第1章 Scene 1-3:聖女の汚点/共犯者の送迎

 入学面談という名の茶番を終えたカイトは、重厚な正門をくぐり、夕暮れの街路へと出た。


「……おい、見ろよあれ」

「九澄カイトだ。まさか、本当に面接を受けたのか?」


 カイトが身に纏っているのは、父親である九澄将軍があつらえさせた最高級ブランドのオーダースーツだ。

 その光沢、シルエット、生地の質感。どれをとっても「親の七光り」を体現するような装備だった。


「いい気なもんだな。妹を見殺しにした報酬で買ったスーツか?」

「空気が汚れる。さっさと消えればいいのに」


 遠巻きに、ヒソヒソとした陰口が聞こえてくる。

 彼らはまだカイトが合格したことは知らない。

 だが、「聖女の汚点」であるカイトがこの神聖な学園の門をくぐり、あろうことか一流の装いで闊歩している事実だけで、彼らの正義感は暴発寸前だった。


 カイトは無表情でポケットからワイヤレスのヘッドフォンを取り出し、耳に装着した。

 再生ボタンを押す。

 大量の楽器が脳内を叩く。

 脳髄をかき回すような、激しいディストーションとブラストビートの嵐――ヘヴィロックだ。


(ノイズキャンセリング、良好)


 外界の罵倒などよりも、さらに凶悪で混沌とした音の壁で脳を満たす。

 そうすることで、カイトは周囲の「人間という名のノイズ」を相殺(キャンセル)していた。

 雑音だらけの世界を、BGM付きの無声映画のように眺めながら歩き出す。

 その時だ。

 爆音のロック越しでも、肌を刺すような悪意の波動は感知できた。

 死角から「何か」が飛んでくる。

 開封された缶ジュースだ。中身がたっぷり入った液体爆弾が、カイトの顔面めがけて放物線を描く。


 ぼんやりと。

 カイトはそれを見ながら

 自分に当たる、ということを理解したまま。

 歩調を一切変えなかった。

 ただ、リズムに乗るようにほんの半歩、右足の着地位置をずらしただけ。

 ジュースの入った缶が肩を数ミリの差で掠め、虚しくアスファルトに叩きつけられ。

 ジュースの飛沫が飛び散り、カイトの最高級の革靴をわずかに汚した。


「おっと」


 カイトはヘッドフォンをずらし、わざとらしく驚いた声を上げた。

 汚れた靴を見下ろし、困ったように頭をかく。


「あちゃー参ったなぁ。これ、親父に買ってもらった高い靴なんだけど」


 カイトが視線を投げると、柱の陰に隠れていた数人の男子生徒がビクリと肩を震わせ、逃げるように顔を引っ込めた。

 カイトは視線を戻す。

 そして、再びヘッドフォンを戻した。

 追いかける価値もない。靴の汚れは拭けば落ちるが、彼らの腐った根性は死ぬまで落ちないだろう。


 ヴォォォォォンッ……。


 その時、爆音のロックすら切り裂くような重低音が響いた。

 夕日に輝く銀色のボディ。最新鋭の軍用ステルス素材を使用した、流線型の高級車が、カイトの横に音もなく滑り込む。

 何事かと周りが見る暇もなく、助手席のドアが跳ね上がった。

 そして、鈴音のような透き通る声が響く。


「……お待たせしました」


 運転席に座っていたのは少女。。

 陶器のように白い肌。色素の薄い髪。そして、テレビや雑誌で見ない日はないほど有名な、若き天才の相貌。

 知る人もいない、誰もが知っている美少女。


「おい、あれって……」

「嘘だろ!? 『ホワイト・ラボ』のCEO、宵崎マシロか!?」

「なんで、あんな大企業が!?」

「どうして天才が、カイトなんかの迎えに来るんだよ!」

「……どうせまた親のコネだろ。金で雇ったに決まってる」


 周囲のざわめきが一層大きくなる。羨望と、それ以上の嫉妬。

 マシロはその視線を、道端の小石を見るような瞳で一瞥しただけで、完全に無視した。

 マシロは静かに言った。


「乗ってください…カイトさん」


 カイトは無言で乗り込み、シートに身を沈める。

 ドアが閉まり、車内が完全な静寂に包まれると、マシロは静かにアクセルを踏み込んだ。

 高級車が唸る生徒たちを引き離すように。

 校門から滑るように発進した。


 車内が安定走行に入ると、カイトはヘッドフォンを外して首にかけた。

 隣を見ると、マシロはハンドルを握りながら、手元のコンソールパネルを猛烈な速度で操作している。

 彼女の美しい指先が、残像が見えるほどの速さでキーを叩いているのだ。


「……何をしてる?」


 カイトが尋ねると、マシロは視線を前方に向けたまま、涼しい顔で答えた。


「趣味です」


 モニターには様々な情報が羅列されている。

 身近なカイトでないと見逃すほどの速さ。

 先ほどジュースを投げた生徒たちの顔写真。

 住所。

 親の勤務先。

 銀行口座の残高。

 さらには隠し口座まで。

 ありとあらゆる個人情報が滝のような勢いで表示されていた。


「木島タカシ、他2名。……彼らの父親が経営する部品工場は、私の『ホワイト・ラボ』の下請けの、そのまた下請けですね」


 マシロの声は、天気の話をするように穏やかだった。

 しかし、行動は違った。

 カーソルが即座に動く。

 消去。

 モニター上のカーソルは「契約破棄」と「ブラックリスト登録」のボタンの上を彷徨っていた。


「私の会社の余剰金で生かされているようなダニたちが、カイトさんの靴を汚した。……万死に値しますね」

「やめとけ」


 カイトは短く告げた。


「えっ」


 マシロは驚いた声で言う。

 カイトはそれに冷静に、端的に答える。

「そんな末端の、どうでもいい連中にリソースを割くな。時間の無駄だ。

 下請けの下請け? そんな有象無象、潰したところで俺の人生は何一つ好転しない。……俺たちはもっと高いところを目指してるんだろ?」


 カイトの発言にマシロは考えつつ。

 カイトに反論せずに。

 即座に操作していたモニターを消した。  


「……はい」


 マシロは一瞬だけ名残惜しそうに消えた画面を見たが、すぐに嬉しそうな表情に戻った。


「そうですね。カイトさんの視界に入れる価値もないゴミでした。……趣味の時間は終わりにします」


 彼女はあくまで「個人的な趣味」と言い張る。

 だが、その目は猛禽類のそれ。

 明らかに獲物を狩り損ねた猛獣のそれだった。


「それよりマシロ、本題だ。……もっとデカい獲物がいる」

「獲物、ですか?」

「現生徒会長、神代蓮華だ」


 カイトの名指しに、マシロがピクリと眉を動かす。

 空気が引き締まった。


「……『戦乙女(ブリュンヒルデ)』」

「ああ。あいつは俺の『中身』に感づいた。……ただのSランクじゃない。裏がある」


 カイトは彼女との一連との流れを思い出す。

 明らかに違う。

 他の生徒たちとは。

 何か意図がある。

 擬態は通用していない。

 知っている。俺とミナ。そして、秘匿していた軍部の情報。

 それらを理解したうえで、俺に接触してきたのだと。

 カイトは感じていた。

 

「あの生徒会長のデータを洗え。骨の髄まで丸裸(スキャン)にするぞ」


 そう言うと。

 マシロは笑みを浮かべ。

 嬉しそうに言った。


「了解(ラジャー)です。……徹底的に、解析しましょう」


 夕暮れのハイウェイ。

 二人の共犯者を乗せた銀色の弾丸は、学園という名の戦場へ向けて、音もなく疾走していった。

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