第1章 Scene 1-2_聖女の汚点:システム・エラー
特別査問室を後にしたカイトの手には、二つの書類が握られていた。
一枚は、校長が怨念を込めて押印した『合格通知書』。
もう一束は、分厚い『入学手続要項』だ。
カイトはそれを無造作に丸め、ポケットにねじ込むと、生徒たちが行き交う中央廊下、通称「メインストリート」へと足を踏み入れた。
すれ違う生徒たちが、カイトを見て露骨に顔をしかめ、避けるように道を開ける。
当然だ。
今のカイトは、公式記録上「妹を見殺しにした卑怯者」であり、「コネ入学のFランク」だ。
このエリート養成校において、彼は歩く汚染物質に等しい。
だが、カイトは意に介さない。
彼の脳内では、まったく別の処理(タスク)が並列実行されていたからだ。
(前方、3年B組、Aランク前衛型……脅威判定:低(Low))
(右、2年C組、Bランク支援型……判定:雑魚(Mob))
(左、1年Sクラス候補……親が与党議員か。面倒なコネ持ちだ。判定:障害物(Obstacle))
カイトの瞳が、すれ違う生徒たちの顔を高速でスキャンしていく。
入学前、カイトは軍のデータベースをハッキングし、1年生から3年生までの全在校生の個人データを脳内に完全インプット済みだった。
顔写真、家柄、DNA配列から予測される潜在能力値まで。
彼の脳内視界において、この学園に「未知」の人間は存在しない。
全員が、名前とパラメータのついたNPCに過ぎない。
(……退屈だな)
どいつもこいつも、スペックが低すぎる。
カイトは欠伸を噛み殺し、事務室へ向かおうとした。
その時だ。 前方の雑踏が、まるでモーゼの十戒のように左右へ割れた。
生徒たちが畏怖と憧憬を込めて道を譲る。
その中心を、一人の少女が悠然と歩いてきた。
少女。いや、ただの少女ではない。
漆黒の特注制服。
袖を通しているのは、学園の最高権力者である生徒会役員のみ。
その中でも、肩に黄金の飾緒(モール)を許された、頂点に立つ存在。
カイトの脳内検索(サーチ)が、コンマ一秒で該当データを弾き出した。
(検索対象:接近中の個体)
(照合完了:神代(カミシロ) 蓮華(レンカ))
(属性:2年Sクラス。現生徒会長。学園最強のSランクダイバー。異名『戦乙女(ブリュンヒルデ)』)
学園最強のイレギュラー。
カイトの警戒アラートが、即座に『回避推奨』を告げる。
関わればロクなことにならない。カイトはFランクのモブらしく、視線を足元に落として、道の端を通り過ぎようとした。
「――あら。合格おめでとう、カイトくん」
鈴を転がすような声でカイトに向かって言った。
カイトは無視して通り過ぎようとした。
だが、ダメだった。
蓮華がカイトの進路を完全に塞いで立っていた。
逃げ場はない。周囲の生徒たちが「あの会長が、なぜゴミ虫に?」とざわめいている。
「……どうも」
カイトは卑屈に肩をすくめ、わざとらしい愛想笑いを浮かべた。
「先輩、俺みたいなFランクに話しかけると、その綺麗な制服が汚れますよ? 俺、菌とか持ってるかもしれないんで」
自虐を装った拒絶。
翻訳すれば「面倒だから話しかけるな」という意思表示だ。
だが、蓮華は動じない。むしろ、面白そうに切れ長の瞳を細めた。
「謙遜? それとも擬態? ん~~まあいいわ」
蓮華は一歩踏み出し、カイトとの距離を詰めた。
甘いシャンプーの香りと、火薬のような危険な匂いが鼻腔をくすぐる。
カイトの胸ポケットから覗く『合格通知』を細い指先で弾いた。
「この合格通知、意味あるの?」
笑うよに彼女は言う。
カイトは答えない。
何かを言う、意見を言う、意思を言う。
それらは全て、この女にとって餌になる。
だから、カイトは黙っていた。
しかし、彼女は続ける。
誰にも聞こえない声量で。
そして。
カイトの耳元で囁くように続ける。
「ねえ、カイトくん。想像したことある?」
唐突な問いかけ。雑談にしてはあまりにも重く、鋭かった。
「あの空に浮かぶ『聖域』……君の妹であるミナ様が維持している異世界を、もし誰かが『完全攻略(オールクリア)』しちゃったら、世界はどうなるかな?」
カイトの心臓が、冷たく波打った。
表情筋は1ミリも動かさない。
だが、カイトの脳内では最高レベルの警告音が鳴り響いている。
ミナの異世界を攻略する。
それは即ち、日本のライフラインであるエネルギー供給を断ち、この国の繁栄を終わらせることを意味する。
国家反逆罪どころの話ではない。
カイトの沈黙を肯定と受け取ったのか、蓮華は楽しげに続けた。
「エネルギーが消えて、街の灯りが消えて、エアコンも電車も止まって……そうしたら、今までふんぞり返っていた大人たちはどうすると思う?」
蓮華は演劇がかった仕草で、大人の真似をして手を合わせた。
その瞳には、昏い熱が灯っている。
「真っ青になって、私たち子供に頭を下げるかな? 『もう一度、同じようにしてくれ』って。
お願いだ、ダイバー様。どうかまた異世界に潜って、僕たちの生活を支えてくれ』って、泣いて縋(すが)るかな?」
クスクスと笑みをこぼしながら、彼女は笑う。
「んー、だったら……面白いかな?」
彼女は悪魔のように笑みを浮かべて言った。
「なーんてねぇ」
最後は、悪戯っぽく舌を出して茶化す。
冗談めかしているが、その瞳は笑っていない。
カイトの反応を観察しているのだ。
同意すれば共犯者。否定すれば体制側の犬。あるいは動揺を見せれば、そこをつけ込んでくるだろう。
だが。 カイトは、そのどちらも選ばなかった。
「……はぁ」
カイトは、心底呆れたように、深いため息をついた。
そして、あくび混じりに頭を掻いた。
「先輩、随分と暇なんですねぇ。そんなくだらない妄想する時間があって羨ましいっすよ」
「……あら?」
「俺はこれから入学手続きで忙しいし、そもそも世界がどうなろうと知ったこっちゃないんすよ」
カイトは合格通知をパタパタと団扇(うちわ)のように振った。
「電気が消えたら? 親父の金で業務用の自家発電機でも買いますよ。大人が頭を下げようが上げようが、俺の睡眠時間が確保できればそれでいいんで」
「…………」
「世界平和とか革命とか、意識高い系の話は他所でやってくれません? 俺、馬鹿なんで難しいことわかんないんすわ」
完璧な「あしらい」だった。
思想も、正義も、野心もない。ただ自分の生活さえ良ければいいという、徹底した利己主義者のクズ。
蓮華の投げた豪速球を、打ち返すのでもなく、受けるのでもなく、地面に落として無視する。
蓮華はキョトンとしていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「……あはははは! 徹底してるわね。ほんと、つまんない男」
彼女は興味を失ったフリをして、道を空けた。
「じゃあね、カイトくん。せいぜい、その『無関心』を貫き通すことね。……ボロが出ないように」
意味深な言葉を残し、彼女は去っていった。
その背中には、「また新しい玩具を見つけた」という捕食者の気配が漂っていた。
カイトは「へーい」と適当に手を挙げてすれ違った。
だが、彼女が背を向けた瞬間、カイトの脳内コンソールが高速で走った。
(……神代蓮華)
(思想レベル:危険(Red)。干渉深度:極大)
(判定:会話不能のバグ。関わればリソースを浪費する)
カイトは脳内の生徒名簿を開き、彼女のフォルダに、真っ赤な『最重要監視対象(Top Priority)』のタグを付与した。
(……やれやれ。入学初日から、とんだ地雷を踏んだな)
カイトは小さく舌打ちをすると、書類を強く握りしめ、事務室へと続く廊下を早足で歩き出した。
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