がりました。


「頑張ったね……頑張ったね……」


 何度も繰り返しながら……

 泣きながら……

 少ししょっぱい玉子焼き……


 誰かのためだけのお弁当。

 お弁当を作る房子さんの背中に、私はなぜか母親の姿を思い出してしまいました。

 胸の奥が、少し痛くて、少しあたたかくて……

 

 お弁当を詰め終えたころ。

 お店の外に息子さんがいらっしゃいました。

 毎日モーニングセットを元気に召し上がっていた頃のすっかりお年を召された生前のお姿です。


 房子さんは深くお辞儀をしてから、息子さんの元へと歩いていかれたました。

 茶色いお弁当を持って。


 これでは母と息子ではなくて、孫とおじいちゃんですね。

 失礼ながら少しばかり笑ってしまいました。


 翌日から房子さんはご来店していません。


 あれから、早苗さんは少し寂しげです。

 それでも、娘さんの登校する姿は嬉しいようでなによりです。


 三月も終わり。三本の桜の木は八分咲き。

 高校生達が卒業式を迎えたその日以降、早苗さんのご来店もなくなりました。


 常連さんのご来店は嬉しいものです。

 来なくなるのも、少し寂しいですが、とても嬉しいことですね。


 今日も、三本の桜が静かに喫茶店を見守っています。

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